水原一平氏、大谷翔平選手

 アメリカ大リーグ、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手の通訳を務めていた水原一平氏が、2つの罪で起訴された。同被告が違法賭博に手を染め、ギャンブル依存症だったという告白は、大谷本人も知らなかったという事実からもわかるように、まさに青天の霹靂だろう。

依存症の人に周囲はどうしたらいい?

 驚くべきは、賭博資金のために巨額窃盗を働いていたという水原被告の言動だ。ウソにウソを重ねてギャンブルを続けた姿は、ギャンブル依存症の恐ろしさを物語るに十分。とはいえ、はたから見れば、どうしてここまで転落してしまうのか不思議に思う人も多いはずだ。

「そもそも依存症とは、幼いころは興味がなかった物質や行為が『自分の中でそれが一番大切』になってしまう病気です。また、世界保健機関(WHO)は、“ギャンブルが生活の中で最優先となり、仕事や人間関係が悪化してもやめることが困難である状態”をギャンブルの依存症と定義しています」

 そう話すのは、精神科医で『ライフサポートクリニック』院長の山下悠毅先生。同クリニックは、認知行動療法や運動療法を活用し、「投薬だけに頼らない治療」を行っている。

 水原被告の場合は、ギャンブルが家族や仕事よりも優先順位が高くなってしまったがゆえに、大谷選手に対して裏切りともいえる行為を働いてでもギャンブルにいそしんだという。

「例えば、釣りが趣味の人がいて、他の何よりも優先して釣りをしてしまうなら、釣りの“依存症”ということになります。依存症というのは、ギャンブルや薬物といった特定の何かに限定されるものではなく、その人のライフスタイルにおける優先順位を変えてしまうものすべてに起こりうるのです」(山下先生、以下同)

 山下先生は「依存症は大きく2つに分けられる」と説明する。

「1つは、アルコール、たばこ、薬物といった物質への依存。もう1つが、ギャンブルや万引き、痴漢といった行為への依存です。前者は沼のように段階的にハマっていく依存ですが、後者はたった一度の成功体験がきっかけで一気にハマってしまう」

 とりわけギャンブル依存症は、その他の行為的依存に比べて、厄介な性質を持つと指摘する。

「ギャンブルは、『もし勝てたなら負けた分を取り返せる』という側面を持ちます。一発逆転で借金がチャラになりえます。万引きや痴漢と異なり、『もう一回だけ』をする大義名分が存在するため、なかなか抜け出せないのです」

依存症には2種類ある

物質への依存

・アルコール
・たばこ
・​薬物など

 依存性のある物質の摂取を繰り返すことによって、次第に使う量や回数が増えていき、自分でコントロールできなくなってしまう症状

行為・プロセスへの依存

・ギャンブル
・万引き
​・痴漢など

 物質ではなく特定の行為や過程に必要以上に熱中し、のめり込んでしまう症状

依存症の人の心理状況とは

 山下先生によれば、ギャンブル依存症に陥っている人に自覚は乏しく、クリニックを訪れる人のほとんどのケースが、家族や友人からの指摘で来院するという。本人に自覚がないのに、どのように治療を進めていくのか? 

連れてこられた方のほぼ全員が、『借金を取り返したらギャンブルはやめる』と言います。しかし、負けているのにギャンブルをやめられない人が、大勝ちをした際にそこでやめることは不可能です。もし勝ったなら、『せっかく勝てたのだからもう一勝負』『借金もないのだから久しぶりに』などと、新たなやる理由を自分の中でつくり上げるのです。

 結果、自分が借りられる限界まで借金を重ね、『二度としないから助けてほしい』と周囲に埋め合わせをお願いするのがパターンです。家族もそんな姿を見て『今度こそやめてくれるはずだ』と肩代わりをするのですが、結果、本人も家族も『これで最後』と繰り返し貯蓄を失うのです。

 初診ではこうした話を『あなたに訪れうる未来』という前提で丁寧に伝えていき、『まずはギャンブルの頻度や借金の状況を定期報告してくれるだけでも大丈夫』という形で定期通院につなげていきます。その後は、『自分は勝っても負けてもギャンブルが止まらない状態である』『ギャンブルを継続し続ければ誰もが必ず破綻する』ということを理解してもらえれば専門の治療プログラムへと導入します」

