シブがき隊、キャンディーズらのアイドルソングから、布袋寅泰の代表曲『POISON』まで、48年のキャリアで2700曲を超える作詞を手がけた森雪之丞氏。ユーモラスで一度聴いたら忘れられない歌詞は、世代を超えて聴く人を魅了する。柔和な笑顔と語り口で、その原点を振り返ってくれた。
元はアーティスト志望だった
シブがき隊『NAI・NAI 16』、斉藤由貴『悲しみよこんにちは』といった昭和アイドルを代表する曲や、氷室京介『ダイヤモンド・ダスト』などのロックやポップスに至るまで、ジャンルを問わず幅広い作風でヒット曲を生み出してきた、作詞家の森雪之丞さん。
48年のキャリアで手がけた楽曲はなんと2700曲超え。アーティストからの信頼も厚く、作詞家デビューから30年を迎えた節目の際にはポルノグラフィティや大黒摩季など、彼を敬愛する著名な歌手たちが記念アルバムにこぞって参加した。
そんな森さん、実は最初から作詞家の道に進もうとしたわけではなく、元はアーティスト志望。高校時代にバンドを組み、大学在学中からシンガー・ソングライターを目指して自作曲をレコード会社に持ち込んでいた。
「ただ僕の歌はつたなかったので、“作詞だけやってみないか”と、曲を持ち込みしていたレコード会社のディレクターに言われて」(森さん、以下同)
そして当時、ザ・ドリフターズが所属していた渡辺プロダクションを紹介され、木の実ナナの歌を依頼された。
「その時の僕はまだ20歳の若造で、ナナさんみたいな大人の女性の歌は書けず苦戦していました。そしたら “ドリフは書けるんじゃない?”と渡辺プロのディレクターにすすめられて作詞をすることに」
そんな中、渡辺晋社長(当時)の自宅に突然招かれたという森さん。
「社長の家にお邪魔するだけでもすごいのに、なんとそこにドリフのメンバーが勢ぞろいしていて。知らされていなかったからすごく動揺して、打ち合わせが終わり緊張がとけた瞬間に失神しました。渡辺社長は、“倒れるくらい必死にやってくれてるから、これからも雪之丞に仕事を回そうか”と言ってくれて(笑)」
以降、1年ほど渡辺社長に詞を見せてはダメ出しを受けつつ、'76年に『ドリフのバイのバイのバイ』で22歳の時に作詞家としてレコードデビュー。ドリフのメンバーで、森さんが失神した現場にもいた志村けんさんとはその後、こんな縁も。
「僕が独身だったころ志村さんと六本木でよくお会いしていて。僕の婚約パーティーを開いた時には、偶然同じ店に志村さんがいらっしゃって、お祝いだからと大勢いた僕ら全員分の代金をいつの間にか払ってくださったんです。さすが粋な方だと思いました」
渡辺プロに通ううち、同世代のキャンディーズの作詞に声がかかり、'76年のアルバム『春一番』の中の3曲を担当。若くしてヒットメーカーの地位を確立した。
アイドルがヒットチャートでしのぎを削っていた当時、森さんは年間200曲も書く忙しさ。制作チームとの話し合いで曲作りを進め、アイドル本人とはレコーディング以外会わなかったそう。時には行き違いも発生した。
「ディレクターと僕とで曲の方向性が決まっていたのに、歌入れに立ち会ったらアイドル本人から“私、こんな歌嫌い”と言われて。ディレクターとアイドルとの間で、方向性の確認が取れてなかったんです。歌う本人の気持ちを酌み取れない作り方は違うんじゃないかと思いましたね」
布袋寅泰とロンドンで1か月間寝食を共にし曲作り
そうした経験からアイドルの作詞から離れ、アーティストが主導権を持つロックの世界へ。布袋寅泰からソロアルバム『GUITARHYTHM II』('91年)の作詞を任され、ロンドンで1か月間寝食を共にし曲作りを行った。
「お互いリスペクトしながら、相手のいいところを引き出して自分とまぜていく。理想的な相棒として仕事ができて幸せでした」
布袋とのコンビで『POISON』『スリル』(共に'95年)など大ヒット作が生まれ、布袋とタッグを組んだ曲は34年間で100曲に上る。
一方で'83年に『キン肉マンGo Fight!』を作詞し、アニソンも手がけはじめる。
「当時のアニソンってヒットチャートを意識しなくていいし、自由だったんです。楽しいものを作るためにいろんなアイデアを注ぎ込めました」
そして'89年に日本のアニメ文化を代表するアニソンとも名高い『ドラゴンボールZ』の『CHA-LA HEAD-CHA-LA』が誕生。原作の鳥山明さんと会ったのは一度きりだったが、「最高でした」と称賛の言葉をもらったそう。先日の鳥山さんの訃報を受け、森さんの思いは─。
「『ドラゴンボール』の新作も今秋から決まっていて、ご本人としては道半ばで悔しかったでしょうが、成し遂げられたことは本当に素晴らしいと思います。ご一緒できたことが僕にとって誇りですし、幸せでした」
'17年に森さんが作詞して氷川きよしが歌ったテレビアニメ『ドラゴンボール超』の『限界突破×サバイバー』も大ヒット。演歌のイメージを覆す氷川の転換点に。
若いアーティストから刺激を受ける
「主題歌を誰に歌ってもらうかとなったとき、氷川君はこぶしを回さなくても歌えるらしいと噂で聞いて。『CHA-LA HEAD-CHA-LA』を試しに歌ってみてほしいと、デモテープを録って送ってくれないかと頼んだんです。
それが本当にカッコよくて、氷川君にお願いすることに。レコーディングで“間奏にシャウトしてみようか”と提案したら、艶のあるいい声が出まくりで驚きました。氷川君も“いろいろ言ってください!”とノリノリで。アドバイスを受けて、なんでも歌ってみようという気力にあふれていましたね」
そんな森さんは、今も新作のアニソンを数多く手がけるが、若いアーティストにも刺激を受けているそう。
「最近では、Aimerさんの『残響散歌』(『鬼滅の刃』遊郭編主題歌)が、タイトルや主人公の名前が曲内に一切出てこないのに、詩的な表現で作品世界を見事に描いていて、素晴らしかったですね」
詩人としても活動し、今年1月に自選詩集『感情の配線』(開発社)を上梓した。
「僕はある意味“言葉”という楽器を奏でるアーティスト。先生や巨匠といわれる存在になるより、アーティストでいることが大事だと思う」
その情熱は、衰えることを知らない。
取材・文/小新井知子
1954年東京都出身。作詞家、詩人、戯曲家。1976年に作詞作曲家としてデビュー以来、ポップス、アニメソング、ロックなど幅広いジャンルで数々のヒット曲を生み出す。近年は舞台・ミュージカルの分野でも活躍。