沖縄からアイドルを目指して上京したが、オーディションに300回落選。しかしその後、自身の素のキャラクターを生かし、テレビに引っぱりだことなった山咲トオルさん。オカマ・ゲテモノと呼ばれた昭和の時代から、LGBTQのアイデンティティーが主張されるようになった現代まで、自分としての在り方を伺った。
アイドルたちに助けられた学生時代
「オカマって呼ばれることに抵抗はないわよ。だって私はオカマなんだから」
山咲トオルは、独特の優しい口調で、“オカマ”を連発する。
本名は中沢惣八郎。この凛々しい名前を持つ男の子が、「ワタシは~」と話をすれば、いじめの対象になっただろうことは想像がつく。公園に連れていかれ砂の中に埋められたこともあったという。また下校中に、石を投げつけられることもしばしば。
それでも登校拒否をすることもなく、通い続けた。泣きながら帰っても、次の日には何事もなかったかのように登校するので、またいじめられる。この繰り返しの日々の中で、未成熟な心を支えていたのはなんなのだろう。
「3歳ごろは天地真理さんが大好きで。いじめにあっていたときは松田聖子さん、そして中森明菜さん、小泉今日子さん、早見優さんたちがデビューして、家に帰れば彼女たちに会える、歌が聴ける。それを心の支えにして乗り越えたんです。アイドルたちに助けられて、ワタシもいつかアイドルになるんだって、そんな夢がありました」
誰になんと言われようと、いじめられようと、自分はこの自分のままでいつかアイドルになると決めていた。
LGBTQが認知されだした現代ならいざ知らず、昭和のコンプライアンス不毛時代に、10代の山咲トオルさんは自らの性を恥じることも否定することもなく、前を向いていた。
アイドルを目指して上京したものの、オーディションでは300回以上落選。書類を出した数も交ぜれば500回くらいは落ち続けたそうだ。
しかしテレビ業界は摩訶不思議。アイドルを諦めて、ホラー漫画を描いていたら、オネエ言葉でビジュアルが美しい漫画家がいると面白がられて、一気に大ブレイク。
「アイドルではなく“ゲテモノ・キワモノ”枠でしたけれど(笑)。でもオカマとして、出られるなら、それはそれでOKでした」
その世界には、美輪明宏さんやおすぎとピーコさんという大先輩もいたが、オカマからオネエタレントと呼ばれるようになった先駆者・山咲トオル。「トオルちゃん」の誕生だ。
「同時期のオネエ仲間のKABA.ちゃんとは、テレビの収録中にずっと手をつないで、頑張ろうねってエール交換してたんです。そのあとに假屋崎省吾さん、そしてお笑い芸人さんさえも吹き飛ばしてしまう最強のIKKOさんも多くの方の支持を集めて、オネエという存在が世の中に受け入れられてきたのね。それでワタシも、のびのびと活動できるはずだったんですけれど……」
“女性が好きだと言ってほしい”という依頼に苦しむ
出演する番組サイドから、“女性が好きだと言ってほしい”という依頼が度々入るように。“オカマと呼ばれようと、オネエと呼ばれようと、ワタシはワタシ”を貫いてきた山咲さんにとって、これは試練だった。自分のセクシュアリティーに嘘をつくことになる。
「『どうせ職業オネエじゃないのか』とか『いつ結婚するんだ』とか聞いてくるの。昭和はそういうことをずけずけと聞いてもよかったのよね。一方では男性を好きと言ってほしいといい、一方では実は女性が~って、逆カミングアウト的なことを言ってほしがったりするわけです」
恋愛対象は女性か男性かと迫られると「テレビをご覧のあなたに決めていただくわ」と、かわしてきた。それでもある日、タレントとしての立場も考え「思いやりがあって慈しみの心がある女性が好きです」と答えてしまった。
「後悔っていうか……。行きつけの新宿2丁目のバーでも『アンタ、嘘ついてるじゃない』と言われて。嘘をついていることが心にどんどん澱のようにたまってしまったの」
