いよいよ4月1日から放送がスタートする新しい朝ドラ『虎に翼』。伊藤沙莉演じるヒロインのモデルは初の女性弁護士となった三淵嘉子。男女差別に屈せず、時代と闘ったフェミニストだ。私生活も山あり谷あり! 物語の魅力をひと足先にご紹介します。
法曹界の人物が主人公の朝ドラは約30年ぶり
3月29日で最終回を迎える朝ドラ『ブギウギ』。女優の趣里が演じたスター歌手の生きざまに元気をもらえた人も多かったのではないだろうか。次回作のモデルは『ブギウギ』の笠置シヅ子と同じ大正3年生まれの人物だが、笠置とはずいぶん違うイメージの職業の女性だ。
「4月1日からスタートする110作目の『虎に翼』は日本初の女性弁護士で、のちに女性初の裁判所長になる三淵嘉子さんをモデルにした猪爪寅子の奮闘を描くドラマです。法曹界の人物が主人公の朝ドラは、松嶋菜々子が主演の『ひまわり』以来、30年近くありませんでした」(テレビ誌ライター、以下同)
主人公が女性弁護士で裁判所長とは、ずいぶんお堅いドラマになりそうな気が……。
「いいえ、少なくとも最初は堅苦しい話にはならないはずですよ。というのも、しばらくは主人公が通う学校が舞台で、寅子の同級生や後輩がたくさん出てくるので、明るくにぎやかなドラマになると思います」
モデルとなった三淵嘉子は女子に門戸が開かれたばかりの明治大学専門部女子部という女性だけの学校などで学び、昭和13年に今でいう司法試験に合格。2人の同級生とともに日本初の女性弁護士になった。
「嘉子の同級生で、やはり日本初の弁護士になった中田正子と久米愛をモデルにしたと思われる人物も出てきます。その他にも、男装の麗人の学生や朝鮮半島からの留学生、3児のママ学生なども登場します」
放送スタートから司法試験に受かるまでのあいだは、昭和初期を舞台にした楽しい学園ドラマが繰り広げられそうだ。
「三淵先生は明治大学卒業時に男女合わせてトップの成績で、生徒代表で卒業証書を受け取りました。そんな彼女が弁護士になるための試験に臨む際、会場にあった裁判官募集の書類を見て『日本帝国の男子に限る』と書かれていたことに衝撃を受けます」
と話すのは、三淵嘉子を紹介した著書を持つ弁護士の佐賀千惠美さん。のちに嘉子自身もこう言っている。
《私はそれまで、日本の男女差別についても、あるがままに認識していたというか、特に憤るということもなかったのですが、(裁判官は)なぜ日本帝国男子に限るのか。同じ試験を受けて、どうして女子は駄目なのかという悔しさが猛然とこみ上げてきたことが、忘れられません》(佐賀千惠美著『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』より)
自分は裁判官に向いていると思った嘉子は、悔しさを抱えながら弁護士となった。
物語は戦中、そして戦後へと展開するが、嘉子も戦争に翻弄された一人だ。昭和16年に父の書生だった和田芳夫と結婚するも夫は戦病死。すぐ下の弟も戦死、両親も相次いで亡くなり、嘉子は幼い息子と学生だった2人の弟を養うことになった。
男女平等宣言がなされた戦後の昭和22年、嘉子は直談判に出た。
「三淵先生は男女平等宣言がなされた今なら女子にも裁判官のチャンスがあるかもしれないと、司法省に出向いて、募集はなかったけれど裁判官採用願を提出しました。のちの最高裁判所長官で、当時の人事課長だった石田和外が、彼女を追い返さなかったことに助けられました」(佐賀さん、以下同)
『虎に翼』のモデルは家庭裁判所の育ての母
嘉子は同省で民法改正や家庭裁判所設立に関わったあと、念願の裁判官になった。そして昭和47年に初の女性裁判所長となり、退官するまで家庭裁判所で非行などをした5000人以上の少年少女たちに向き合った。嘉子を知る人で、彼女を「家庭裁判所の育ての母」と言う人もいる。
女性法律家として多大な功績を残した嘉子には、こんな肝っ玉エピソードがある。
35歳ごろ、歓迎会で酔って動けなくなった新人の男性裁判官をかついで、庁舎を出て日比谷公園を抜け、日比谷交差点まで1人で運んだ。
「私がその話を聞いたときは男女平等の精神からと受け取りましたが、今考えると、酔って動けない状態を先輩に見られると彼の将来に悪い影響を及ぼすかもしれないと考えて、1人で助けたのではないでしょうか。三淵先生は優しい人だったのだと思います」
嘉子が相当の力持ちだったことにも驚くが、気遣いのある人だったことは確かだ。
任官した横浜家庭裁判所で薄汚れた調停室の壁を真っ白に塗り替えて絵をかけ、昼休みの廊下に静かな音楽を流したりもしたという。家庭裁判所は離婚したい夫婦や非行少年などが集まる場所。彼らの気持ちが少しでも和むようにという配慮だったのだろう。
また、昭和の時代は現在よりも男女差別が根強く、それは法曹界も同じだった。
「『女性裁判官は歓迎しない』と発言した当時の最高裁人事局長に要望書を提出、本人と直接対面して抗議しました。さらにその数年後、司法研修所事務局長と教官が『男が命をかける司法界に女が進出するのは許せない』と宴席で発言。女性修習生からこの話を聞いた三淵先生は『もはや放置できない』と激怒し、日弁連と衆議院の法務委員会にまで真相究明を申し入れました」
嘉子は退官後も要職を歴任。労働省の男女平等問題専門家会議では座長を務め、現在の男女雇用機会均等法の礎を築いた。
嘉子は41歳で最高裁調査官の三淵乾太郎と再婚。乾太郎には前妻との間に4人の子がいて、嘉子のほうは一人息子の芳武がいた。
芳武によると、乾太郎が嘉子にべったりで、長女はそれに反発していたようだ。あるとき、嘉子が長女と電話で言い争いをし、嘉子は興奮して筋の通らないことを言い始めたので、芳武が怒ってやめさせたという。家庭では意外と独りよがりな面を見せていたようだ。
「三淵先生は息子の芳武やその学友と麻雀をすることがありましたが、自分に勝った息子に激怒して『親不孝もの!』と本気で怒鳴ったそうです。夫の連れ子は三淵先生のことを『猛女だった』と言っているので、先生は緊張を強いられている外とは違い、家では安心して自分をさらけ出したのではないでしょうか」
これは再婚前の話だが、小学生の芳武がレインコートを紛失してしまったときのこと。どこに忘れてきたかわからない息子に対して「どこに忘れたの、言いなさい!」とすごい剣幕で怒鳴り、忘れた場所を本当に知らない芳武は許してもらえないので仕方なく適当な場所を答えたところ、別の場所から見つかったという。
すると今度は「うそつき」となじり、その理不尽さを芳武は大人になっても忘れられない思い出として語っていたそうだ。家族の前では、かなり気性の激しい女性だったのだ。
法曹界の女性トップランナーと肝っ玉母さんを、まだ20代の伊藤沙莉がどう演じるのか、今から楽しみだ。
取材・文/田村未知(さくら編集工房)
佐賀千惠美さん 弁護士。著書に『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』など。近刊に『三淵嘉子の生涯〜人生を羽ばたいた“トラママ”』(内外出版社)。