血液のがんともいわれる急性リンパ性白血病。ひと昔前は不治の病として恐れられていた病に、それまで超健康優良児であったという小澤さんが罹患。まだ幼い娘たち、仕事―突然の宣告で脳裏に去来したものとは。また、わずか2年で完全寛解となった現在の心境を伺った。
「先生。私、死ぬんですか?」
2019年に水泳の池江璃花子選手が急性リンパ性白血病を公表し、日本中が衝撃を受けた。しかし、自分もかかるかもしれないとまで想像した人は少ないだろう。元NHKキャスターで、フリーアナウンサーの小澤由実さんもそうだった。
「健康そのものだった自分が白血病になるなんて、考えてもみませんでした」
と語る小澤さんに異変が表れたのは、2022年の2月末。
「3日に一度微熱が出るようになったんです。決まって夕方ごろから出始めて、翌朝にはケロッと元気になる。なんだろうと思いつつも、そのころは中2と小4の娘たちに毎日小言を言ってカッカしていたので、疲れやストレスのせいかなと、やり過ごしていました」(小澤さん、以下同)
しかし、そんな症状が1か月続き、やがて2日に1回に。ついには高熱が出て、近所のクリニックを受診した。
「微熱のほかにも、長い階段を上ったときに息がゼーゼーしたんです。加齢とは違う疲れ方で、さすがにおかしいなと感じてきて」
血液検査の結果、「血液の病気の疑いがある」と、大きな病院を紹介される。
「リンパ腫や白血病などが挙げられますと説明を受けても、まさか自分がと半信半疑で。それまで大きな病気ひとつしたことなかったのに」
5日後に紹介先病院で改めて血液検査、CT、エックス線検査、骨髄検査も受けた。
「結果を待つ間、私は楽観視するように心がけていました。夫も“大丈夫だよ”と言ってくれていましたが、前段の検査数値を見て“何もないわけはない”と、内心は覚悟していたそうです」
そして告げられた診断結果は、「白血病」。それを聞いたとき、さまざまな思いが頭をよぎったという。
「どうして? あれを食べたから? 何がいけなかったの?と、あれこれ原因を考え始めて。先生から生活習慣は関係ないと言ってもらえて少し落ち着きましたが、思わず“先生。私、死ぬんですか?”と聞いてしまいました」
担当医から「今は治療法がある。今すぐ命の危機があるわけではない」との言葉があったことで、安心できた小澤さん。しかし、告知を受けた翌日から、約半年間の入院が決まり、家族や仕事のことが頭をめぐる。
「一番の気がかりは、やはり娘たちのこと。小学生の次女が学校から帰って一人で過ごすことになりますし、中学生のお姉ちゃんも多感な時期なので心配でした」
その夜、家族で集まり、子どもたちに「母は白血病になりました。明日から入院します」と告げると、次女は号泣。長女は我慢の表情で無言に。「みんなが泣くと、ママを不安にさせてしまう」と、涙をこらえていたとか。
「夫の話では、私が別の部屋で仕事先の各所に電話をしている間、長女も泣き出してしまったそうです」
シャワー後にバサッと束で髪が抜けたときは“ドラマみたい”
その後、バタバタと家の片付けや入院の支度を済ませ、寝る前になって小澤さん自身も不安が込み上げてきた。涙が後から後からあふれたが、前を向こうと決めた。
「治療計画を説明してもらい先が見えたことと、一番大きかったのは池江璃花子選手の存在でした。白血病といえば池江さん。立派に復活された姿を見ていたので、私も大丈夫と希望を持てたんです」
大きく4つの型に分かれる白血病の中でも、池江選手と同じ急性リンパ性白血病だとわかったのは、入院して検査が進んでからだった。
治療の基本は抗がん剤による化学療法。最初の1か月は、強い抗がん剤の点滴で体内のがん細胞を一気にたたく「寛解導入療法」が行われた。
「強い薬だけに副作用も大きく、吐き気に襲われました。最初は、どこまで我慢していいのかわからず吐いてしまったんですが、看護師さんが“我慢せず甘えてください”と言ってくださって。以降は早めに吐き気止めを飲むように。今の副作用止めの薬は優秀で、つらい時期は短く済んだ気がします」