さらに、テレビの中に自分の居場所を見つけられなくなっていく。
「オネエ=毒舌、パワフル! ってイメージでしょう? ワタシも毒を吐いてみようとするんだけど周りから“無理しなくていいから”って。落とし穴でも、IKKOさんがダイナミックに落ちると笑えるけれど、ワタシが落ちるとかわいそう、いじめられているみたいとなってしまうのよ。頑張ろうとすればするほど、なんだか浮いてしまって」
強烈キャラの間に入って、毒も吐けず、美しく微笑んでいるだけでは、タレントとして限界なのかもしれない。
こうしてオネエタレント山咲トオルは、自ら選んでテレビ画面から消えた。2010年代に入り、マツコ・デラックスやミッツ・マングローブが台頭してくる。
「キワモノ枠で毒舌と笑いのオネエの時代から、頭の回転の速いお二人が活躍するようになって、やっぱりワタシの出る幕はないなと思って」
さらに時代は令和になり、LGBTQの認知時代をどう感じているのか。
「20代の方たちと話していると、友達にレズの人がいるとか、親友はゲイだとか、それが普通になっていて、そこを認め合っているのがすごいなあって思うの」
昭和の時代は、男性か女性かという2つの性しか表立っては認められなかった。
「性の多様性といわれても戸惑う方もいらっしゃるのでは。でも、変化する時代に添い寝するくらいの気持ちでいればいいんじゃないかしら」
同じ沖縄出身で、どこか似ているといわれた故・ryuchell(りゅうちぇる)さんとの思い出話も。
「一度、テレビ番組(『ロンドンハーツ』テレビ朝日系)の運動会でお会いしたことがあってね。そのときに、すごくまじめで利発で、心の強い子だなって感じました。とても悲しくて残念なことになりましたけれど、ryuchellは本当に戦う人だった」
自分の個性を発信し、バッシングされたり、賛否両論があった。それでも前に突き進んでいった姿には感嘆するものがあったという。
「現在の中学校、高等学校で男女共に学生服がスラックス、スカートといずれも選べる学校が増えてきました。これも彼の発信があってこそ叶ったんじゃないかなとワタシは思っているんです。こういう功績を残したことを皆様に知っていただきたいのです。発信し続けた彼をもうちょっと褒めたたえてもいいんじゃないかって、ワタシは思うんですよね」
人気芸人の影響で再注目!
時代は動き、表舞台から退いていた山咲さんが再び注目されている。
「コットン(お笑いコンビ)のきょん様のものまねのおかげかしら(笑)。カフェで、女子学生たちが『きょんだぁ』『オカマよね』『きょんがやっているオネエじゃん』と大騒ぎされちゃいました」
54歳になり、もう怖いものもないし、なんでも楽しめる域に達したと朗らかに笑う。
「オカマでもオネエでもいいけれど、あなたって何と聞かれたら、ワタシはトオルちゃんって答えるかな」
現在は画家、タレントとして活動しているが、お声がかかればなんでもやっちゃう! と語る、山咲トオルさんの活躍が楽しみだ。
令和の常識LGBTQとは
L レズビアン 女性同性愛者
G ゲイ 男性同性愛者
B バイセクシュアル 両性愛者
T トランスジェンダー 出生時に割り当てられた性と異なる性を生きる人
Q クィア/クエスチョニング 性的指向・性自認が定まらない人
取材・文/水口陽子
やまざき・とおる タレント・歌手・漫画家。1969年東京都港区で生まれ、沖縄県で育つ。アイドル志望時には、『飛び出せ!日本男児』のオーディションで決勝大会に出場したが、道は開けずに断念。漫画の作品は『戦慄!!タコ少女』『戦慄!!オババドル』など。漫画家でオネエタレントとして人気を集め、絶頂期には1年間でテレビ出演が250本以上。テレビ休業中も『幸せ!ボンビーガール』のナレーションを続け、また年に2回、個展を開催し大好評を博す。