歌手・タレントの島崎和歌子(51)撮影/矢島泰輔

 16歳で歌手デビューしてから芸能生活は35年。マツコ・デラックスが「アンタ、無駄に美人なのよ!」と喝破した言葉がそのものズバリの気取らないキャラクターで、長年バラエティー番組にひっぱりだこの島崎和歌子。『オールスター感謝祭』(TBS系)の総合司会や女優としても活躍しており、2023年はNHKの朝ドラ『らんまん』にも出演した。

デビュー当時はアイドル歌手だった島崎和歌子

デビュー曲のタイトルは『弱っちゃうんだ』

 芸達者な顔を持つ島崎だが、デビュー当時はアイドル歌手だった。4月17日には、アイドル時代の楽曲を集めたアルバム『島崎和歌子 ゴールデン☆ベスト』(ユニバーサルミュージック)が発売、あらためて歌手として注目を浴びる可能性も!?

「35周年という節目の年で、レコード会社さんからベストアルバムのお話をいただいて。ヒット曲なんてないので驚きました。でも若者の間で今、昭和歌謡とかシティポップが人気ですよね。私の歌もあいみょんちゃんとかがカバーしてくれたらヒットするかもと期待しています」と島崎は笑う。

 歌手デビューしたのは1989年で16歳のとき。「花の82年組」に代表されるアイドル全盛期が終焉し、テレビの歌番組も少なくなっていった時代だ。デビュー曲のタイトルは『弱っちゃうんだ』。プロモーションでは、他のアイドルとの差別化を意識して、ショートカットで黄色いパンツスーツの衣装が用意された。

「この衣装がイヤでイヤで(笑)。他のアイドルはみんなフリルのついたかわいい服を着ているのになんで私はこれなの?って。楽曲もアイドルっぽいアップテンポの曲ではないんです。ショッピングモールにプロモーションに行くと、新人演歌歌手だと思われていたみたいで、お客さんは高齢者ばかりだったこともありました(笑)」

 5年ほど歌手活動を続けたが、ヒット曲には恵まれず、女優としてドラマに出演したり、バラドルの道へ進むことになる。

「でも私は歌手を一度も卒業してないからね」

 歌番組のオファーがあれば、いつでも喜んで歌うつもりだ。

歌手からバラドルの道へ、紳助さんから司会に大抜擢

'90年代中盤からはバラエティー出演が増え、ひっぱりだこの存在に

 島崎は高知県で生まれ育ち、中学生のときにアイドルに憧れて「ロッテ CMアイドルはキミだ!」オーディションに応募した。結果は準優勝。グランプリは逃したものの、現在も所属する事務所の当時の社長にスカウトされ、高校入学のタイミングで上京することに。父親は芸能界入りに猛反対だったが、「アイドルになる!」という島崎の決心は固かった。寮に入り、定時制高校に通いながら、歌や芝居、振り付けのレッスンを受ける日々が始まった。

「東京は初めて行く場所で、10代なんて怖いものなしだから、夢しかなかったですね。毎日ワクワクしっぱなしでした。レッスンは厳しく、学校へ通いながらキャンペーンで全国を回るのでクタクタでしたけど、無我夢中で、やめようと思ったことは一度もなかったです」

 一方、音楽業界ではバンドブームが到来し、アイドルにとっては厳しい時代が続いていく。

 テレビではバラエティー番組が増え、“バラドル”と呼ばれる女性タレントが登場し始めた。元祖バラドルは、森口博子、山瀬まみ、井森美幸、松本明子といった面々だ。島崎も次第にバラエティー番組で存在感を増すようになっていった。とはいえ、誰もが簡単にバラドルになれるわけではない。場を盛り上げる面白いトークやリアクションといった、芸人並みの才能が必要とされる。そこに不安はなかったのだろうか。

「すでに先輩方がバラドルの道を切り開いてくれていたから、私もその世界にすんなり入っていって、やっていくことができたんです。当時は私が10代の感覚のまま発言するだけでウケて、とがった発言をしていたわけでもないんですよ」と島崎は当時を振り返る。

 同期のアイドルたちが女優を志望する中、島崎は番組を選ばず、どんな番組に対しても求められる役割を理解し、まじめにコツコツとチャレンジしてきた。そんな姿に目を留めた人物が、引退した島田紳助さんだった。

