今年1月に下咽頭がんが見つかり、4月まで治療を受けていた見栄晴さん。芸能界の友人や先輩からの激励が支えになったという。「タバコやお酒の毎日から離れるいい機会。もっと長生きしなさいよ、と死んだおふくろがチャンスをくれた」と闘病に前向きだ。
診察のあと「多分がんだから」と伝えられる
「担当医に治療は手術か放射線の二択と言われたとき、手術で声帯を取ると、今まで“声”で仕事をしてきた身としては、これから生きる意味がわからないって答えたんです。だから最初から放射線治療、一択でした」
そう語るのは、欽ちゃんファミリーとしてお茶の間に親しまれてきたタレントの見栄晴さん。今年1月に、ステージ4の下か咽いん頭とうがんであることを公表した。
「お酒もタバコも好きで、休肝日もつくったことがないくらい(笑)。2年ほど前、電子タバコを吸いはじめたら、喉に引っかかりを感じるようになって。ずっと魚の骨が引っかかってるんだと思っていたんだよね。そこが去年の夏ぐらいから冷えたビールもしみるので、耳鼻咽喉科で診てもらいたかったんだけど、忙しくて結局、行けたのは今年の1月10日だったんです」(見栄晴さん、以下同)
診察のあと、医師からすぐに総合病院を紹介された。まだ診断はついていなかったが、帰り際、看護師さんから「多分がんだから、予約時、すぐに診てほしいと伝えるべき」とアドバイスを受ける。
「ある意味、僕はツイてた。ハッキリ言ってくれたおかげで、すぐに動けたし、その翌日には予約が取れたんです」
紹介された病院でも初診でがんの可能性が高いからと、その日のうちに病理検査やエックス線検査、心電図、内視鏡検査などを受けた。そして1週間後、首のリンパ節への転移がある下咽頭がんのステージ4と告げられる。
「ステージ4と聞いて内心、『えぇー!?』って動転してたんですが、すぐさま治療方針やスケジュール説明なんかが始まり、それを理解するので精いっぱい。ショックを受ける暇もありませんでした」
妻には病院を出たところで、電話で結果を伝えた。
「『どうだった?』と聞かれたとたん、バーッと涙があふれて。そのとき初めて、『ヤバい』と。病院ではいろいろありすぎて、妻と話すまで自覚が追いつかなかった。高校生の娘にはがんであることは話しましたが、ステージまでは伝えられませんでした」
「耳鼻咽喉科と放射線科、2つの診療科にお世話になったんだけど、放射線科の先生と最初に会ったとき、『がんばりましょう、チームだから』と言ってくれて。そのひと言がすごく効きましたね。本気でやってくれるんだな、僕もがんばらないとって」
生放送で発表した理由は「中途半端にしたくないと思った」
治療は通院と入院で、放射線35回、抗がん剤3回を7週間で行うスケジュールだった。そのためには25年間出演している競馬番組を休まないといけない。
「休んだあと戻らせてもらえるかっていう不安も、やっぱりあったし。でも、家族より付き合いの長いプロデューサーが『治して戻ってきてください』って言ってくれたから少し安心できて、その2週間後から治療を始めることに」
治療に入る直前には番組内で公表した。
「生放送中、自分の言葉で伝えたいと思って。もしかしたら休む期間が延びちゃうかもしれないし、中途半端にしたくないと思ったんです」
そこで寄せられた反響も励みになったという。
「インスタに“早く治って”とか“番組に戻ってきて”といったコメントをもらって、そんなに反響があると思ってなかったからビックリで。一緒に見ていた妻が、このとき初めて『いい仕事してきたのね。こんなにたくさんの人が心配してくれてるんだから、がんばって治そうね』って。本当にそう思いました。入院前に娘からはお守りをもらって、そのときはうれしくてまた泣いちゃいましたね」
芸能界の先輩や友人たちにも励まされた。
「欽ちゃん(萩本欽一)やヒデ(中山秀征)には公表前に伝えて。ヒデとは入院前、最後に飲みに行きましたね。ヤックン(薬丸裕英)は入院前日に家まで来てくれた。昔から可愛がってくれたのりさん(木梨憲武)は、ちょうど1月から主演のドラマで、がんで死ぬお父さん役を演じていて、俺ががんだと公表したあと、『今の医療では治るから問題なし、がんばれ』と、長文のメールをくれました」
