小田茜

 11歳にして国民的美少女コンテストのグランプリを受賞し、“第二のゴクミ”と言われていた小田茜さん。結婚して北海道に移住、子育て、そして離婚を経験した。シングルとなった現在、貪欲な気持ちで「再び、ドラマに出たい」と願っている―。

東日本大震災の影響で北海道に移住

この10年間で芸能界が大きく変わったなと感じていて。結婚後は芸能活動からずっと身を引いていたので、もう本当に浦島太郎状態です(笑)

 と言うのは、女優の小田茜。10年間の活動休止を経て、3年前に芸能界へ復帰。女優として再出発を切った。

ゼロからの再出発です。3年たって、徐々に昔の感覚を取り戻しつつある感じでしょうか。40代半ば、今だったら突き抜けていろいろな役を表現できるなという可能性を私自身感じていて。女優・小田茜の代表作と言っていただけるような作品に巡り合えたら、という気持ちでいます

 芸能界入りは小学校6年生のとき。全日本国民的美少女コンテストでグランプリを受賞し、その大人びた美貌から“第二のゴクミ”と呼ばれ注目を集めた。

 NHK大河ドラマ『太平記』でドラマデビューし、中学2年生のとき『いちご白書』で連ドラ初主演を果たす。恵まれた芸能生活を送るが、29歳のとき8歳上のパイロットと結婚し、芸能活動を休止。男児を出産し、家族で北海道に移住している。

結婚当初は東京に新居を構えていましたが、東日本大震災があり、家族でいろいろ話し合った結果、移住を決意しました。よく旦那さんの仕事の関係で北海道に移住したという記事をネットで見かけるけれど、そういうことはまったくなくて。自然豊かなところで子育てをしたい、という私たちの意思で決めたことでした

 まず旭川に居を構えその後、美瑛町に移り住む。美瑛町は北海道の内陸に位置する丘陵地。のどかな田園風景を求め移住する人は多く、町もまた積極的な受け入れ施策を敷く。

あの豊かな自然に惹かれて美瑛町に決めました。とても小さな町だけど、一歩外に出ると美しい景色がそこに広がっていて。農業をしようと脱サラして都会から来たり、定年後自然豊かなところで暮らしたいと移住された方が身近にたくさんいたので、私たちのこともみなさん本当に温かく迎え入れてくれましたね

テレビドラマなどで活躍していた10代のころ。大人びた美貌から“第二のゴクミ”と話題に

 とはいえ小学生のころから芸能界という華やかな場で活躍。環境のギャップは大きいように思えるが─。

私、すごくインドアなんです。外見的に派手な印象をもたれがちだけど、私生活は本当に質素で、外交的というより内交的。家にひきこもって朝から晩まで家事をするのもまったく苦にならないし、家事全般は大得意です(笑)

小田茜

 北海道では専業主婦として家事をこなし、家族を支えた。一人息子に対してもなかなかの教育ママだったそう。

息子に対する愛情は人一倍あって、そのぶん親の理想を押しつけてしまうようなところがあったと思います。最近は息子の個性を尊重するように変わってきてはいるけれど。子どもと共に日々成長ですね

20kg近く体重が増えた時期も

 順調な結婚生活に見えるも、2018年に離婚。10年間の結婚生活にピリオドを打つ。

この人だったらという運命の人に出会って、結婚を決意したわけだけど……。端的にこれですと言える理由はなくて、一つひとつの積み重ねだった気がします。決断まで数年迷いました。息子もまだ小学校低学年でしたし、地方に住んでいましたから。それに息子は父親のことを大尊敬していたので、彼の気持ちを顧みず親の決断で突っ走ってしまって、そこはいまだに消化しきれないものがありますね

 離婚後は地元・栃木へ拠点を移す。2022年に芸能活動を再開し、現在は栃木と東京を往復する日々が続く。

 昨年久しぶりにバラエティー番組に出演し、「キレイ! 40代とは思えない!」とネットを騒がせた。しかし、「一時は20kg近く体重が増えてしまって」というから驚きだ。

