4歳の眞子さん、1歳になる直前の佳子さまを中心に微笑ましい日常の秋篠宮ご一家(1995年11月)

 秋篠宮家の次女・佳子さまは、今年12月に30歳を迎える。20代最後となる2024年、これまで以上に公的な活動に励み、より充実した日々を重ねることだろう。29年の歩みを振り返りながら、広く国民に親しまれる佳子さまの「今」──。

「無事に生まれてよかったということ、そして、12年ぶりになりますので、私たちにとっては久しぶりの赤ちゃんというわけですけども、その意味で大変新鮮な印象を受けました。部分前置胎盤ということで、比較的早い時期から入院をしたわけですけれども、近年は医療が非常に発達しておりますので、必要以上に心配することはなかったと思います」

佳子さまに次いで3人目の悠仁さま

赤坂御用地で、秋篠宮さまの誕生日に。悠仁さまの手をしっかりと握る佳子さま(2012年11月)

 2006年9月6日、秋篠宮ご夫妻に長男、悠仁さまが誕生した。ご夫妻にとっては小室眞子さん、佳子さまに次いで3人目のお子さまだが、皇室にとっては1965年11月30日、秋篠宮さまが生まれて以来、約41年ぶりとなる男子の誕生で、国民の喜びは大きかった。

 現行の皇室典範では、《皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する》と定められており、女性皇族は天皇になれず、結婚すると皇室を離れることになる。前回の連載でも触れたが、こうした男性優位の皇室にあって1969年4月18日、秋篠宮さまの妹である黒田清子さんが誕生してから、2001年12月1日、天皇、皇后両陛下の長女、敬宮愛子さままで連続して9人の女性皇族が生まれ、皇位を安定的に継承する上で危機的な状況が続いていた。

 東京都港区の愛育病院に入院していた紀子さまは、胎盤の一部が子宮口をふさぐ「部分前置胎盤」だったため、予定日より約20日早い帝王切開での出産となった。'06年11月24日、誕生日を前にした記者会見で冒頭のように秋篠宮さまは、佳子さまが生まれて以来の第3子誕生の感想を述べ、帝王切開手術を受けた紀子さまを気遣った。

 紀子さまは、「宮さまも私が入院している間、また入院する前、久しぶりに経験する出産、そして、それに加えて前置胎盤であること、そのような中で不安を持っている私を冷静にまた優しく支えてくださり、必要な医学的な事柄をわかりやすく話してくださり、大変うれしゅうございました」と、秋篠宮さまの温かい心配りに感謝した。続けて、ご夫妻は見舞いにたびたび訪れた佳子さまの様子などについて次のように紹介した。悠仁さまが誕生した当時、佳子さまは11歳、小学校6年生だった。

佳子さまたち家族の絆がより一層深まる

2014年11月、秋篠宮さまの誕生日に際しての家族写真。眞子さんは当時、英国に留学中

「娘たちも、ちょうど私が病院に入院していたときは学校が夏休みだったこともあり、宮さまと一緒に、あるいはそれぞれ都合のよい折に、よく見舞いに来てくれました(略)。

 佳子は、ほぼ毎日こちらを訪ね、私の傍らで学校の夏休みの宿題をしたり、留守にしていた家で私がいなかったときの家の様子や、スケートの練習について楽しそうに話してくれました」(紀子さま)

「子どもたちの中でも特に下の、もう今は下とは言っていけないのですかね(一同笑う)。次女の佳子にとっては、母親と長く一緒にいられる時間がとてもうれしかったみたいですね。ですから、足しげく通って、病院で宿題をしていたんでしょうね。(略)

 上の眞子につきましては、佳子ほど長く頻繁に行くということはなかったと思いますけれども、その分、私との会話の時間が多くなりまして、その意味でいい父娘交流ができたと思っております」(秋篠宮さま)

 ご夫妻のやりとりから、悠仁さまの誕生に向けて、佳子さまたち家族の絆がより一層、深まっていく様子が手に取るように感じられ、とても微笑ましかった。'06年9月6日午後3時過ぎ、佳子さまは父親と姉の3人で入院先の愛育病院を訪問し、弟の悠仁さまと初めて対面した。

 佳子さまはこの日午前、学習院初等科の始業式に出席していた。青のチェックのワンピースを着た佳子さまは病院玄関前で秋篠宮さまや眞子さんと車を降り、「おめでとうございます」などとの記者たちからの声かけに笑顔を見せ、会釈をして病院内に入った。

 秋篠宮さまが悠仁さまにつけた愛称は「ゆうゆう」。家族の間では「ゆうちゃん」と言われていたらしいが、佳子さまたちは、さらに親しみを込めて「ゆっぴー」と呼んで可愛がっていた。

 '14年12月15日に行われた成年を迎える前の記者会見で佳子さまは、記者たちから悠仁さまについて尋ねられ、次のように答えた。

「弟につきましては、私は幼いころから弟か妹が欲しいと思っておりましたので、弟が生まれたときは非常にうれしかったことをよく覚えております。年は離れておりますが、ケンカをしたり一緒に遊んだりしております。最近は姉が海外にいて、また、両親も仕事で家にいないことが多かったため、2人で折り紙をしたり本を読んだりして過ごす時間もございました」

佳子さまが悠仁さまの文化祭におしのび参加

悠仁さま誕生の知らせを受け、愛育病院に到着した、佳子さまと眞子さん(2006年9月6日)

 この連載で以前、佳子さまが昨年9月、悠仁さまが通う東京都文京区の筑波大学附属高校の文化祭におしのびで訪れ、悠仁さまと言葉を交わしたという報道を紹介した。ベビーカステラを提供する屋台前に友人と一緒に並んでいた悠仁さまに、笑顔の佳子さまが手を振って近づき、短い会話を交わしたという内容だった。

《高校生になっても弟は、このように姉と親しく、姉もわざわざ、弟の高校の文化祭に足を運ぶほど、弟をいつも気にかけ、大事に思っているのだと改めて感心した》と私は書いたが、現在でも姉と弟は「ケンカをしたり一緒に遊んだり(する)」という親しい仲なのだろう。

 実は、こんなエピソードもある。'07年11月の秋篠宮さまの誕生日会見で、両親は佳子さまが天皇家の長女、敬宮愛子さまの面倒をよく見る様子を紹介している。

「夏でしたね。こちらの家のほうに皇太子同妃両殿下と愛子内親王とが遊びに来られて、何て言いましょうか、年齢的にどちらかというと近い2番目の娘が特にそうなんですけれども、愛子内親王と遊んだりそういう触れ合う機会を楽しみにしているんですね」(秋篠宮さま)

「敬宮さまは年齢の近い佳子、それから眞子と動物のぬいぐるみやおもちゃなどで遊び、そばでは悠仁がうれしそうに過ごしております」(紀子さま)

 愛子さまや悠仁さまからすると、佳子さまは頼りがいのある姉という存在なのだろう。総じて佳子さまは小さいころから、子どもが大好きで、子どもたちをとても可愛がった。今年の公的な活動の場で、佳子さまと子どもたちが交流する場面がもっともっと見られればうれしい。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に『秋篠宮』(小学館)、『美智子さまの気品』(主婦と生活社)など