 島崎は紳助さんが若者を応援する深夜番組『青春!島田学校』(TBS系)に出演していた。

 ちょうどそのころ、TBSは新しいクイズ番組を作るため、司会の紳助さんのアシスタントを務めるタレントを探していた。番組プロデューサーが紳助さんに相談したところ、「和歌子はなんか面白いし、和歌子でいこう」と意見が一致し、決まったという。カメラが回っていないところでも態度が変わらず、一生懸命、番組に取り組む島崎の姿を番組プロデューサーも紳助さんも見ていたことも大きかった。

 当時まだ知名度が低かった島崎の大抜擢には、本人はもちろん所属事務所もビックリしていたという。

番組のすごさも影響力もわからなかった

ロケで訪れた岩手県花巻市の観光名所「イギリス海岸」にて

「紳助さんのアシスタントをやりたい人はいっぱいいたと思います。だから『抜擢されてうれしいでしょ?』と言われることも多かったのですが、まだ18歳だったので、その番組のすごさも影響力もわからなかったんです。俳優さんや歌手の方々をはじめ、テレビをつくってきた200人もの錚々たるメンバーがそろう番組です。怖さを知らないからこそ挑戦できたのかもしれません。今思えば若さってすごいですよね……」

 それが現在も続く名物番組『オールスター感謝祭』だ。TBSの人気番組・新番組に出演する大人数の芸能人が参加するクイズ番組で、通常、春と秋の年に2回生放送されている。紳助さんが引退した後は、紳助さんの後輩でもある今田耕司とともに総合司会を務め、島崎は初回から32年間、番組唯一の皆勤出演者だ。

 初回の放送前には週に何度もTBSに通い、ベテランのアナウンサーから発声やイントネーションの指導を受け、リハーサルを重ねた。

「最初はアシスタントというポジションでしたが、20代半ばくらいから『司会』と認められるようになったんです。努力していれば周りはちゃんと見ていてくれるんだとわかってうれしかったですね」

 仕事に対して厳しいイメージのある紳助さんだが、島崎は一度も怒られたことがないという。

「だからこそ萎縮せずにやってこれたのだと思います。最初はうまくできなくても、見守ってくださり、よく使ってくれたなあと感謝しています。どんなことでもコツコツと積み上げていくのが大事というのが私のモットーですね」

30年以上続けてきた司会の座は「譲らない」

もはやライフワークである『オールスター感謝祭』(TBS系)のひとコマ

 今では大ベテランとなり、スタッフ側の立場で発言することも多い。

「私は『感謝祭』に育ててもらったので、今度は私がスタッフを育てる番。細かいことも指導して、うるさいと思われているかもしれませんが、大事なことは伝えていかなければいけません。30年以上も続けていると、フロアでずっと怒られていたスタッフがプロデューサーになって戻ってきたことも。長く番組をやらせてもらっていると、人が成長していくところを見させてもらう喜びもあります」

『オールスター感謝祭』は大人数の出演で、生放送ゆえにハプニングも多く、ヒヤヒヤすることも多い。

「何回もリハーサルをして、出演者の名前もしっかり頭に入れて臨むのですが、圧倒的なオーラにやられて名前が出てこない芸能人の方もいて……。加齢の影響もあるのかもしれない(笑)。あのときはゾッとしましたね。ほかにもクイズの前に正解を言ってしまったり……。でも各チームがみんなおしゃべりに夢中で、誰も私の話を聞いてなくて助かりました(笑)。機材トラブルもありましたし、コンピュータを信用しすぎてはいけないと肝に銘じています」

 大役の『感謝祭』の司会だが、「このポジションを誰かに譲るつもりはない」と島崎はきっぱりと言う。自分が思い描いていたアイドルにはなれなかったという悔しさも、頑張り続ける原動力になっている。

「『感謝祭』の司会は、私ひとりの力ではなく、スタッフみんなで一生懸命頑張って築いてきたポジション。もう年だから若い人にバトンタッチするなんて冗談じゃありません。この席は譲りませんよ。だって続けることのほうが大変で、譲るほうが簡単でしょ? 席を譲るって一見カッコよく聞こえるけど、私はイヤですね。いくつになっても番組を続けている大先輩たちを見てきたし、これからも見続けたい。倒れるまでこの席は守り続けます」

 長年、番組で島崎を見てきた放送作家でコラムニストの山田美保子さんは、『感謝祭』でのMCぶりに舌を巻く。

「もうお見事のひと言に尽きます。紳助さんと組んでいたころから堂々としていたのですが、今田耕司さんと組むようになってからは完全に和歌ちゃんがリードしています。イケメン俳優にあえて歓声をあげたり、あれだけの人数がいるのに時間内に収めたり……と、スキルがものすごい!」

