松本伊代 撮影/吉岡竜紀

 “花の'82年組”といわれるスターたちの中でも、ひときわ輝いていたアイドル時代。キラキラな時代を駆け抜けた思い出や、生涯の伴侶のヒロミに対する気持ちなど40年を超えた芸能生活を振り返りつつ語った“これから”ー。

エッチな話題も「笑って話せるように」

私は16歳でデビューして40年を超えたので、世の中的な感覚でいえば定年を過ぎたくらい。でもまだまだ歌っていきたいかな(笑)

 “伊代はまだ16だから”と歌っていた松本伊代も、今年で59歳を迎える。

ラッキーなことに、好きなことがお仕事につながっているから続けてこれたのかも

 と、これまでの芸能生活を振り返ってもらった。

 彼女のデビューした年は、“花の'82年組”といわれるほど、アイドルが豊作の年だった。松本をはじめとして、小泉今日子、シブがき隊、中森明菜……。きら星のごとく、アイドルがテレビの中で輝いていた時代。当の本人はあの時をどう思っているのか?

もう日本に、あんな煌びやかな時代は来ないんじゃないか、というくらいにキラキラな時代でした。自分も芸能界で輝きたい、という気持ちを持っていたからかもしれないけど、何か世の中全体が“頑張ろうよ!”という雰囲気で、みんなが前を向いていた時だったかもしれません

 バブル経済で社会全体がイケイケの時代。エンタメの世界でも、コンプラで縛られている現在では考えられない自由な番組が放送されていた。少し前に話題になったドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)でも触れていた、

 お色気シーン満載の深夜番組。そんな深夜番組の“草分け”ともいえる『オールナイトフジ』(フジテレビ系)で当時、MCを担当していた松本。

高校生のときからVTRでたまに出演していました。スタジオに入ってMCとしての出演は18歳になって、短大に入ってから卒業するまで2年くらいかな

 アダルトビデオの紹介など普通に放送していたが、そんな番組のMCをすることは、アイドルとしてどうだった?

やっぱり、エッチな話題が出たときは困りました。でも、あまり反応しすぎるのもダメかなと思っていたら、なんとなく慣れてきちゃって(笑)。そんな話題も、笑って話せるようになっていましたね

 この番組で出会ったのが、人生の伴侶となるヒロミ(59)。もともと松本はヒロミに興味津々だった、と出会いのころをこう振り返る。

「B21スペシャルをテレビで見たとき、真ん中の人がカッコいいな、と思って(笑)。ずっと会いたいと思っていたんです。初めて会ったのは、『オールナイトフジ』が始まる前のフジテレビの廊下でした。

さすが“花の'82年組”。インタビュー中に見せる笑顔はアイドル時代のまま 撮影/吉岡竜紀

 そのころ私がゴルフを始めたばかりで、ヒロミさんも『オールナイトフジ』のスタッフさんと行っていると聞いて。じゃあ、私のマネージャーも含めて、みんなで行きましょうよって誘いました。そこからだんだん2人でも会う感じになったのかな

 初めはヒロミのルックスに惹かれていた松本だったが、一緒の時間を過ごすようになり、

お付き合いし始めたときは、結婚するとまでは思っていませんでした。でも、こんな誠実な面もあるんだ、意外と見た目とは違うのね、という部分がたくさん見えてきて。改めて惹かれていったという感じです(笑)

 今年で結婚31年目を迎えた松本とヒロミ。長い時間を共にして、息子2人も育て上げた松本にとってヒロミはどんな存在になった?

