夫に「明日病院に行かなければ離婚する!」。そう言われてもなお“大げさなんだから”としか思わなかった17年前―。今ほど、がん治療への啓発もなく情報も乏しかった時代を経て今たくさんの人へ伝えたい、がんサバイバー原元さんの思いとは。
結婚披露宴を控えていたことで検査をせず
「血便が気になるようになってしばらくしてから、ある日、突然下血し、大腸がんであることがわかりました」
そう話すのはフリーアナウンサーの原元美紀さん。大腸がんが判明したのは2007年5月で、37歳のときだった。振り返ってみると、それ以前から大腸がんの兆候がみられていたという。
「私はテレビ朝日の朝の情報番組で17年ほどリポーターを務めています。2006年7月に番組で、当時のがん検査の最前線としてPET検査を取り上げることになり、体験取材をしました。画像検査では特に異常はなく、番組でもそう報告しました」
だが後日、PET検査に付随して行われた検査結果で便潜血検査が陽性となり、腫瘍マーカーの数値も高いことがわかった。
「実は、その3年ほど前から血便が出るようになっていたんです。検査結果が思わしくなかったこともあり、近くの胃腸科クリニックで再検査を受けました」
再検査の結果、いったん便潜血検査は陰性で、腫瘍マーカーの数値も正常値に。
「先生には『30代の女性で大腸がんになる人はめったにいませんし、今日は祝杯をあげてください』と言われました。それでも多少の不安は残っていたので、大腸内視鏡検査を受けようと思ったんです。でも、予約がだいぶ先まで埋まっていて。仕事が忙しかったし、自分の結婚披露宴を控えていたこともあり、検査はしませんでした」
原元さんは、スタジオでのキャスターを経て、2006年4月から現在のフィールドリポーターに従事している。
「当時は夜明け前に出社し、7時半に番組がスタートして10時に終わるとすぐに取材に出かけていました。最終の飛行機や新幹線で戻り、帰宅は深夜2時ごろ。2時間半ほど寝てまた仕事へ、という日々。ハードでしたが自分がやりたくてつかんだ仕事ですし、『この情報は必ず誰かの役に立つ』と信じて働いていました。そうした毎日の中で、自分の体調のことを深く考える時間はありませんでした」
当初は月に1回程度だった血便の頻度は少しずつ増し、3日に1度になった。さらに、職場で“いつの間にハワイにでも行ったの?”と聞かれるほど、肌が黒ずんでいったが、腹部の痛みなどは感じなかったという。しかし、2007年4月、激しい下血が起きる。
夫は「明日、病院に行かなければ離婚する」
「取材先の福島県でトイレに入ったとき、鮮血で便器が真っ赤になったんです。てっきり生理が来たのだと思ったのですが、すごく鮮やかな赤色で……。貧血で立ちくらみがしましたが、生理用品をあてて、なんとか仕事を終えて深夜に自宅に戻りました」
原元さんは夫に下血のことを話したという。
「時間ができたら病院を受診しようと思っていたのですが、夫に『明日、病院に行かなければ離婚する』と言われてしまったんです。心の中で“大げさなんだから”と思ってしまうほど、自分では危機意識がなくて。職場の人たちに謝り倒して、次の日の本番の後、病院へ行きました」
原元さんは触診の際、下腹部左側のS字結腸を押されたときに痛みを感じて顔をゆがめた。その瞬間、医師の表情が変わったという。
「数日後に受けた内視鏡検査で、S字結腸の直腸に近い部分に1.8cmのポリープが見つかりました。その一部を採取して病理検査を受けたところ、良性と言われました。ただ、ポリープの切除が必要だと言われ、内視鏡による手術を受けることに」
5月に入院して手術を受け、4泊5日で退院した。予想外の結果を告げられたのは10日ほどたったころのことだった。
「夫と一緒に手術で取ったポリープの病理診断結果を聞きに行ったんです。先生は『再検査の結果、腫瘍は悪性でした』とおっしゃったのですが、当時の私はがんに関する知識が乏しく、ピンときませんでした。夫が『悪性ということはがんですか?』と尋ねたときも『そんなわけないじゃない』と思ったくらいです。先生が『原元さんは早期の大腸がんです』と言い直してくださり、ようやく自分が大腸がんであることを理解しました」
内視鏡手術で早期がんを取り除いたため、その後の治療は必要ないと判断された。
「つまり、私は大腸がんになって、そうと知らない間に治療が終わっていたんです」
“自分の中にがん細胞があった”。その事実に驚きつつ原元さんは大腸がんに関する情報を集めるようになった。
「大腸がんの5年生存率は95%と知り、安心した自分がいました。ただ、『もし、95%ではない5%のほうだったら』と、突然恐怖に襲われて。歩いている途中でしゃがみ込んでしまったことも」
また、病院から大腸がんの危険性の指導を受けた際“赤身のお肉はなるべく避ける”といった項目があった。
「一時、極端に避けていたのですが、お付き合いでステーキ店に行くことに。周りに言っていなかったので、無理して食べたら“がんが再発しちゃう!”って、急激に気持ちが悪くなってしまったほど。先生にお話したら“少し食べたぐらいでがんにはなりませんよ”って(笑)。そのころは何でも怖がっていました」
がんの再発予防のため、赤身肉はほどほどに、日頃から野菜や乳製品を意識的にとるようになった。また、ストレスの緩和も気遣うように。
「大腸がんを患ってから、さまざまながん患者さんと接する機会が増えました。自分自身の経験も含めて思うのは、ストレスはがんの大敵で、世の中のストレスの大半は人間関係だということ。ストレスを和らげ、その方法を伝えられるようになりたいと、心理学を学びました。今は“コミュニケーションスキルがあなたを救う”をモットーに、ストレスで病気になる人を1人でも減らせるような活動にも取り組んでいます」
大腸がんの告知を受けたことで人生への向き合い方に変化が生じたともいう。
「がんになってよかったとは思いません。でも、がんになったことで一瞬一瞬が今までよりも色鮮やかに感じられるというか、自分の人生を大切に思えるようになりました」
家族のおかげで仕事に打ち込めていることに気づく
原元さんは今、人生で向き合うものに優先順位をつけているそうだ。
「長い間、仕事が一番大切だと思っていたのですが、家族のおかげで仕事に打ち込めていることに気づきました。だから優先順位の一番は家族。二番目は感動するものに出合うこと。私はマンガが大好きで、入院中も読みふけっていました。
また、推しはSnow Manの佐久間大介くんで、うちわを持ってライブに参戦しています(笑)。この2つを大切にできてこそ仕事が充実すると実感。心身ともに健康に、これからも毎日をご機嫌に過ごしていきたいと思っています」
見逃さない! 早期発見のきっかけをつくる取り組み
大腸がん撲滅キャンペーン活動 NPO法人「ブレイブサークル」の副理事長・メインサポーターとして全国各地で検診を呼びかけるイベントを行っている原元さん。毎年秋にNPO法人主導で開催される『TOKYO健康ウォーク』では、歩きながら大腸がんなどの知識を深めるクイズをしたり、40歳以上の希望する参加者は無料で「大腸がん検診」が受けられるなど、一般に広く大腸がんについての啓発活動を行っている。
取材・文/熊谷あづさ
はらもと・みき 東京都出身。フリーアナウンサー。1992年、中部日本放送に入社し'96年、フリーに転身。キャスターや数々の番組を経て、現在はテレビ朝日系『羽鳥慎一モーニングショー』に出演中。研修やセミナー、スクール等で話し方やコミュニケーションを教える活動にも取り組んでいる。