4月12日午前、私は東京都渋谷区にある明治神宮を訪れた。明治神宮は、秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまの先祖、明治天皇と后である昭憲皇太后が神として祀られていて、皇室ととてもゆかりが深い場所だ。
外国人で溢れる明治神宮
JR原宿駅で降り、広い参道を進んだ。参道の両側には樹木が生い茂り、木々の間からしか高い空を見ることができない。空気が澄んでいる。静かで心が落ち着く空間が、どこまでも広がっていた。腕章をつけた男性が「左側をお進みください」と、参拝者に日本語で呼びかけていたが、周囲を見渡すと海外からの訪問客がほとんどだった。子どもをベビーカーに乗せた夫婦連れや日本人ガイドを先頭にして歩く外国人団体客など、人種、国籍などが異なる多種多様な訪問者たちだった。
この連載の4回目で触れた、外国人観光客が押し寄せる皇居前の光景が重なって見えた。時代の変化に即応した東京も魅力的だが、日本らしさや日本人らしさが感じられる明治神宮や皇居のほうが外国からの訪問客にとって、より心惹かれる場所なのだろう。
「同質な集団で、同じような考え方ばかりを共有するのではなく、いろいろな人が力を発揮し、意見を交換できる環境であることは非常に大切です。このような環境では、新しい視点や価値観を歓迎し、当たり前と感じていたことに疑問を持って、これまでになかったものを見いだし、つくり出すことができると思います」
という、佳子さまのスピーチ('23年9月、『女子大生誕生110周年・文系女子大生誕生100周年記念式典』)を思い出さずにはいられなかった。人種や国籍などの違いを認め合い、尊重し合いながら共存していくことが、今の世界では求められているのだ。
佳子さまの到着を待つ大勢の人たち
私は境内を進み、午前9時過ぎ、外拝殿前に出たが、そこにはすでに、佳子さまの到着を待つ大勢の人たちが並んでいた。よく見ると、8、9割は外国人で、残りは修学旅行中だと思われる日本の学生たちだった。中国・上海から来たという年配女性の2人連れに「何のイベントがあるの?」と、声をかけられた。女性はスマホの翻訳機能を使って中国語で質問し、日本文に翻訳されたスマホ画面を私に見せた。「日本のプリンセスがここに来ます」。私が、そう日本語で答えると、彼女たちは翻訳された中国文をスマホ画面で読みながら、うれしそうに笑った。晴れ間がのぞき、見上げた樹木の緑がまぶしかった。神職たちは、入念に石畳の上の清掃を続けていた。
午前10時前、佳子さまが到着すると大きな歓声が上がった。「佳子さまぁー」「佳子さまぁー」。待っていた日本人たちが声をかけると、佳子さまは笑顔で会釈をした。海外からの訪問客たちは一斉に手を頭上に伸ばしてスマホで写真を撮り始めた。腕の間から佳子さまが見えた。彼女は淡いミントグリーンのロングドレス姿で、白い帽子をかぶっていた。今年は、昭憲皇太后が亡くなって110年にあたることから、この日、佳子さまが参拝に訪れた。さらに、佳子さまは本殿近くまで進み、本殿に向かって玉串を捧げ深く拝礼した。
4月10日には、天皇、皇后両陛下の長女、敬宮愛子さまが同じく明治神宮に参拝した。また、天皇、皇后両陛下や上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻らも昭憲皇太后の没後110年に合わせて同神宮を参拝していた。
佳子さまが参拝を終え、警備規制が解かれると境内は多種多様な訪問客たちであふれた。彼ら、彼女たちの目に佳子さまはどのように映ったのだろうか。とても興味深い。
境内の一角にある明治神宮ミュージアムで『受け継がれし明治のドレス―昭憲皇太后の大礼服』という展覧会が開かれている(5月6日まで)。昭憲皇太后は、夫、明治天皇を支えながら、女子教育や社会福祉、殖産興業、洋装の奨励などに尽くし、明治という新しい時代を築き上げた一人で、国民からは「国母陛下」と慕われたと同展のカタログは紹介している。
最も格式の高い宮廷礼服
大礼服は、外国の高官らとの謁見や国家的な儀式などで昭憲皇太后が着用した最も格式の高い宮廷礼服で、1909年、京都市にある大聖寺に昭憲皇太后から下賜された。大礼服は、ボディス(上衣)とスカート、トレイン(引き裾)の一式からなる。上衣と引き裾には《薔薇の花をあらわした紋織地に金モールで立体的な刺繍が施されている》(カタログの説明)。経年劣化が激しく、2018年に調査研究や修復、復元を目指したプロジェクトが発足し、約5年かけて大礼服の修復を終えた。4月6日には明治神宮会館で大礼服に関するシンポジウムが開かれ、佳子さまの母、秋篠宮妃紀子さまが出席している。
佳子さまが参拝を終えた後、私は、『受け継がれし明治のドレス―昭憲皇太后の大礼服』展を見学した。大礼服は立体的に展示されていて、特に、数メートルもある長いトレイン(引き裾)が目を引いた。また、大礼服の大きさなどから、この最高位の正装ドレスで着飾った昭憲皇太后が、現代の日本人からするとずいぶん小柄だった印象を受けた。明治天皇の皇后で「国母陛下」と呼ばれた方だというと、私などはつい大柄な女性を思い浮かべてしまうが、どちらかといえば華奢な方だったようだ。
《色白で、穏やかで、小柄な女性……その黒い瞳は、生命力と知性(教養)に満ちていた》。
英国公使夫人が昭憲皇太后に会ったときの印象をこのように述べたと、カタログに説明されている。
しかし、私がいちばん驚いたのは昭憲皇太后の書の見事さ、美しさだった。展覧会図録で改めて確認してみた。和歌をしたためた短冊、「山時雨 秋ふかみもみぢをいそぐ村しぐれ とやまの里に間なく降らむ」の解説には、《本品は昭憲皇太后の記された書の中では取りわけ太く勢いを感じるものであるが、それにより流麗さを欠くことは無い格調高い書体である》などと、書かれている。格調の高い書の持つ美しさもまた、日本の伝統芸術のひとつに数えられる。
この展覧会には、海外からの多くの観光客たちが訪れ、熱心に展示品を鑑賞していて驚かされた。日本らしさとは何か。日本人の持つ優れた特性とは何であるのか。今、多くの日本人が忘れかけているこうした美点に、彼らはずっと以前から気がついているのかもしれない。佳子さまもまた、昭憲皇太后をはじめとする皇室で生きた女性たちからも、多くのものを学び、吸収してもらいたいと願わずにはいられない。
<文/江森敬治>