う~ん……、いちばんの味方であり理解者、かな。なんでも言える人同士という感じはあります。でもヒロミさんにしてみたら“ママ(松本)に相談してもな”みたいなところはあるみたい(笑)

松本伊代 

 ヒロミは松本についてバラエティー番組などで「ネタの宝庫」と、プライベートでの失敗談などを話している。

「砂糖と塩の容器を入れ間違えて、それで料理作ったらとんでもない味になっちゃったとか。多少、盛っているところはありますよ。オーバーな部分はあるけど、本当のことだから仕方ないなって(笑)。

 私自身、そういうキャラが定着してきているから“あんなこと言って!”とかは、あまり言わないです。だって“ママ、本当じゃん”って返されちゃうから。最近は何を話されても“ああ、話し方がうまいな”と思うようにしています(笑)

ヒロミには「感謝という言葉以外ない」

 お互いに支え合い、芸能界を生きてきたように見える2人。'22年には松本の芸能生活で、いちばんの“試練”があった。番組中の事故で、腰椎圧迫骨折。そんなときも支えてくれたのはヒロミだった。

湯川れい子先生のバースデー公演にお声がけをいただいていたんですけど、骨折で出演できなくなったんです。そのときもヒロミさんが代わりに出てくれて、会場を盛り上げてくれて。逆に私じゃなくてよかったかもって(笑)

 3か月の療養期間、松本に寄り添い、日常生活が不自由となった彼女のため、自宅を徹底的にリフォームしたというヒロミ。

本当に、公私共に助けてもらいました。感謝という言葉以外ないです

 と、松本。こんな“おしどり夫婦”になる秘訣は何なのか? 

「私、昔は結婚したらお互いのスケジュール管理がきちんとできると思っていたんです。今日はどこの現場に何時に行って、このくらいには帰ってこられる、みたいなことを共有できると。でも、ヒロミさんは全然教えてくれない(笑)。“そんなこと聞かなくてもわかるでしょ”とか“俺を信用してないの?”って言われたり。

 最初は“え~……”と思ったけど、そうか、信用していればいいんだ、と思うようになったら私も感覚がマヒしてきて、あまり気にならなくなったんです。いい意味での“無関心”かな。お互いに干渉せず、いい距離感でいることかもしれないですね

 そんな関係を築いて30年超。今も2人で、都内をドライブデートすることもあるという。

“イルミネーションツアー”って私が勝手に言ってるんですけど、首都高に乗ってお台場に向かい、そこからまた戻って、最終的に私が好きな東京タワーに行ったり。最近は麻布台ヒルズに映る東京タワーがすごくキレイなことを発見して、歌詞にできないかなと思ったり

 そんな大好きな東京タワーを舞台にした新曲『Tokyo Love feat. Iyo Matsumoto』を韓国のプロデューサーでありDJの、Night Tempoとタッグを組んで4月10日に配信リリースした松本。10月には東京をテーマに、単独コンサートを行う。東京生まれ、東京育ちの松本だけに、さまざまな思い出があるという。

初めて友達とショッピングに行ったのが銀座。デビューするきっかけになったのも原宿でスカウトされたことだし、自分の人生の節目に、東京という街があるんだなって。

 私、大田区蒲田の工場地帯で育ったんです。思い出の中には、いちばん汚かったころの多摩川と、鉄のにおいが染みついていて(笑)。多摩川沿いの六郷土手が遊び場で、姉とバドミントンしたり自転車に乗ったり。あと、クローバーのお花で輪っかを作ったりもしましたね」

 仕事では東京のおしゃれな場所などにも、たくさん足を運んだというが、

そういう場所は思い出しても胸が“キュン”とならないんです。私の中の東京は、小さいころに見ていた風景。あの時の六郷土手が自分の中にある東京の“原風景”ですね

 “人生100年”といわれている今、これから先、どんな人生を歩いていきたい?

「私の中では歌というものがメインなんです。なので、歌えなくなるまでは歌い続けたいなって。中尾ミエさんや、伊東ゆかりさんのように、大人の歌をいつまでも歌える歌手に憧れます。『センチメンタル・ジャーニー』の“まだ16(歳)”っていつまで歌えるかなと思うけど、まあそこは歌ってしまえと(笑)。

 田舎に住んで、ヒロミさんとのんびりしながら、たまに東京に出てきて歌わせてもらう、なんていうのもいいかなと思いますね

取材・文/蒔田 稔 

東京をテーマに単独コンサート開催! 10月12日、13日の2日間『松本伊代 Live 2024“Journey” Tokyo Lover』を東京・大手町三井ホールで開催。詳細はhttps://eplus.jp/iyomatsumoto/