「治療開始までの2週間の間に抗がん剤治療に備え、虫歯の疑いのある歯を4本抜いたんです。がん治療が始まると免疫力が下がり、虫歯や歯周病が悪化する可能性が大きいそうで。だから、今も歯は抜いたまんまですよ」
マイナ保険証なら高額療養費制度の申請手続きは不要
また、事前に下咽頭がんと転移したがんの状態や、ほかの臓器への転移の有無を調べる「PET検査」も行った。
「入院間際に検査結果が出たのですが、大腸に別のがんの疑いがあることが判明しました。これには出はなをくじかれる思いでしたね」
病院からはまず目の前のがん治療を優先して行い、治療後に大腸の精密検査を行うという方針が示された。
「治療の副作用で検査が難しくなるから普通は後回しになるんですが、宙ぶらりんな状態のままも嫌で。本当にわがままなんですけど、なんとか早めに検査してくださいってお願いしたんです」
幸いにも良性のポリープであることが判明。
「おふくろが亡くなったのが腸閉塞だったし、がんになるならきっと腸だろうと思ってたんで、ひと安心でした」
放射線の照射や薬剤を点滴されている最中には「がん、死ねコノヤロー」「効け効け」と思いながら治療を受けていた、と見栄晴さん。多少、髪が抜けたり、皮膚が荒れるなどの副作用もあったが比較的軽度だったと話す。
「普通は口内炎だらけで飲み込めなくなったり、食欲が落ちてどんどん体重が落ちるらしいんです。ただ、味覚異常だけは起きちゃった。1回目の退院後、家族で寿司屋へ行って、しょうゆをつけて寿司を口に入れたら突然、『なんだこれ、味がない』と。ただ僕の場合、2回目の入院の最初のころは甘みを感じられたから、病院のコンビニで毎日、スイーツを買って食べるのが唯一の楽しみでしたね。最後の入院のときには苦みと酸味しか味がしなくなり、梅干しに助けられました」
治療費については高額療養費制度の活用で大きな負担にはならなかったと語る。
「僕も知らなかったんですが、マイナ保険証の場合、高額療養費制度の申請手続きが不要なんだそうで。わざわざ役所へ行かずにすみました」
マイナ保険証が利用できる医療機関なら、自治体窓口での手続きをせずに支払いが自己負担限度額になる。
さらに、何かあって収入がなくなったら困るからと若いころに加入した、がん・脳卒中・心筋梗塞の三大疾病対応型の医療保険も役立った。
「60歳までの保険だったのでギリギリセーフでした」
すべての治療が終わり、5月頭の CT検査では、がん細胞は消失していた。
「この4か月弱は、本当に現実だったのというくらい激動で、おふくろのイタズラだったんじゃないかと。みんなは『お母さんが守ってくれる』って言うんですけど、むしろおふくろががんにしたのかなって。それは、がんになってすごくいい経験をさせてもらえたから。タバコも酒もやめられて、今こうして笑って話ができるんだから。僕が死んだら本当のところをおふくろに聞きたいね」
闘病中は病院の先生方や看護師さんからも力をもらった。
「がん治療って暗いイメージがあったけど、ちょっとしたことでも自分のことのように大喜びしてくれて。それでまた僕もがんばろうって前向きになれた。3か月間、苦楽を共にしてきたので、会えないのがさみしいくらいです」
最後に、がんになって心境の変化があったか聞いてみると……。
「食事にしてもなんにしても、当たり前のことができることがありがたいって初めて思えた。元気になって仕事に復帰できたこと、家族で過ごせることが幸せなことだと実感してます。これからもがんに負けないポジティブな気持ちは持ち続けたいです」
取材・文/荒木睦美
みえはる◎東京都生まれ。15歳のときに、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』のオーディションで「萩本見栄晴」役に合格。以降、見栄晴としてバラエティーやドラマで活躍。フジテレビONE『競馬予想TV!』のMCを25年にわたって務める。