初めての出産で、大事にしすぎちゃったんです。産後も変わらず動かない生活を続けていたので、お腹まわりが痩せなくて。食事を減らしてみたり、運動を取り入れたり、自分なりに努力はしたけれど、なかなか落ちなかったですね

 心身を変えるきっかけになったのが、ヨガとの出合い。北海道に移住して大きく環境が変わり、また30代後半に差しかかると更年期症状も現れ、心身の変化を感じていたところでもあった。

ママ友に何かストレス解消になることはないかと相談したら、ヨガをすすめられて。最初はあまり乗り気ではなかったけれど、ドハマリしてしまいましたね。まるで一目惚れのようでした。今ではヨガは私の軸になっています

 インストラクター養成講座RYT200とインド政府公認プロフェッショナルヨガ1級を取得し、現在はヨガインストラクターとしても活躍。日々の鍛錬は欠かさず、食事は1日1食~1.5食でコンディションをキープする。

朝はプロテイン、夜は野菜中心のメニューです。生野菜は酵素が豊富なので、1日1回はとるようにして。もともと野菜が大好きで、生のキャベツをちぎってはおやつ代わりにしたり。ウサギじゃないけれど、生のスティックニンジンをバリバリかじっているときが本当に幸せで(笑)

 元来の美貌に完璧なプロポーションも加わり、華やぎにより磨きがかかった感がある。離婚を経て、今やフリーの身。再婚の意思はあるのだろうか。

募集中です(笑)。1人で生きていくのはやっぱり大変だなと感じていて。パートナーがいてくれたら心強いし、心のよりどころになる方がいたら、という気持ちはあります。ただ焦ってお相手を選ぶことでもないと思うので、天にお任せという感じでしょうか

心身を変えるきっかけになったヨガとの出合い。現在はヨガインストラクターとしても活動している

 理想のタイプはと聞くと、「決断力があり、共感力があって、包容力があって……。いっぱい理想があるので、言い出したらエンドレスになりそう(笑)

 と、ハードルは高そうだ。

“じゃあ脱げますか? 濡れ場はどうですか?”と聞かれる

ただルックスへのこだわりはさほどなくて、それより惹かれるのは人間的な豊かさ。昔から一貫して変わらずあるのが包容力で、男性にはイニシアチブを取ってほしい。振り返ってみれば、20代のころから年上の方が好きでしたね。この人ならついていきたいと思える方、未熟な自分を大きく包み込んでくれる男性が私はうまくいく気がします

 芸能界に復帰して3年がたち、今の望みは「テレビドラマでもう一度お芝居すること」。昨年は宮藤官九郎監督の配信ドラマ『季節のない街』で14年ぶりに女優復帰を果たした。宮藤監督とのタッグは'03年以来となり、「感慨深かったですね」と語る。何がそれほど彼女を魅了するのか、女優の魅力とは何なのだろう。

自分を超えて表現できるところ。それに尽きますね。監督とのやりとりの中で、化学反応が起きる瞬間があって

 11歳で飛び込んだ芸能界。幾多の経験を積んだ今、目指す女優像があるという。

「若いころからいろいろな作品に出てきたけれど、“演技派・小田茜”と言われたことはなくて。今思えば、昔は中途半端な表現にとどまっていた気がします。さまざまな経験を経て、今にしかできない表現があると思う。そう言うと、“じゃあ脱げますか? 濡れ場はどうですか?”と聞かれるんですけど(笑)。

 私としては、脱がない形でも女優としての存在感を発揮するのは可能だと思っていて。かつて呼ばれたことのある“大根役者”を40代、50代では超えてみせたい。女優としてもう一度花を咲かせたいと思っています

取材・文/小野寺悦子

おだ・あかね 1978年、栃木県生まれ。11歳で第4回全日本国民的美少女コンテストのグランプリを受賞して芸能界入り。女優として活躍する中、結婚・出産を機に芸能活動を休止。離婚後、2022年に女優として再始動。インド政府公認ヨガ資格を取得し、ヨガインストラクターとしても活動中。