4月12日、天皇、皇后両陛下は能登半島を襲った地震の被災地を見舞われるため、石川県を再訪された。
“先輩”に思いを馳せた雅子さま
「訪問の3日前、雅子さまは明治天皇の后である昭憲皇太后が祀られる明治神宮を参拝されました。昭憲皇太后は社会福祉活動に尽力された方です。困難にある人々に寄り添うという、現在の皇族像を築き上げた“先輩”に思いを馳せた雅子さまは、改めて身の引き締まる思いで被災地訪問に臨まれたことでしょう」(皇室ジャーナリスト、以下同)
今回の訪問で、両陛下は甚大な被害を受けた能登町と穴水町へ赴かれた。
「おふたりは、今も多くの人が生活する避難所や、復興のめどの立たない商店街などをご視察。復興状況について穴水町の町長から説明を受けた際、雅子さまは、いまだ残るがれきの山をご覧になって、悲痛な表情を浮かべていらっしゃいました。また、避難所で暮らす人々の話に耳を傾け、“おけがはないですか”“大変でしたね”と声をかけられるなど、一人ひとりに気を配られ、終始被災した人々に寄り添われていた印象です」
能登半島地震の被災地への訪問は約3週間前に輪島市と珠洲市を訪れて以降、2度目のこと。
「おふたりにとって、わずか3週間後の被災地再訪は異例のハイペースといえます。'11年、東日本大震災が発生した際は、月1回のペースで被災者を見舞われていました。令和に入って以降、国母としての自覚がますます強まっておられ、国民に心を寄せられている印象です」
被災地を再訪した理由
『皇室の窓』(テレビ東京系)で放送作家を務めるつげのり子さんは、期間をあまり置かずに被災地を再訪されたことについて、次のように分析する。
「東日本大震災の発生後、当時天皇、皇后両陛下だった上皇ご夫妻は週1回、7週連続というペースで被災地を訪問されました。“困難にある人を励ましたい”という強いお気持ちの表れだったのでしょう。そうした姿勢を雅子さまも参考になさっているのだと思います」
今回、被災地で両陛下を迎えた穴水町商店街で文具店を営む吉村扶佐司さん(76)に話を聞くと、おふたりへの感謝の気持ちがあふれていた。
「おふたりが商店街にいらっしゃると聞いたので、奉迎の列に加わりました。両陛下は、マイクロバスの窓を開け、穏やかな笑顔で手を振ってくださりました。前回、石川県にいらっしゃった際、“穴水には来ないのかな、残念やな”と思っていましたが、今回いらっしゃることになって、大変ありがたかったです。地震から3か月以上がたちますが、直接おふたりの姿を見たとき、被災後初めて地震のことを忘れることができました」
一方で、ヘリコプターを駆使した日帰りでの弾丸日程は、雅子さまの負担も大きいはずだが、
「日帰りで訪問される背景には被災地に負担をかけたくないという配慮がおありなのだと推察します。その分スケジュールが過密になりますが、それでも両陛下が現地へ赴き、被災された方々に励ましの声をかけられるのは、困難にある人々に寄り添いたいという思いがあるからでしょう。ですから雅子さまは、強い使命感を持って、前々から体調を整え、臨まれているのだと思います」(前出・つげさん)
皇后として困難にある人に寄り添う姿勢は脈々と受け継がれている。