千年の時を超えて読み継がれる『源氏物語』を生み出した紫式部の、波乱に満ちた人生を描く大河ドラマ『光る君へ』。藤原一族のイケメン貴公子たちや少女漫画的な展開に胸キュンの一方で、これって史実と違うのでは?という設定も。
『源氏物語』を中心に平安朝文学を研究する元・和洋女子大学教授の吉井美弥子さんと歴史ライターの帯刀コロクさんに、8つの疑問を解説してもらった。
【検証1】紫式部の名前は「まひろ」ではない?
「史実として本名はわかっていません。当時の女性の本名が記録に残ることは珍しいためです。
60年ほど前に歴史学者の角田文衞氏が式部の本名を「香子(かおるこ/たかこ/きょうし)」とする説を発表しましたが否定的な論説も多く、当時の女性名をどう読んだのかも正確には不明な部分も多いようです」(帯刀さん、以下同)
平安時代の女性名は「菅原孝標女」や「藤原道綱母」のように誰々の娘、母などの表記が多い。
宮仕えの女房(朝廷や貴族に仕える侍女)であれば姓の一部+父親・親族の官職名にちなんで呼ばれることも一般的だったという。
「『紫式部』は後世の呼び名で本来は『藤式部』といい、父の藤原為時が式部丞という役職を務めていたことに由来します」
【検証2】紫式部が活発に外を歩き回ることはなかった?
まひろが町に出かけては、大道芸(散楽)を従者と見物するシーンが幾度となく描かれたが、
「貴族の女性が顔を出して自由に外を歩き回るというのは従者を付けていても考えられません。貴族女性は屋敷の中でも走るなどというのは、してはいけないこと。でも史実と異なっていてもドラマとして楽しく見るのがいいと思います」(吉井さん)
【検証3】紫式部が代筆のアルバイトをしていた可能性は?
「平安時代初期の『伊勢物語』には在原業平が女性のために歌を代筆する話があったり、男性が女性に文を送ると最初は侍女が代行して返信したりすることがあるなど、代筆そのものはまひろの時代にも存在していました」(帯刀さん、以下同)
学識のある貴族が私塾を開いたり、貴族に仕える庶民が事業を起こしたりといった事例もあったため、アルバイトや副業はあり得た、とも。
「ただし下級とはいえ貴族の娘が現実に代筆業を行うとすれば、侍女や従者の協力など多くの工夫が必要となるのではないでしょうか。
まひろは少女のころから高い教養を身につけていたとはいえ、恋文のように男女の心の機微が重要な歌・文章を作成するには経験不足だったのではとも考えます。
ただ、あり得たかもしれないという設定は巧みな創作の面白い部分ですね」
【検証4】紫式部と藤原道長の恋はあり得ない?
ドラマの前半は、まひろと三郎(藤原道長)の恋が最大の見どころ。ただ実際の彼らは……。
「紫式部が宮中に仕えるまで2人は会ったことはなかったと思います。道長と紫式部が子どものときに出会い、思いを育んで惹かれ合い男女関係になった、といった展開はまずあり得ないでしょうね。
女房として道長の娘の彰子に仕えているときに、道長のお手付きになった可能性はあったかもしれません。お仕えするご主人から手を出されるというのは対等な恋愛関係とはいえません。
また、紫式部が宮中に仕えたのは夫が亡くなってからの30代で、当時の平均寿命が30代後半といわれていますから、当時でいうと中高年ぐらい。
それを含めて考えると現代で考えるような若い恋人同士のような雰囲気では残念ながら(?)ないと思います」(吉井さん)
【検証5】安倍晴明は当時、老人だった?
「藤原道長は康保3年(966年)~万寿4年(1027年)、安倍晴明は一説には延喜21年(921年)~寛弘2年(1005年)が生没年で、晴明は道長より45歳も年上ということになります。
例えば『光る君へ』9話での道長は数え年21歳ですので、晴明は66歳という年齢だったはずです」(帯刀さん)
時の天皇や貴族たちを操る陰陽師・安倍晴明。ユースケ・サンタマリアの怪演には年齢を感じないかも。
【検証6】紫式部にはドラマに登場しない姉がいた?
「紫式部には姉がいました。紫式部が20代半ば以前に亡くなったと思われ、妹を亡くした親戚の女性と疑似姉妹のような和歌のやりとりをしていました。また、ドラマでは母を藤原道兼に殺されたという展開が描かれましたが、そうした記録は残っていません。ドラマとしては衝撃的な展開で面白かったですが」(吉井さん)
「7話の打毬のシーンで、女性貴族が外で扇を持ちながら見学していましたが、本当は簾越しに見ていたはずです。上流貴族の家にはまず格子や簾があり、そして几帳があり姫君たちはさらにその奥にいて扇で顔を隠していました。
平安時代の上流貴族の女性たちからすれば、顔を見せるというのは裸に近い状態である感覚だったかと思います。
男性に顔を見せるとしたら、元服前の弟、父親、夫、男女関係にある恋人ぐらいです。それなりの身分にある女性であれば、女性同士でもよほど親しい女性以外には顔を隠すことがたしなみであるとされていたようです」(吉井さん、以下同)
ただ、それを再現するとドラマとしては成り立たない。でも、男性たちについては正確らしい。
「貴族の男性たちでいうと絶対に頭の冠や烏帽子は人前では外しません。頭頂部をさらすことは下着を脱いで裸になるようなものでした。ドラマでも男性たちはまず外さないように演出されていますね」
【検証7】紫式部は年のわりに大人っぽすぎ?
ドラマ2〜8話の設定では、15〜16歳のまひろ。
「現代的な感覚ではまひろの言動は年齢にそぐわない大人びたもののようですが、当時の女性は12~13歳ごろに成人して結婚することがあったため、その年代は大人といってよいのではないでしょうか。
平安時代の平均寿命については諸説ありますが、『源氏物語』では光源氏の長寿のお祝いである「四十賀」が描かれていることから、40歳以降は老年と捉えられていたようです。
このことから、15歳か16歳のまひろが大人びた言動をしていてもおかしくはないと考えられないでしょうか」(帯刀さん)
やはり実際の平安時代とは異なる点が多々あるよう。さらに吉井さんによると、
「紫式部が五節の舞姫を務めたというのは記録に残っていません。ただ、この行事を見聞した経験はあったようです」(吉井さん)
平安時代に思いを馳せつつ、史実とは違うオリジナルな部分もひっくるめて上質なエンタメ作品として見るのが、雅な楽しみ方かも。
吉井美弥子●元・和洋女子大学教授。『源氏物語』を中心とした平安朝文学を専門とする。『語りたくなる紫式部 平安宮廷の表と裏』(主婦と生活社)を監修