5月6日、寺島しのぶとフランス人アートディレクターの夫とのひとり息子である初代尾上眞秀(まほろ)くんが、ロッテ対西武戦の始球式に登場した。
「眞秀くんは、日本人とフランス人の間に生まれ、将来が期待される歌舞伎役者の一人。少年野球チームに所属しているだけあって、今回の始球式ではノーバウンドでボールをキャッチャーミットに投げ込み球場を沸かせました」(スポーツ紙記者)
'23年はNHK大河ドラマ『どうする家康』にも出演。彼の評判は、自宅の近所でも“神童”として知られているようだ。
「よく寺島さんと一緒に歌舞伎のお稽古に出かける姿を見かけます。'18年に国内最難関といわれる有名私立小学校に合格しているのですから、まさに文武両道。またマンションの中庭で親子3人仲むつまじくキャッチボールをしているのも見かけたことがありますから、家族仲もよいのでしょうね。ご近所さんにもきちんと挨拶をしていますし、よくできた息子さんですよ」(近隣住民)
寺島の悲願を打ち砕く“W襲名計画”
この英才教育は、母である寺島の意向が大きいようだ。
「寺島さんは歌舞伎の名門『音羽屋』を率いる七代目尾上菊五郎の娘。弟は五代目尾上菊之助という役者一家です。幼いころから歌舞伎が身近だったため、将来は自分も歌舞伎役者になることを夢見ていましたが、歌舞伎は基本的に女人禁制の世界。泣く泣く断念し、現代劇の道に進んだという過去があります。自身が果たせなかった“歌舞伎の舞台で活躍したい”という夢を息子に託したのでしょう」(前出・スポーツ紙記者)
挫折を乗り越えて歌舞伎への情熱を燃やす寺島だが、その思いを打ち砕く決定事項が秘密裏に進んでいるという。
「近く、歌舞伎興行を取り仕切る松竹が、菊之助さんを『八代目菊五郎』に、菊之助さんの息子である尾上丑之助くんを『六代目菊之助』に襲名させる“W襲名”の発表を予定しているんです。寺島さんは眞秀くんに『菊之助』の名跡を継がせるのが悲願でした。以前から襲名の決定権を持つ松竹の上層部に“息子に『菊之助』を襲名させてほしい”と積極的にアピールしていましたから、さぞ無念でしょうね……」(現役歌舞伎役者、以下同)
姉弟の“跡目争い”
『菊之助』を継ぐということは音羽屋の頭領の証しである大名跡『菊五郎』を継ぐことと同意。寺島にとって『菊之助』という名跡は、男性として生まれていれば自分が継承するはずだったために強い思い入れがある。
「眞秀くんと丑之助くんはいとこ同士ですが、眞秀くんが1つ年上。年齢のアドバンテージを生かすため、寺島さんは幼い眞秀くんに歌舞伎の稽古をさせて、彼が5歳だった'17年に初舞台を踏ませています。幼いころから舞台に立たせることで、丑之助くんよりキャリアを積ませたかったのでしょう。眞秀くんを有名私立に進学させたのも、野球チームに入れたのも“丑之助くんに先んじたい”という寺島さんの思いがあったのかもしれません」
姉の執念を知っていた五代目菊之助も、息子を引き立てるために動いていた。
「丑之助くんは5歳だった'19年、初舞台を踏むと同時に『丑之助』を襲名しました。『丑之助』という名跡は『菊之助』『菊五郎』を継ぐものが先立って襲名する幼名。この時点で丑之助くんが未来の『菊之助』を継承するのは既定路線でした」
歌舞伎の世界では、幼名を襲名する前に、本名で舞台に立たせるのも話題づくりの一環として行われている。
「松竹としても菊之助さんの子どもに継承させたいという意向がありました。眞秀くんには強い存在感があったので、早々に既成事実をつくりたかったのでしょう。この丑之助襲名は寺島さんに“眞秀くんは『菊之助』になれないのだから、早く諦めてほしい”という牽制が目的だったのでは?とも噂されています」
姉と弟の間で燻る跡目争いだが、眞秀くんと丑之助くんのいとこ同士の仲はいたって良好のようだ。
「眞秀くんは自分の立場をわかっているのか、周囲に“僕は菊之助にならなくてもいい”と漏らしていました。それを聞いた寺島さんは“そんなこと言うもんじゃありません!”と叱ったそうです」
確執の火種になりかねない音羽屋の襲名問題。なぜ今になって動き出したのか。
「本来、菊之助さんの襲名は'20年5月に予定していた市川團十郎さんの襲名以降に行う予定でした。しかしコロナ禍で團十郎襲名は'22年10月に延期。歌舞伎の世界で最も格式の高い『團十郎』を差し置いて、『菊五郎』を襲名するわけにもいかず、菊之助さんはタイミングを失っていたんです。また、近年の七代目菊五郎さんは健康状態が芳しくなく、立って演技することが難しい状態。松竹としても“七代目菊五郎さんが舞台に立てるうちに襲名披露を実現したい”という思惑があり、W襲名発表を決意したのでしょう」
“母子歌舞伎”の夢
W襲名の発表は、現在歌舞伎座で行われている『團菊祭五月大歌舞伎』の閉幕直後を候補に挙げているという。
「團菊祭は明治時代に活躍した九代目團十郎と五代目菊五郎の功績を顕彰する、音羽屋にとって思い入れの深い舞台。おそらく1年後の'25年5月の團菊祭でW襲名公演を行うと思われます」
この計画について松竹に問い合わせてみると、
「本件に関しましては、現時点でご回答できることはございません」
とのことだった。いよいよ寺島の悲願が潰えてしまうようにも見えるが、一方でこんな声も聞こえてくる。
「由緒正しい名跡を継いでしまうと、伝統に縛られて自由な活動が難しくなるという側面もあります。眞秀くんは日仏にルーツを持つ新しい時代の歌舞伎の体現者ですから、歴史ある名跡は継がないほうが大成するのではないでしょうか」
愛息を菊之助に襲名させられず消沈しているであろう寺島もまだ野望を抱いているという。
「'23年に中村獅童さんとの共演で歌舞伎座の舞台にメインキャストとして出演して、女人禁制という慣習を打ち破り、新たな前例をつくりました。寺島さんは今後も歌舞伎を続けて、成長した眞秀くんと共演する“母子歌舞伎”を行いたいと考えているんです。歌舞伎は伝統芸能であると同時に、話題や人気が問われる興行でもありますからね。名跡の大きさだけで役者の価値は測れません」
歌舞伎界に新風を起こす姉と、伝統を受け継ぐ弟。ふたりの勝負はまだまだ続く。