「政治家を志したもので総理大臣を狙わない人はいない」
そう述べるのはジャーナリストの大谷昭宏氏。そのため現状は悪くとも、のどから手が出るほどに総理大臣になりたがっている政治家もいるのだ。しかし、そのポストに固執しても叶わないケースのほうが圧倒的に多い。
「自民党の場合、総裁選出馬に必要な推薦人を集めるだけで大変。女性の議員は非常に不利な立場にいるんです」(大谷氏、以下同)
今回、上川陽子外相が「うまずして何が女性か」発言で追い込まれたように、政治家としての手腕以上に人間関係がものをいう。その代表的な人物が野田聖子元総務相だ。「女性初の総理大臣」の座を熱望しつつも、その悲願は実現していない。
「成果は別として、こども家庭庁など省庁の創設に関わってきた。郵政民営化で造反し、離党。無所属になり、刺客を送り込まれても小選挙区で勝利したのは野田さんくらい。政治家としての手腕は確かですが、総理大臣になるタイミングを逸した」
「数と金の力」で動く自民党において“女性でかつ無派閥”というのは非常に不利な状況。次に離党・復党したことがあげられる。理由はどうあれ一度、党内を離れた人間は評価を得られない。
信用を得られない“評論家のような顔”
国民人気は高く、「次の総理」と注目されてきた石破茂元防衛相も、総理のイスは遠い。
「自民党内では絶対に石破さんに票が入りません。離党・復党経験だけではなく『党内野党』のようなポジションであれこれ持論を展開していますし、『評論家のような顔をしていること』も党内で人がついてこない要因です」
5月に小泉純一郎元首相らとの会食で『首相の心得を教えられた』などの報道があったが、「特に意味はない」と政治ジャーナリストらは口をそろえる。
自民党の総裁を経験しながらも、総理大臣になれなかった人物はこれまでに2人いる。自転車事故で頸椎を損傷した谷垣禎一氏と河野太郎デジタル相の父、洋平氏だ。
河野家は4代続く政治家一家で、引退しても洋平氏の影響力はいまだに健在。だが、永田町関係者の間では「河野家は総理大臣になることはできない」との見方が有力だ。
「太郎さんも石破さん同様、総理候補に名前は挙がっていますが、お父さんと比べるとそれほどの資質はない。閣僚経験はあり、大きな政策を担ってきましたが成果が伴っていない。何の実績も残さず、むしろ失敗してきている、理屈だけの人だからです」
河野家で総理に一番近かったのは洋平氏だという。
「衆議院議長を経験し政治家としての理想も持っていた。その理想ゆえに離党して、新党を立ち上げました。条件もそろい、総理になりたいと願い、あと一歩のところでなれない人もいる。歴史のポイントにうまくハマることができなかった政治家たちです」
“女性初”の総理に野心を燃やす小池都知事
中には野心を燃やし続ける人物がいる。最たる存在が小池百合子東京都知事だろう。6月20日告示の都知事選への出馬をまだ表明はしていないが(5月31日時点)、
「総理としての器があるのかは疑問です。閣僚としても初の女性防衛相などを歴任してきた小池さんは『女性初』という代名詞を好み、そうした役職に就けるように政界、党内を渡り歩いてきた」(政治ジャーナリストの角谷浩一氏、以下同)
閣僚や政党代表では小池都知事は満足せず、総理大臣になるべく、知名度を上げるための研究を重ね、セルフプロデュースを続けてきたという。
「テレビ出演や遊説にミニスカートをはいて現れる、名だたる大物政治家との浮名をにおわせるなど話題にも事欠かなかった。これは自分がどう見えるか、どう映るかを研究し、さらには時の権力者と近いところにいると思わせる演出だったとみられます」
総理になるための小池劇場だ。だがうまくは進まない。
「小池さんの最終目的は総理大臣で変わりはない。都知事選後も何かあれば衆議院に変わる可能性はあると思う。そのため政界がごちゃごちゃしているときには、あえて都知事選に出た。都知事になって時間稼ぎをして、東京オリンピックで華々しく成果を残し、衆院議員に返り咲くつもりが、新型コロナのパンデミックが起きて計算が狂った」
総裁選もせずに総理になった森元首相
さらに現在、カイロ大学在籍をめぐる学歴詐称疑惑も指摘されており、総理大臣どころか都知事3選も危うい。
次の選挙があっても自民党に戻れない。衆院選に立候補した場合、都民ファーストの会のまま「総理大臣になる」という野望を抱いているのではないか、という。
「『私を総理にしてくれるところと組む』というのが小池さんの考え方です」
政権交代したあかつきには「野党連立で政権を取ろう」と言えばいい。自公の数が足りず、人数合わせを依頼されたら、与党に連立として参加する条件として総理大臣のイスを求める交渉をすることもできる。実現するかしないかは別として、そうした皮算用があるのではないか。
つまり、小池都知事は与党にも野党にもなれる。総理大臣になれる一番近い道にすり寄ろうとしているのだ。
一方で、望んでいなくともその席に座った政治家もいる。
「福田康夫元首相や森喜朗元首相もそうです。特に森さんは前首相の小渕恵三さんが倒れたことで、急きょ、話し合いによって総裁選も何もやらないで総理になった」
総理は社会情勢や激変する政治に応じた人選が求められる。いくら政治家としての手腕はあってもタイミングが合わなければ総理にはなれない。最後には「運」に味方されなければ永遠に総理になることはできないだろう。
優秀な人材が離れていく政治家
実力もないのにポストに固執している人が総理大臣になれば、日本はさらなる悲劇に見舞われる。
前出の大谷氏は警鐘を鳴らす。
「実力が伴わない人が総理の席に座っても、どうにか国政を動かせるだけの右腕、左腕になった優秀な官僚や秘書がいました。ですが、今の総理の席に固執しているだけの人たちの周囲にはそうした人材がいない。むしろ優秀な官僚ほど離れている」
政治家として志や野望、野心を持つことは悪いことではない。ただ、権力を握りたい、という自己都合だけであれば話は別だ。
総理の座にすがりつく政治家たちに、この国をよくしたい、国民を幸せにしたい、という気持ちはあるのだろうか。
取材・文/当山みどり