セットのないステージに身ひとつで立ち、己のしゃべくりだけで客席を沸かせる漫談家の街裏ぴんく。ピン芸人の王者を決める『R-1グランプリ』に挑み続け、今年行われた第22回大会で、ついに過去最多5457人の頂点に立った。優勝の瞬間、ピンクのスーツに身を包んだ巨体を震わせ、床に膝をついて涙を流す姿にもらい泣きした視聴者も多かったのでは。そんな新王者の現在の心境や今後の野望を聞いた。
アンケートに「怖い」と書かれたことも
芸歴制限が解除されたことで4年ぶりに『R-1グランプリ』に参戦し、初の決勝進出から王者に輝いた街裏ぴんく。温水プールで石川啄木に出会う(!)という空想漫談でファーストステージを2位通過し、決勝では5人中3人の審査員が街裏を推しての優勝だった。
「いつもお世話になってる師匠(ハリウッドザコシショウ)が、1本目のネタでは高く点をつけてくれたんですけど、芸に厳しい人なので、2本目はどうかな?とドキドキしてました。審査中は、オトンとオカンと嫁さんが脳裏に浮かんでて、3人に『いけるかな?』ってやんわり話しかけてたんですけど、師匠の札がめくれた瞬間、『いったー』って。気づいたら涙があふれてました。
あれからずっとフワフワしていて、いまだに夢の中にいるみたいです。漫談というスタイルにこだわり続けて、持ち味そのままでいけたのが何よりうれしいですね」
『R-1』決勝をひとり自宅で見ていた妻は、優勝の瞬間、膝をつき、気がつけば街裏と同じ格好で泣き崩れていた。
「それを聞いたときは僕も震えましたね。何度も泣かせてきたし、とんでもない量の苦労をかけてきたので、これで少しは許してもらえるかな?という甘い思いもあります。
職場の人たちにも街裏ぴんくの妻だということは知られているらしいのですが、今回の優勝で『いい思いをさせてもらってるわ』みたいなことを言ってくれて。今までそんなふうに言ってもらえるようなことを成し遂げたことがなかったので、嫁さんが少しでも、したり顔できたなら、救いになります」
苦節20年の街裏が、最も苦しかったのは上京直後。大阪時代は小さな劇場ながらもウケるネタがいくつもあったが、上京後の半年は何をしてもウケない。ライブ終わりのアンケートに、ただひと言「怖い」と書かれていたこともあった。
「そこで修業のために『浅草リトルシアター』に行ったんです。観光客が多く、漫才やわかりやすいコントが求められる劇場だったので、それまでの武器はいったん捨てて、どうやったら1人しゃべりで笑ってもらえるかをひたすら追求しました。
これを続けていけば、ゆくゆくは好きな漫談で食っていけるという確信めいたものも少しありましたが、奥歯を噛みしめた日もありました。そこで4年、漫談家としての話芸を高めていけたことで、今自分がやりたい芸ができてるんやと思います」
街裏が己の芸をモノにしようともがいていた時期、妻がバイトを掛け持ちして生活を支えてくれた。お笑いファンだった妻との出会いは大阪時代。ブログを通じて連絡を取り合うようになり、初デートで街裏から交際を申し込んだ。その後、結婚して2人で上京。
「お笑いの世界にしがみついて稼いできてください」
「嫁さんは『(売れるのに)時間がかかる芸だから私が働く。とにかくライブに出ろ』と言ってくれてたんです。だけど、あまりにその期間が長すぎて、『もう、頑張られへん』みたいな時期もあって。僕もバイトするんですけど、嫌になってすぐに辞めてしまうの繰り返し。
一昨年の夏ごろ、『今年いっぱいで売れる兆しがなかったら、この世界を離れて働こうと思う』と告げたんです。そしたら嫁さんが、『何度もバイトを辞めてきたヤツが働けるほど社会は甘くない、ナメるな』と。何としてでもお笑いの世界にしがみついて稼いできてください、と言うんです。それで腹をくくりました」
実は街裏、2022年に行われた芸歴11年以上のプロのみが参加できる大会『Be-1グランプリ』で優勝している。だが、暮らし向きが変わる気配は一切なく、先の発言はつい出た弱音でもあった。