 2023年、バラエティー番組『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)で『オールスター感謝祭』の裏側特集が放送されたが、それを見てますます島崎のことを尊敬するようになったという。

「事前の打ち合わせやCM中などを使って、和歌ちゃんが出演者や段取りなどのすべてを見ていることを知りました。『プレイングマネージャー』という言葉がありますが、和歌ちゃんの場合は『プレイングディレクター』『プレイングプロデューサー』かと。テレビに出るようになって私が目標としているのが“島崎和歌子さん”という存在で、今では『師匠』と呼んでいます」(山田さん)

お酒が強いことで有名だが「気遣いの人」としても知られる

よく笑い、よく気を使う。「内面も外面も、大人の美しさがある人に憧れますね」 撮影/矢島泰輔

 有能な仕事ぶりが多方面から高く評価されている島崎だが、プライベートでは酒豪として知られる。「量を飲むより、長く飲んじゃうんです」と本人が明かすとおり、若いころは朝まで飲むことも多かったという。ただし、今の若い人たちはあまりお酒を飲まない。飲み会に誘うこともコンプライアンス的な問題になりがちだ。

「ドラマや番組でご一緒しても若い人たちを自分からは誘わないですし、外に飲みに行く機会はめっぽう減りました。私、スマホじゃなくて今でもガラケーなのでLINEもやってなくて、若い人たちとは連絡が取りづらいんです。ホントは今流行っているものとか、いろいろ情報を教えてほしいんですけどね」

 よく一緒に飲むのは、年齢が近い大久保佳代子やいとうあさこだ。

「韓国旅行に一緒に行ってはしごしたこともありましたね。でもお酒を飲むときは白湯もいっぱい飲むようにしているので、悪酔いすることはないんです。周りにも水をたくさん飲むようすすめたり、お酒に氷を入れたりして嫌がられていますけど(笑)」

 長年の飲み仲間であるタレント、モト冬樹が昔の島崎との飲み会を振り返る。

「独身時代はあいつや飯島愛、神田うのらと頻繁に飲んでいて。あいつがいると場が盛り上がるし、楽しかったね。志村けんさんの誕生日会とか、いろんな場所で会ったなあ。酒を飲むとはじけて長いから、『もう帰してくれよ』と思うことも多かったけど(笑)。最近はなかなか一緒に飲む機会がないけど、たまに番組とかで会うと、昔の感じにすぐ戻れて、気を許せるんだよね。おおざっぱに見えるけど繊細だし、楽しいことが大好きで、実は俺と結構よく似たタイプだと思ってる」

 島崎は豪快に飲みながらも周りへの気遣いを忘れないことで有名だ。

「率先してみんなの世話を焼くし、すごく気が利くのよ。でも俺の周りでは気が利く女性ってみんな結婚してないんだよね。いい奥さんになりそうだから意外なんだけど。カッコつけたり、壁つくったりするタイプじゃないし、めちゃくちゃいいやつで、あいつのことを悪く言う話を聞いたことがない。でも付き合いの長い俺に対しても気を使うことをやめないからね。誕生日には必ずメールをくれたりさ。舞台に出たときは祝花が必ず届くし。もう性分だろうからずっと変わらないだろうね」(モト)

 山田さんも島崎の気遣いには驚いたという。

「人の名前やエピソードをよく覚えていらっしゃいます。裏方である私なんかのことも、大昔のエピソードや共演したときのことを話してくれて『あ、ちゃんと見てくださっているのだな』と、すごく励みになります。お花とか、名入りのタオルとかボールペンなど、記念の品を私たちにも送ってくださり、感謝しかありません」(山田さん)

 こういったこまやかな気配りができる人柄を含め、島崎の芸能界でのポジションは安泰だとモトは太鼓判を押す。

あと20年は芸能界でやっていける

上京して30年以上になるが、生まれ育った出身地・高知県の有名人として代表的な存在だ

「芸能界って独特のポジションを築いている人が長続きするのよ。あいつは若いときから飾らないキャラに磨きをかけてきて、お笑いでもないし、文化人でもない、島崎和歌子っていうポジションを持ってるじゃない? 見ていて不快じゃないし、どんなタレントと組み合わせてもうまくやっていける。あと20年は芸能界で十分やっていけると思うよ」(モト)

