今年1月『関東東海花の展覧会』で着用されたジャケットが話題となった佳子さま

《両陛下と御一緒に、日本赤十字社からの御進講を受ける機会を頂き、また、関東大震災から100年の節目に日赤本社にて開催された企画展を見に伺うこともできました。(略)多種多様な日赤の活動について理解を深めると同時に、同社の社会における役割の大きさを実感いたしました。

 そのことから、社会に直接的に貢献できる日赤の活動に魅力を感じ、両親に相談いたしましたところ、社会のお役に立てるとても良いお仕事なのではないかと背中を押していただき、日赤でお勤めすることを希望いたしました

 2024年4月2日、天皇、皇后両陛下の長女、敬宮愛子さまは宮内記者会から日本赤十字社への就職について質問され、このように文書で答えた。

愛子さまのご結婚について

4月1日、日赤本社前にて記者に対して笑顔で入社の意気込みを語られる愛子さま

 さらに記者会からは「ご成年の記者会見ではご自身の結婚について『まだ先のこと』と述べられていましたが、理想とする時期やパートナー像、結婚観について現在のお考えとともに、両陛下からのご助言があればお聞かせください」と質問され、

《成年の会見から2年が経過いたしましたが、結婚への意識はその頃と変わっておりません。一緒にいてお互いが笑顔になれるような関係が理想的ではないかと考えております。

 両親から具体的なアドバイスを頂いたことは特にございませんが、両親のようにお互いを思いやれる関係性は素敵だなと感じます》

 などと綴った。

 3月26日、愛子さまは学習院大学卒業を報告するため、三重県伊勢市の神宮を参拝した。愛子さまが1人で神宮を参拝したり、地方を訪れるのは初めてのことだった。白い参拝服に帽子姿で、豊受大御神を祀る外宮を参拝した後、皇室の祖神とされる天照大御神を祀る内宮に移動し、緊張した面持ちで神前に玉串を捧げた。

 沿道の参拝客から「ご卒業、おめでとうございます」などと声をかけられる場面もあった。愛子さまは、4月1日から日本赤十字社に勤務し、青少年・ボランティア課で常勤の嘱託職員として働いている。

佳子さまの伊勢神宮参拝

成人になったことを報告するため、伊勢の神宮を参拝(2015年3月)写真/共同通信社

 秋篠宮家の次女、佳子さまも'15年3月6日、20歳の成年皇族となったことを報告するため三重県伊勢市にある神宮を参拝している。佳子さまは'14年12月29日、20歳の誕生日を迎えていた。白い参拝服に白い帽子姿の佳子さまは、外宮に続いて内宮を訪れ、玉串を捧げて、拝礼した。

 それから4年後の'19年春、佳子さまは国際基督教大学(ICU)を卒業した。卒業にあたり宮内記者会から、「今後の進路と将来の夢についてお聞かせください」などと、尋ねられた佳子さまは、

《公的な仕事は以前からしておりましたが、卒業後はその機会が増えることになると思います。どのような活動に力を入れたいかについては(略)私が何をやりたいかではなく、依頼を頂いた仕事に、一つ一つ丁寧に取り組むというのが基本的な考え方です。
(略)大学生活で、一つの分野を集中的に学んだ経験も、幅広く学んだ経験もこれからの仕事に活かすことができれば嬉しく思います。将来の夢は、あくまでも夢ですので、以前と変わらず自分の中で温めておきたいと思っています》

 などと文書で回答した。また、「新天皇、皇后となられる、皇太子ご夫妻へのお気持ちとともに、皇族の減少など皇室の抱える課題についてのお考えもあわせてお聞かせください」などと聞かれ、

《両殿下は5月に天皇、皇后両陛下になられます。私は大学を卒業し、皇族の一員としての活動が以前より多くなってまいりますので、そのような中で、少しでもお二方のお役に立つことができれば誠に嬉しく思います。皇族の減少などの課題につきましては、制度のこととも関係しますので、回答は控えたいと思います》

 と、綴った。

理想の男性像

5月25日、ギリシャ公式訪問のため、羽田空港から飛び立たれた佳子さま

 さらに、「結婚の時期や、理想の男性像についてどのようにお考えでしょうか。お相手はいらっしゃいますか」などの質問に対して、佳子さまは次のように文書で答えている。

《結婚の時期については、遅過ぎずできれば良いと考えております。理想の男性像については、以前もお答えしていますが、一緒にいて落ち着ける方が良いと考えております。相手がいるかについてですが、このような事柄に関する質問は、今後も含めお答えするつもりはございません》

 愛子さまが三重県伊勢市の神宮を参拝したとのニュースに接し、ふと私は、31年前の1993年6月26日、結婚を報告するため天皇、皇后両陛下(当時は皇太子ご夫妻)が内宮、外宮を訪れた日のことを追憶していた。結婚当時の両陛下は、今以上に人気があり、国民から大いに期待されていた。宮内記者として、結婚の儀などや伊勢市、奈良県橿原市の神武天皇陵訪問を同行取材していた私は、行く先々で2人を熱狂的に出迎える大勢の国民を目にした。皇室の慶事は自分たちの喜びでもあり、一緒になって、心の底から祝おうとする人々の姿だった。

「皇室は、国民の幸福を常に願い、国民と苦楽を共にしながら務めを果たす、ということが基本であり、最も大切にすべき精神である」

 と、成年を迎えた際の記者会見('22年3月)で述べた愛子さまの言葉どおり、「国民たちと楽しみを共にする」光景が、私の眼前に途切れることなく広がっていた。

 しかし、2人に愛子さまが生まれたのは結婚して8年後の'01年12月1日のことだった。'03年12月、雅子さまは帯状疱疹と診断され、長期療養に入った。'04年7月、宮内庁は、病状を適応障害と発表したが、《ご快復の途上にあり、依然としてご体調には波がおありです。(略)大きい行事の後や行事が続かれた場合には、お疲れがしばらく残られる》('23年12月、医師団見解)という不安定な状態が、現在も続いている。

 特に皇室については、目先のことに一喜一憂することなく、20年、30年という長期的な視点に立って考えないといけないと教えられる。この先、いつまでも多くの国民から愛される佳子さまであってほしい。そう願わずにはいられない。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に『秋篠宮』(小学館)、『美智子さまの気品』(主婦と生活社)など