「活を入れてもらってエンジンかかりました。そうしたら、2023年はいろんな仕事をさせてもらえるようになって、兆しが見えてきたんです。ほんま、嫁さんのおかげです」
街裏が芸人を志し、漫才コンビとしてデビューしたのは大学在学中の2004年。しかし、相方が「ちょっとわかりにくいから、こっちをやろう」と街裏が書いたネタに難色を示すたびにフラストレーションがたまっていった。
「自分が考えたネタを、1人で思いっきり客席にぶつけてみたくなって解散しました。1人になって、最初はフリップを使っていたんですが、1年ぐらいして漫談に変えて。当時ネタ見せをしていた作家さんが、『街裏は顔が怖いから、ギャップを狙うんじゃなくて、そのままキレ芸やったらおもろいんちゃう?』と言ってくれたんです。そこから、自分のスタイルをつくれたら大きいぞと模索し始めたのが2008年ごろです」
世間話から始まり、実在の人物や出来事について語るのが一般的な漫談だが、街裏の芸は虚実入り交じった空想漫談。「なんや、それ!」「んな、アホな!」と観客が脳内ツッコミを入れることで成立する。
そのためにはまず、ファンタジー世界を脳内再生してもらう必要がある。ネタの強度はもちろん、客席に理解が浸透するのを待つ「間」や声の抑揚など、会場の空気を読む力も重要だ。
「その力は、浅草時代に培いました。いろんなお客さんがいて、ライブ中にしゃべりかけてくる人もいれば、お客さん同士が普通にしゃべってて聞いてくれてへんときもある。僕、そこで笑ってもらえる技を編み出したんですよ。例えば、『街裏ぴんくと申します。こう見えて女性じゃ……』とコールすると、『なーい!』と返ってくる。実際に声を出してもらうことが、浅草で一番ウケた。『こういうの、楽しんでくれはるんやな』と肌で感じて、そこからですかね。場の空気を見ながらやれるようになったのは」
街裏が、芸を磨くために摂取したエンタメは多岐にわたる。YouTube黎明期は、ビートたけしのコント番組を見てしゃべりのリズムを学んだ。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』のフリートークにも影響を受けた。
例えば、視聴者から『松本さんがレスキュー隊時代の話を聞かせてください』とのハガキがきたら、松本が空想の体験談を話し、浜田がそれにツッコむ。
「『ガキ使』とか、さまぁ〜ずさんのコントライブを子守り歌のようにして寝てました。気に入ったものがあると、ずっとその音で空間を満たしていたいんです。新喜劇の池乃めだかさんが、感動的な場面で狂気じみたことを言う不条理ギャグや、ヤン・シュヴァンクマイエルのシュールな短編映画とかも好きですね。
説明つくところまでは普通なんですけど、見てる側が『どういうことやねん!』ってツッコみだしてから面白くなるという。僕の漫談もそうですけど、自分の頭の中でツッコミを入れるという文化がない人には難しいネタかもしれません。だけど、そんな人にも伝えられるのが本物やと思ってやってます」
ネタを作る際は、街中で実際に聞いた声を携帯にメモし、そこに不条理要素を絡めてゆく。
「僕が郵便局の2階に立てこもるネタがあるんですけど、設定を考えたら、窓の外に何が見えたら面白いか? 洞穴があったら、どこにつながってたらワクワクしてもらえるかを考えるんです。そこは、ウォルト・ディズニーと一緒の考え方ですね(笑)」
そんな街裏に今後の野望を聞いてみた。
「4月に初めて石川県で独演会をやらせてもらうんですけど、開催できる土地を増やしながら、大阪・東京では規模を大きくしていって、一生、漫談で全国を回りながらファンの人に会いに行くような生活ができたら。あとは賞金で嫁さんと旅行に行きたいですね」
取材・文/山脇麻生 撮影/北村史成
第十七回 街裏ぴんく漫談独演会『一人』の東京公演が5月19日(日)に『なかのZERO 小ホール』にて。大阪公演が5月25日(土)に『扇町ミュージアムキューブ CUBE01』にて開催