相撲界に久々の大スターが誕生した。春場所で優勝した尊富士(たけるふじ)が大記録を打ち立てたのだ。
「新入幕で初優勝というのは、110年ぶりの快挙です。大正3年以来ですから、歴史的な記録。殊勲賞、敢闘賞、技能賞の三賞も同時に受賞。これは新入幕としては51年ぶり。青森県の五所川原出身力士の優勝は、昭和9年以来の90年ぶりです」(スポーツ紙記者、以下同)
相撲界のNEWスター・尊富士
尊富士は、五所川原市金木町出身。太宰治の生家があることで有名だ。
「吉幾三さんの出身地でもあります。学生横綱で日本大学の元理事長だった故・田中英壽氏も同郷ですね。尊富士の祖父は、田中氏と同学年で相撲が強かったのですが、身長が規定に足りず、大相撲入りを諦めました。夢を孫に託し、保育園のころから稽古をさせたそうです」
小学6年生から隣町の相撲道場『つがる旭富士ジュニアクラブ』に通うように。
恩師の越後谷清彦監督に当時の尊富士について聞いた。
「厳しく教えていましたから、今でも私のことは怖いと思っているかもな(笑)。絶対に強くなるっていう確信がありました。負けん気の強さがずば抜けていましたよ。でも、後輩の面倒もよく見る子でした。中学生になってからは一気に伸びましたね」
当時は、プロの力士になると考えていなかったという。
「高校3年のとき、伊勢ヶ濱親方と面会して、入門を断っていました。“大相撲には絶対に行きません”って。決心したのは大学4年のときじゃないかな。
ウチは大相撲に入るための養成所ではないので、気持ちよく鍛えるというやり方です。ただし、彼はいわゆるエリートではないけれど、エリートと同じくらいの実力があると、私は気づいていました」(越後谷氏、以下同)
越後谷氏の2年先輩にあたる伊勢ヶ濱親方は毎年、青森に合宿にやって来て、尊富士に声をかけていたという。
'22年、『伊勢ヶ濱部屋』に入門して初土俵を踏む。スピード出世をして、'24年3月場所で新入幕を果たす。
14日目、朝乃山との一番に敗れて右足を負傷したが、千秋楽では前に出る相撲で押し切った。
「私は、前に出ろ、土俵を走れ!って、よく言ってたので。でも、教えたからというより、本人の努力でしょう」
苦手なものはラーメン!? 愛され尊富士
尊富士の弱点も聞いてみた。
「苦手なのはラーメン。何でも食べるのにラーメンだけは食べなかった(笑)」
東京の錦糸町駅に近い伊勢ヶ濱部屋の周辺では、よく飲食店に出入りしていた。
「尊富士さんは、何度か先輩の弁当を買いにおつかいで来ていました。でも、下積み時代はすぐに終わって、今はもう来ていないですね。力士は寡黙な人が多いけれど、彼はニコニコしていて、人当たりがいいですよ」(部屋近くの弁当店店員)
気さくな人柄で評判がいい。
「ニコニコして、よく話すし、どんどん注文して、たくさん食べてくれましたよ。ほかの入ったばかりの人はおとなしいから、彼は印象に残っています」(お好み焼き店店員)
伊勢ヶ濱部屋のある町内会の会長、松島憲二さんも、尊富士の人当たりのよさを褒める。
「愛想がいいし、素直なんです。先輩から言われたことをプラスに受け取るのがいい。
先場所で十両優勝したときは、近所の一軒一軒に顔を出してね。周りから好かれなきゃダメだと私も言っているんです。稽古ではバシバシ音を立てるわけだから、近所から嫌われたらダメだって」
愛されキャラの尊富士だが、気がかりなことも。
「体格のわりに足首が細くて心配でした。親方も無理はさせたくないようでしたが、痛み止めを打って勝ったからね。人がいいだけじゃなくて、鬼にもなれる。これから研究されて壁にぶち当たることもあるでしょうが、彼ならまだまだやれるでしょう」(松島さん)
尊富士は高校・大学時代にアキレス腱断裂などのケガが多く、思うように活躍できなかった。でも、松島さんの妻である町内会長夫人は、尊富士の前途を楽観している。
「部屋に来ているマッサージ師さんが言っていたんだけど、彼の身体は全身がバネだって。あと、部屋のおかみさんは決断力があるし、人をよく見ている。どんな若手でもよく見ていて“頑張ったね”“もう少しだね”って声をかけて。全員の誕生日を把握して、ねぎらいの言葉と一緒にプレゼントを渡すんだって」
おかみさん、行きつけの店、祖母の洋子さんに話を聞いた
伊勢ヶ濱部屋を訪ねると、力士や親方は大阪から戻っていなかったが、おかみさんが忙しそうに出てきた。尊富士の活躍の裏に、おかみさんの尽力があるとの話を伝えると、
「とんでもないです」
と言って立ち去ろうとしたところに、「弟子たちにバースデープレゼントを渡すそうですね」と声をかけると、
「えっ、なんで、そんなこと知ってるの?」
と言いながら笑顔で部屋に戻っていった。
行きつけの焼き鳥店『ひげの平山』の平山大二郎さんは、尊富士が陰で努力していることを知っている。
「初めて会ったときから、ほかの相撲取りとは身体が違うと思いましたね。プロレスラーみたいでしたよ。
彼は稽古が終わるとウエイトトレーニングのジムに通っているんです。上半身はとにかく筋肉が厚い。まるで冷蔵庫。よく研究もしていて、食事しながらスマホで自分の取組の動画を見ています」
2年前に部屋に入ってから、毎月来ているという。
「優勝が近づくと緊張しない?と聞いたら“自分はしないんです。まったく緊張したことがない”って(笑)。酒は飲まずに、ひたすらコーラ。験担ぎで、大きなおにぎりを食べていくんですよ。焼き鳥やほかの料理を食べた後に、締めのおにぎりなんです」(平山さん、以下同)
尊富士はラッパーのAK−69のファンだというが……。
「いつもイヤホンして来ますね。社交的で、ほかのお客さんと話したり、一緒に写真を撮ったり。常連の女性客から“彼女いるの?”と聞かれて“いないよー”って答えていました(笑)」
地元の五所川原に帰郷する前日、店でこう話したという。
「とにかくおばあちゃんのごはんが大好きで、実家に帰ったら外に出ないって。すごくおばあちゃん子みたい。かわいい一面もありますよ(笑)」
どんな料理が好きなのか。祖母の工藤洋子さんに電話で聞いてみた。
「名物の馬肉のみそ煮が好きです。本来は高菜とか野菜も入れますが、肉の味がハッキリしたものが好きなので、入れるのはナスぐらい。ピリッとした味ですね」
ラーメンはもちろん、カレーやパスタも食卓に出ない。
「帰ってきたときはナマコとか、東京では食べられないものですね。やっぱり鮮度が違うからか味が全然違うって。この辺りではどこでも作っているようなものだけれどね。ニンジンや高野豆腐を入れた“たらの子あえ”もよく作ります。鮫の頭を酢の物にした“鮫のすぐめ”も好きですよ」(洋子さん)
尊富士のパワーの源は、おばあちゃんの手料理だった。地元に帰ってゆっくりケガを治したら、来場所もきっと活躍してくれるはず!