とはいえ、胃がムカムカして食欲が落ち、体重は4~5kg減少。
「食欲とともに気持ちも沈みがちでしたし、寝たきりだとごっそり筋肉が落ちてしまって。抗がん剤を入れ始めて10日後ぐらいからは、副作用による脱毛もありました。シャワー後にバサッと束で髪が抜けたときは、冷静に“ドラマみたい”と(笑)」
1か月がたち、寛解導入療法後のMRD(微小残存病変)検査の結果は陰性。
「この検査が陽性となった場合は、骨髄移植に向けた治療が必要になるそうですが、私は幸いにも陰性だったので、移植は行わないことが決まりました」
ここからさらに、5か月の「地固め療法」を行うのだが、その前に1週間の退院期間があった。
「リフレッシュ期間だから好きなものを食べて、体重を増やして戻ってきてねと言われて。そのころには食欲も回復したので、添加物など気にせず、食べたいものをとにかくたっぷり食べて、次の治療に向けてしっかり食べて体重を増やしました」
その後は1か月入院して治療し、1週間退院するサイクルを5回。入院期間はトータルで約7か月に。コロナ禍だったうえ、無菌病棟にいたため、面会も禁止だった。
「家族と頻繁にテレビ電話もできたので、寂しさはありませんでした。ただ、入院してすぐのころ、長女が数日間学校を休んだり、成績が下がったりしたことがありました。後で知ったのですが、子どもたちがネットで白血病について調べたらマイナスな情報ばかり出てきて、“ママは死んじゃうのかな”と怖くなったらしくて……」
しかし、小澤さんはその経緯を知らなかったため、電話で長女を叱ってしまう。
「日頃うるさい母親がいないから、さぼっているのかと思って(笑)。でも実は家にいる間、私のために千羽鶴を折ってくれていたと。夫の発案で、私の母や姉にも協力してもらい、みんなで作ってくれて。完成後にテレビ電話で見せてもらって、すごくうれしかった。そしてひどい母親だったと反省しました(苦笑)」
千羽鶴だけでなく、入院中は実家の母が京都から夫や娘たちに食品を送ってくれたり、実姉や義母が食事の世話をしてくれたりと、さまざまなサポートがあったそう。
「それでも夫は、仕事、家事、子育てを一手に引き受けて本当に大変だったようです。今こうして元気でいられるのも、周りのみんなの支えがあってこそ。感謝の気持ちでいっぱいです」
退院後は月に一度、外来で抗がん剤点滴を1年4か月(最初の入院から丸2年)続け、この取材の前日が最終日だったという。
「食べる力は生きる力」だと実感
「今は完全寛解の状態。あと1か月内服薬を飲んで、抗がん剤も終わりです。治療が順調に進んだのは、しっかり食べ、体力をなるべく落とさずにいられたことが大きいと医師に言われました。入院中も病気や薬に負けないよう、必死で食べたんです。今回の闘病で改めて“食べる力は生きる力”だと実感しました」
小澤さんは告知を受けた数日後から、この経験が誰かの役に立てばとブログを始め、講演でも発信を続けている。
「ただ怖がるだけでなく、正しく知って正しく恐れる。いざというとき冷静に病気に向き合えるよう、私の経験を伝えていければと思います」
がんになった立場だからこそ、伝えたいことも。
「職場の方からの“待ってるよ”という言葉がうれしかったんです。おかげで前向きに治療に取り組めました。患者にとって目標を持つことはすごく大事で。周囲の方はぜひ、心配するだけではなく、帰れる場所をつくってあげてほしいですね」
取材・文/當間優子
小澤由実さん 元NHKキャスター。ラジオパーソナリティー。2022年4月に急性リンパ性白血病の告知を受け、約2年の治療を経て完全寛解。この経験を誰かの役に立てたいと闘病生活についてブログで発信を続けている。https://ameblo.jp/miyurahawaka/