 一方、山田さんは、島崎を“いまや大御所”と語る。

「『昭和歌謡』がブームであるのにも似て、和歌ちゃんの芸風とキャラクターが改めて見直されているような気がします。目配りもできるし、努力もしていらっしゃる。“営業”ではありませんが、『なかなか呼んでもらえなかったから』というようなことを現場でサラリとおっしゃるのを見たことがあります。それがまったくイヤミじゃないし、島崎和歌子クラスのタレントが自分の番組に出たがってくれている……と、年齢が若いプロデューサーやディレクター陣が喜んでいました」(山田さん)

 大御所にふさわしい、番組の中での突き抜けたスキルも山田さんは称賛している。

「圧倒的にパワフルです。誰よりも先に笑い出して、誰よりも笑い終えるのが遅い。つまり、長く笑っているんです、しかも大きな声で。いわゆる“ガヤ”のスキルも、ザキヤマ(山崎弘也)さんやフジモン(藤本敏史)のような芸人さん並みに高いのですが、女性では、そんな人、いらっしゃらないですよね。

 和歌ちゃんはまったく迷いがない! 年齢を重ねても、ちょっとぶりっ子だったり、自分を飾ったりする女性バラドルが少なくありませんが、和歌ちゃんには、そういうところがまったくないのです」(山田さん)

孤独死を恐れ、目指すのは還暦婚?

歌手・タレントの島崎和歌子(51)撮影/矢島泰輔

 プライベートでは51歳独身で結婚歴なしの島崎。芸能生活は35年になるが、これまでスキャンダルとは無縁だった。モトは長い付き合いになるが、「あいつと怪しい仲なんじゃないか」と思ったことが一度もないという。

「プライベートは謎だよね。フランクだけど、気が利きすぎて男性がつけいる隙がないのかも。酒の場では、第2のアッコさん(和田アキ子)的な存在になりつつあるしな」(モト)

 一方、山田さんは、「本当はモテてきたはず」と言う。

「和歌ちゃんは『断捨離をしすぎて家の中が寒々しい』と笑っていらっしゃいましたが、おそらく、いい意味で合理的な方で、無駄がお嫌いなのだと思います。一つ屋根の下で誰かと暮らすことは無駄だらけですからね、時間なども含めて。それが煩わしいのかなぁ。でも、飲み会などの“付き合い”は抜群にいいわけで、姉御肌でもある。心身共に、誰かにエネルギーを注いであげることも億劫がらない優しい方ですし、美人さん。和歌ちゃんさえ心を決めれば、一緒に暮らしたいという男性はいるのでは?」(山田さん)

 実際、結婚についてどう考えているのかを島崎に聞いてみた。

「阿川佐和子さんが還暦婚をされたので、60代になってから結婚してもいいんだなって道しるべになりました。年を取ると残り時間も限られているからケンカもしないっておっしゃっていて、それはいい!と思ったんです。でもコロナ禍でも一人で平気だったので、パートナーが必要なんだろうかと思うことも……。ホント、この先、私どうするんでしょうね?(笑) 推しとかもいなくて、K-POPにも心が動かないし、ペットを飼うことも考えてないしね」

孤独死への不安

マツコ・デラックスと島崎和歌子

 ただ孤独死への不安はあり、そのために新聞を取っているという。

「家で倒れていても、仕事をしていたら『現場に来ないのはおかしい』とマネージャーが見に来てくれるはず。でも長いお休みのときに倒れて、しばらく発見されないとかは怖いですよね。新聞がたまってたら配達の人が『おかしい』と思ってくれるだろうから、新聞を取るのをやめられなくなったんです」

 いつも明るく元気なイメージの島崎だが、ちょうど更年期世代でもある。

「49歳のときに更年期の番組を半年間担当させていただいて、更年期についてオープンに話せるいい時代になったと思いました。私が若いころは、女性の先輩がイライラしていると『更年期?』と男性から揶揄されたりすることもありましたから。私の場合、45歳くらいから肌質が変わって、ウールのセーターとかがチクチクして着られなくなりました。パフォーマンスを上げるためにはとにかく睡眠を取るようにしています」

 以前はスケジュールが空くと不安になったが、最近では「休むことも仕事」だと思えるようになったという。

「40歳を過ぎてからは休んで身体のメンテナンスをすることも仕事だと考えています。職業柄、暇ができると不安になるのですが、休むのも仕事だと思うと、気持ちが軽くなるんです。コロナ禍で仕事が少なくなったときも、身体と心を休ませることができたので、結果的によかったと思っています」

