桂由美さん

 ファッションデザイナーの桂由美さん(享年94)が、4月26日に逝去した。花嫁の夢を叶えることに生涯を捧げた。

「“結婚式は和装”が常識だった'65年に、日本初のブライダル専門店をオープン。婚礼にウエディングドレスを普及させた立役者です。世界的にも高く評価されています」(ファッション誌編集者)

ウエディングドレスとブライダルの開拓者

 亡くなる直前まで、第一線で活躍していた。美容家で“魅力研究家”を名乗るマダム路子さんは、55年前から桂さんの姿を見てきた。

「会って、すぐに打ち解けました。彼女はウエディング、私は美容室の地位向上を考えており、共同でプロジェクトを始めました。

 桂さんは仕事に対して一直線に突っ走る。でも、パッと後ろを見ると誰もいなかった、なんてことも(笑)。情熱的なので、周りが見えなくなっちゃうんだけど、慌てんぼうで、おっちょこちょいなところもあって、人を惹きつけました」

 実業家で結婚式のプロデュースもするダマ奈津子さんは、桂さんのブライダルミュージアムを神戸に誘致した。

「日本になかった“レストランウエディング”を一緒に仕掛けたのです。有言実行で、とにかく決断が速い。ダメなものはダメ。イエス、ノーがハッキリしていました」

 会食しながら話をすることも多かった。

「コース料理を頼むと、魚、肉、デザートもいっさい残さず食べました。“人さまから出されたモノは残してはいけない”って。庶民的な店も好きで居酒屋さんや串カツ屋さんにも行きました。

 “楽しく食べながら意見が聞けてアイデアが生まれるから”って、会食が好きでした。亡くなる3日前に電話して、4月24日に東京で食事しませんかと、お誘いしたんです。でも“大阪の学校で挨拶の予定がある”と……。お会いできなかったのが残念です」

 桂さんは10年前から、ファッションイベントなどを開催する団体『アラウンドビューティークラブ』の理事も務めていた。同団体で役員を務める原孝子さんは、桂さんに“励まされた”と話す。

新しいことをどんどんやろうって、とにかく前向き。何か思いつくと、すぐにケータイに電話をくれました。腰が低い方で、40歳以上も年下の私に荷物を持たせてくれない。

 “代わりに肩だけ貸してね”って。ランウェイでは私と手をつないで歩いていました。一方で、ホテルにチェックインするときは男性スタッフにエスコートを頼んでいて。“女性に頼むと介護に見えるじゃない”って(笑)」

 サービス精神が旺盛で、疲れていても手を抜かない。

「一緒に参加したパーティーで、桂さんと写真を撮りたいという人が100人並んでも、いっさい手を抜かず、一人ひとりに応対していました。そういうところも尊敬できますよね」(前出・マダム路子さん、以下同)

 私生活では40代で結婚した11歳上の夫は、'90年に71歳で亡くなった。

「自由に生きる桂さんを支える、包容力のある人でした。桂さんは“もっと一緒にいたかった”って。晩婚で、お子さんもいなかったから“私は結局1人ね”って。でも、1人になって余計に強くなったのでしょうね。後になって“結婚してよかった”とも言っていました」

 日本に西洋式のウエディングを持ち込んだが、晩年は意識の変化も。

「最近は、神社に興味を持っていました。“これからは結婚の周年行事は神社ではないか”と話していました。日本人として原点回帰しようということでしょうか」(前出・ダマ奈津子さん、以下同)

昨年、ダマ奈津子さんと生田神社にて、神戸の生田神社では郡司さんと具体的な周年行事の話をしていたそう

 常に新しいことを考えて行動するスタイルは、最後まで変わらなかった。

「昭和の時代は、女性が新しいことをするのは高いハードルがありましたが、桂さんは“できない人が焼きもちを焼いているだけ、気にしちゃダメよ”って。とにかくマイナスなことを口にすることを嫌っていました」

 前を向いて一直線に、走り抜いた人生だった。