新年度を迎えて各々が新しいスタートを切った4月。かつて「少年革命家」「不登校ユーチューバー」を名乗った“ゆたぼん”こと中村逞珂(ゆたか)氏は、自身が思い描いた道を歩めていないようだ。
小学3年生から不登校となり、以後はYouTubeやSNSで「不登校は不幸じゃない」とポジティブな発信を続けてきたゆたぼん。2021年4月に中学生になっても変わらず不登校を続け、ボクシングデビュー、クラウドファンディングで資金を募って日本一周企画を敢行するなど、型にとらわれることなくやりたいことをやってきた。
そんな彼が一転して、中学校に登校し始めたのが2023年9月のこと。“少年革命家”を卒業宣言すると、地元の公立高校への進学を目指して受験勉強を始めたのだった。ところがーー、
【高校受験結果発表についてなんですけど、結果から言わせていただくと、不合格でした】
3月14日にYouTubeにて、第1志望だった高校が不合格だったことを報告。【すごくショックなんですけど、落ち込んでても仕方ないし】と、結果を受け止めた上で前向きな姿勢を見せる彼に、視聴者からは応援メッセージが相次いだ。
受験前には通信制の高校と進路を迷うも、体育祭や文化祭、修学旅行などの学校行事があることを理由に公立高を選択したゆたぼん。中学3年生にして通い始め、短い時間ながら友人と交友を深めた、等身大の15歳の学校生活が楽しかったのだろう。
少年の誕生日を100人近くの大人がお祝い
4月4日の動画では、【中学1年生、2年生と学校に行ってなかった分の内申点】と試験の点数ではなく、不登校だった時の“内申点”であったことを自己分析。それも承知の上での挑戦だったことを明かすと、4月からは高卒認定試験の合格を目指すことを報告したのだった。
これまで自らの意思で“不登校”を選んでいたが、いざ「学校に行きたい」気持ちになったら登校できなくなってしまったゆたぼん。「不登校を無責任に肯定し続けた、周囲の大人の責任でもあります」とは、彼の活動を注視してきたITライターの弁。
“不登校ユーチューバー”として一躍有名になり、いつの間にやら周囲に群がってきた“オトナ”たち。少年の誕生日パーティーに1万5000円の会費を払い、年が離れた100人近くの“友だち”がお祝いに駆けつける様は異様にも思えた。
ところが今回、大きな“挫折”を味わった15歳に声をかける友だちはいない。中でも不登校活動を手放しで称賛し、「僕が会社の社長だったら即戦力として採用」と評してきた1番の“理解者”ともいうべき脳科学者・茂木健一郎氏もスルーを決め込んでいる。
「ここ数か月の茂木さんといえば、岸田文雄内閣やダウンタウン・松本人志さんの性加害問題に熱心で、SNSやYouTubeで持論を展開し続けるもイマイチ話題にならず。“職業差別”発言で辞表提出した静岡県の川勝平太知事に矛先を変えています。
ゆたぼんの“ゆ”の字すらでてこないところを見ると、義務教育を終了して“不登校”ではなくなった、何者でもなくなった彼に興味はないということでしょうか……」(ITライター、以下同)
勉強したいんなら頑張ってやればいい
茂木氏が“ゆたぼん”に最後に触れたのは受験が始まる前の1月のことで、「ゆたぼんが進路に悩んでいるようだ」と、YouTube視聴者から見解を求められてのこと。茂木氏は【普通に高校に行く、普通に大学に行くという選択をしてもいいのかなと思います】とも選択肢としつつ、
【最近会えてないんだけど、ネットからの情報を見ると、ゆたぼんもだいぶ大人っぽくなってきたし、最近はずいぶん勉強しているみたいなんでね。大いに結構なことだな、たくましくなってきたなと見てますけど。
もともとゆたぼんがYouTubeやったり、企画したりとかすごいなと思って。絶対に世の中に出た時に役に立つよなって。まあ、ゆたぼんはもう世の中に出ているんだけどね。勉強したいと思ってるんだったら頑張ってやればいいなと応援してますけど、相変わらず】
受験を控えたゆたぼんに対し、これまで熱心に活動を応援してきた当事者とは思えない、まるで他人事にも聞こえるエールを送るにとどめ、多くの時間を割いて説いたのは大学入試のあり方や問題点だった。
「ホリエモンこと堀江貴文さんとのYouTube対談(2022年11月)で、ゆたぼんの活動を賛同してくれると思っていたら、“若いってだけでやっていることに価値はない”とバッサリ切られて言葉を失った茂木さん。そこからトーンダウンしてしまった感はありますが……」
ゆたぼんの勇気ある高校不合格の発信に反応したのは、“アンチ”に噛み付く“ゆたぼんパパ”中村幸也氏と、高校受験に苦労した息子を持つ医師・木下博勝氏だけ。問題はあれども、最後に支えてくれるのは身内だけなのかもしれない。