 休日はどこにも行かず家の中にこもることが増えた。20代のときは新しいお店ができたらすぐに行っていたが、今は家でテレビを見たり、本を読んだりして、なるべく予定を入れずに過ごしている。

「この年齢になるとスケジュールを入れたものの、朝起きたときに行きたくなくなることも増えるんです。でも友達とごはんに行く約束をしていて、ドタキャンすると嫌われます。だから前もって予定を入れないのが一番で、当日のその場のノリと自分の気分で行くかどうか決めることが多いですね。予定を入れることがストレスになるので」

 家の中で過ごすことが多くなった分、定期的に断捨離をして快適な環境を整えている。一昨年は腰痛予防のため、ベッドのマットレスを捨てたという。

「柔らかいマットレスは腰が沈んでよくないと聞いて捨てたんですが、大きなマットレスを運んで捨てるのも大変でした。捨てるのにお金もかかりますし。今はすのこベッドに布団を敷いて寝ています。バッグも軽いものがラクで、ナイロンが一番。ヒールも仕事以外ではかず、ふだんは運動靴です。洋服は締めつけられるのが嫌になってくるし、宝石もいらないし、どんどんシンプルな生活になっていきますね。でも、何があるかわからないから、お金だけは欲しい(笑)」

仲間に入れてくれた上島竜兵への恩返し

歌手・タレントの島崎和歌子(51) 撮影/矢島泰輔

 芸人との交流も多い島崎は「竜兵会」の一員として、2022年に亡くなったダチョウ倶楽部・上島竜兵さん(享年61)にもかわいがられていた。

「有吉(弘行)さんをはじめ男性だけでワイワイしている会なのに、私を認めて、仲間に入れてくれて、うれしかったですね。でもコロナ禍でなかなか会えなくなってしまい、もっと連絡を取っておけばよかったと悔いました。この年になるとお葬式に出ることが増えて本当に嫌になりますが、悲しみを分かち合える仕事仲間がいることはありがたかったです。ヒット曲には恵まれなかったけれど、仕事仲間、スタッフ、先輩、後輩と人には恵まれてきたなと、つくづく思います」

 上島の妻で、ものまねタレントの広川ひかるは、自身のブログで島崎の心遣いに驚いたことを明かしている。葬儀だけでなく一周忌の法要に来て、参列者を大笑いさせてくれたこと、そのときに撮った写真を写っている人の人数分現像して送ってくれたこと、広川の著書を購入して配ってくれていることなど。島崎がそういった行動をする理由は「竜兵さんにたくさんご馳走になったし、竜兵さんを忘れてほしくないから」だという。

「ちょっとでも恩返しができればと思って。残された人が一番大変ですからね」と島崎は話すが、なかなかできることではない。どこまでも気遣いの人なのだ。

 人生100年時代となり、島崎自身は生涯現役で仕事をしたいと考えている。

「90歳までは40年近くもありますが、黒柳徹子さんも90歳で現役ですからね。私も90歳になっても『アンサーチェック!』とか言ってたりして。そう考えると楽しみですね。テレビ局もどんどん予算が減っていく厳しい時代に、長く使ってもらえて本当にありがたくて、奇跡のようです。これからも頑張って、みんなをがっかりさせないことが大事だと思っています」

 インタビュー中、何度も「感謝」という言葉を使い、“人生感謝祭”を地でいく島崎だからこそ、長く芸能界で活躍してこられたのだろう。

 60歳まではあと10年を切り、ひそかに考えているのが「還暦ビキニ」の写真集だ。

「宮崎美子さんの還暦ビキニ姿がすごく素敵で。無理をしていなくて、爽やかだし、かわいさもあって。藤あや子さんのビキニもきれいでしたよね。20代や30代できれいな身体を残す写真集もいいけれど、この年になると60歳のビキニ写真に魅力を感じます。大人の女性としての美しさを年齢を重ねたときに残しておきたいなと。とにかく健康で病気をしないよう気をつけていれば実現するかもしれないですね!」

 マツコ・デラックスに「無駄に美人」と言われた島崎。内面も美人だということを、島崎を知る人たちはみな知っている。そして、60歳になったら還暦ビキニでその美しさの健在ぶりを披露し、世間をアッと言わせてほしい。

<取材・文/垣内 栄>
かきうち・さかえ IT企業、編集プロダクション、出版社勤務を経て、 '02年よりフリーライター・編集者として活動。女性誌、経済誌、企業誌、書籍、WEBと幅広い媒体で、企画・編集・取材・執筆を担当している。

ヘアメイク/AKICO スタイリスト/宮前和宏
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