昨年、夫の悪性リンパ腫が判明し、悲鳴を上げるほどのショックを受けたという新田恵利さん。「自暴自棄になったり、キレるようになった彼を、支える自分のストレスも大きかった」と振り返る。人生の終わりを意識し、2人の時間がより貴重なものに―。夫婦での闘病を語ってくれた。
基本的にはステージ1でも4でも治療は同じ
「“喉が痛い”からと病院を受診したのが夫のがん判明のきっかけです」
そう語るのは、タレントの新田恵利さん。昨年6月に、夫で事務所社長の長山雅之さん(54)が悪性リンパ腫であることを公表した。
「彼は一昨年コロナにかかったので、“またかぁ、勘弁してよ”くらいの軽い気持ちでいたんです」(新田さん)
ところが、受診した耳鼻科の医師から「(喉の奥の)面構えが悪い」と告げられる。
「私も大腸ポリープができたときに、先生に出来物のことを“面構えが悪い”と言われて。ツルッとしていると良性で、凸凹していると良くないと。だからそう聞いて、不安がよぎりました」(新田さん)
細胞を取ってもらい2週間後に結果を聞きに行くと、8割方がんという診断。長山さんは、
「僕はそこで、もう治療するしかないって覚悟を決めたんですけど、恵利ちゃんは“大げさなだけだ”って信じない(笑)。で、再度詳しく検査してもらって2週間後、がんだと確定したんです」
電話口で結果を聞いた新田さんはショックのあまり「イヤーッ」と大声で叫んでしまったという。
「がんって、デリケートな人やまじめな人がなる病気ってなぜか勝手に思っていたんですね。夫はストレスをため込むタイプでも、ネガティブに考えるタイプでもないので、がんとは無縁の人だと思っていて。だからどうしても信じられなくて」(新田さん)
その後、がん研究センターで改めて検査をし、やっと事実を受け入れたと話す。
「ネットで『悪性リンパ腫』と検索すると出てくる自覚症状にもまったく当てはまらないんですもん。1個ぐらいハマってくれたらもう少し納得も早かったのに」(新田さん)
長山さんも、喉の強烈な痛み以外には変わったところはなく、そんな中で初期のがんが見つかったのはラッキーだったと振り返る。
悪性リンパ腫は、白血球のリンパ球ががん化した、血液のがんのひとつ。数十種類以上の病型があり、治療は薬物療法や放射線治療などが行われる。
「僕はステージ1だったんですが、基本的にはステージ1でも4でも治療は同じで、その回数が違うだけ。進行度にかかわらず、薬が効けば治るし、効かなければ治りませんと。薬が合うか合わないかによるので、先生も明言はしないんですね。どうなるかわからないこの状態がいちばん不安でした」(長山さん)
先の見えない人生や仕事への不安に襲われ、精神的に不安定な日々が続いた。しかも病院は進行の早いがんや重度の患者を優先するため、治療はなかなか始まらなかった。
「その間がお互いに精神的には大変でしたね。夫はもともとキレるタイプではなかったのに、ちょっとしたことが引き金になって急にキレることが増えて。相手が元気だったらこっちもファイティングポーズでバトルするんですが(笑)、弱っているので、かける言葉も見つからないし、大丈夫だよって安易には言えないので、腫れ物に触るような時期でした」(新田さん)
治療は初回の抗がん剤の投薬のみ入院で、以降は通院だったため、体調を見ながら仕事と両立を続けた長山さん。
「初回は尋常じゃない気持ち悪さで吐き気が止まらなくて。ずーっと船に乗ってるような感じ。2回目以降は吐き気止めを出してもらって軽くはなりましたが、今度は胃腸が機能しなくなって、強烈な便秘と、脱水症状を起こすほどの下痢に交互に悩まされました」(長山さん)
保険は「がんになる前に見直したほうがいい」
治療は3週間単位で行われ、
「1週目は吐き気が本当につらくて、2週目はちょっと動き回れるようになり、3週目はケロッとして普段どおり、で、また投薬でどーんと体調が悪くなり……、というのを6回繰り返しました」(長山さん)。
闘病中は精神的なケアが大事だったと新田さん。
「人間って思いを吐き出すと楽になるので、夫が考え込んでいるときは“何か不安があるの?”“いま何考えてるの?”とよく声をかけました。闘病で身体がつらい中で、パートナーとコミュニケーションが取れずに気持ちのストレスが増えてしまったらさらに苦痛ですから」
周りに闘病中の人がいれば、サポートする側にも目を向けて、と話す。
「夫はつらければつらい、もうやだ、と感情を出せる人なので、多少なりとも振り回されますよね。気も使いますし。やっぱり疲れてくるんですけど、私は疲れたとか、もうやだとか言えないんです。それは夫を拒否しちゃうことになるので。夫には、大丈夫? 大変だねとみんな気遣ってくれるんですが、誰も私のことは気にかけてくれない。眠れない夜があったり、言えない苦しさがあったり、振り回されて心身共につらいのに……」(新田さん)
そんなときは、友達にグチって吐き出したり、冷蔵庫などの大きな買い物をしてストレスの発散をしたそう。ブログでがんを公表したことも支えになったという。
「SNSで打ち明けたことで、たくさんの方が“いまは治る病気だから大丈夫だよ”とか“自分も治ったから前向きに”っていうお話をしてくださって心強かったですね。同じ境遇の方もいるので慰められました」(新田さん)
やがて治療が功を奏し、約半年でがんは寛解。その間、お金のことも大変だったと長山さんは振り返る。
「がんの標準治療は保険診療なんですが、それでも月に30万~40万円はかかるんです。高額療養費制度で多くは戻ってくるとはいえ、一時的にその金額を用意するきつさはありました」
医療保険の大切さも痛感。
「当時、がん保険から、脳卒中・心筋梗塞・がんの3大疾病を保障する保険に切り替えたばかりだったんです。保険金も200万円から50万円のものに下げて。そんなにかからないだろうと思っていたんですね。でも初期のがんでも50万円がすっ飛んでいったから、ちゃんとした保険に入っておかないと意味がないですね」
と長山さん。休職や再発を見越した内容かの確認も必要と新田さんも口をそろえる。
「働けない期間も保障するという保険もありますし、再発したときに支給されないものもあるので、がんになる前に見直したほうがいいです」
最後に、夫婦で病気を乗り越えるために必要なことを聞いてみると、
「がんになる前からよく話す夫婦でしたが、ずっとコミュニケーションをとってお互いを信頼してきたおかげで、闘病の壁は高かったけれど、ある意味順調に乗り切ることができました。言わなくてもわかってるだろうと思わずに、きちんと言葉にして話し合うことで一緒に乗り越えていく力になります」(新田さん)
まだ発症から1年もたたず、寛解したといっても不安が完全に消えることはない。がんになって、「終わりがあることを体感した」という長山さんは、人生を無駄に過ごさず、いろんなものを新田さんと一緒に見たいと話す。
「私たちは子どものいない2人きりの家族。“彼が本当にいなくなったらどうしよう”って想像すると怖いので考えないんです。いま夫といちばん言い争っていることは、どっちが先に逝くかってこと。1時間でも私が先だって!」
そう笑顔で語った新田さんの目には、一瞬、光るものが浮かんだ。
取材・文/荒木睦美
にった・えり タレント、エッセイスト、淑徳大学総合福祉学部客員教授。おニャン子クラブでデビューし、『冬のオペラグラス』でソロデビュー。著書に、実母の介護体験を綴った『悔いなし介護』など。