 では、その後の治療はどうすればよいのか。

「まずは『ギャンブルをしない』という決意ではなく、『ギャンブルができない』という仕組みをつくることが要となります。具体的には『現金は持ち歩かず電子マネーだけで生活をする』『お金が借りられないように身分証を家族に預ける』といったルールを設定し、守るのです」

 次に「問題行動に至らない自分をつくること」だという。

「治療では、ルールを守ることが『できない』『面倒くさい』というマインドを、『ルールを守らないと不安』『ルールを守るほうがすべてにおいて有利だし、それを守れる自分が誇らしい』というマインドへと変換していきます」

周囲が心がけるべきNG行為

 そのために、周囲の人がやってはいけないことが、「不安を助長するような言葉をかけること」だという。

「『次にやったら離婚するから』などの脅しだけでなく、『もう、やってないよね』という確認や念押し、『あのときは本当に大変だったんだよ』という過去の蒸し返しなどもダメです。

 また、『もっと頑張って』や『その程度で満足したらダメだよ』などといった、ハッパをかけるような言葉も逆効果です。本人はマインドを変えようと前を向こうとしているのに、後ろを振り返らせるような言葉をかけてはいけません」

 アルコール依存の治療を始めた家族がいるなら、アルコールと距離を置いている本人に対して「最近、頭がさえていると思う」「顔色がよくてすっきりしている」といったポジティブな言葉をかけ、取り組んできたプロセスを褒めるように接することが何より大事。

 とはいえ、近くにいる家族や友人だからこそ、当人が依存症であり、苦しんでいることをきちんと認識しなければならない。ポジティブな言葉をかける=甘やかすというわけではないのだ。

「そういう意味では、大谷選手が水原氏に対して、“何も言わない”のは正しい対応です。『ショックです』『悔しいです』など、本来であれば言いたいことがたくさんあると思います。しかし、不満をぶつけられてしまうと、依存症に苦しむ人にとっては百害あって一利なしです。『この苦しみから脱却するには、大勝ちするしかない』と、ギャンブルをやる理由が頭の中を占めていくのです」

 また、山下先生は水原被告の言動に気になる点があったという。

「先ほど、依存症の方はそのほとんどが自覚していないと言いました。ところが、水原氏は選手たちの前で、『自分はギャンブル依存症です』と告白したといいます。依存症は、やめたいけれどやめられない状態のことです。仮に、『自分はギャンブル依存症です』と認めてしまうと、やめたいけれどやめられないというアイデンティティーを持つことにつながる。それでは更生できなくなってしまう」

 ここ日本では、“推し”という言葉が浸透し、誰かに、何かに、心を寄せることは当たり前になった。依存と共存する時代ともいえるかもしれない。山下先生は、「依存することは決して悪いことではない」と前置きしつつ、「良い依存と悪い依存がある」と話す。

「人は何かに寄りかかって生きています。仕事や運動に一生懸命になるのも依存の一種です。ただし、『翌日に後悔する』たぐいの行動は改めなければいけません。一時的な快楽は得られても、幸福にはつながらないからです」

 人という字は、ヒトとヒトが支え合っている──とは金八先生の言葉だが、見方によっては寄りかかって生きているとも見て取れる。人になれるか、人の道から外れるか。社会を生きていく上で、依存は大きなテーマに違いない。

教えてくれたのは……山下悠毅(やました・ゆうき)●ライフサポートクリニック院長。精神科専門医・精神保健指導医。2019年、ライフサポートクリニック(東京都豊島区)を開設。「お薬だけに頼らない精神科医療」をモットーに、専門医による集団カウンセリングや運動療法などを実施している。大学時代より始めた極真空手では全日本選手権に7回出場。2007年に開催された北米選手権では日本代表として出場し優勝。近著に、『いい子をやめれば幸せになれる〈新版〉』(弘文堂)がある。

取材・文/我妻弘崇