3月の卒業シーズンに欠かせないものといえば、卒業アルバムだろう。小学校のアルバムの中には6年間の集大成ともいえる卒業文集が入っていることが当たり前だったが、最近、廃止する小学校が出てきているのだ。
その背景には教師の時間確保の難しさがあるというが、どれほどの負担なのか。
教員生活40年の埼玉県公立小学校教師で、教師たちの働き方改革のために残業代を求め、裁判を起こした田中まさおさん(仮名)に聞いた。
個性消え「みんな同じような作文に」
「教師が大変な思いをしているのは間違いないです。今は文集の原稿は事前に保護者にチェックしてもらい、内容の承諾を得なければいけません」(田中さん、以下同)
卒業アルバムは一生残るものだから、完璧を求められるのだという。
「誤字や脱字がないのはもちろん、大人になって読み返しても納得できるような内容でないといけません。それくらい今は厳しいです。管理職の教員は全部目を通し、教頭、校長も読みます。
昔だったら、その子らしい個性や特徴が出ていたのが、今はみんな同じような作文になってしまっています。しっかりとした作文を書くために何回も書き直しますので、先生も子どもも保護者も大変になっています。私の学校も来年から文集をなくして、卒業アルバムは写真だけにすることになりました」
教員の負担を軽減するには
これからも卒業文集を廃止する学校が増えていくのでは、と田中さんは言う。
「本来、卒業文集はあったほうがいいと思います。やっぱり読み返して友達同士で話題にもなりますし。
しかし、今のように苦情が来ないように完璧なものを作ること自体が、すごく時間がかかり負担にもなっています。6年生の担任を希望する教師が少ないということにもつながってしまっています」
ほかにも学校行事の時間短縮といった生徒たちの思い出を減らす以外に、教員の負担を軽くすることはできないのだろうか。
「今は掃除や給食も教員がやっていますが、教員は授業だけに専念できるようにすればだいぶ違うと思います。
気持ち的な負担でいえば、教育的価値が高いものに対して先生のやりたいようにできるかどうかが大きいのでは。日本は一律教育ですが、ヨーロッパのように教員の自主性を重んじたほうがいいと思います」
卒業文集がなくなるのは寂しい気もするが、完璧を求められ、膨大な時間と労力がかかる現状が変わらなければ、過去の懐かしい文化になってしまうのも、そう遠くないかもしれない。