大学卒業後、OLをしながらアマチュアとしてバンド活動していた杏子さんは、バービーボーイズのデビューから今年40周年を迎える。「バンド解散時はOLに戻ろうかと思ったんですけどね。クセになるライブの楽しさが忘れられなくて今まで続けてきた感じ」今も還暦越えとは思えないほどの歌唱力と若々しさ! キープする原動力とは?
「何年か歌ってみてダメなら、お嫁に行けばいいか」
男女のツインボーカルに、恋の駆け引きを思わせるセクシーな歌詞。'80年代を席巻したロックバンド、バービーボーイズの女性ボーカルが杏子さんだ。意外にも当初、プロになるつもりはなかったそう。
「大学在学中に始めたバンド活動を続けるため、両親が心配しないように商社に入社したんです。そのための条件が9時〜5時勤務で残業なし、週休2日。総務部で働いていましたが、理解のある先輩ばかりで助かりました」
そんな中、ライブハウスで当時のバービーボーイズを見て「この人たちはメジャーになる」と直感。本当にデビューが決まったメンバーに一緒にやろうと誘われ、約1年でOL生活にピリオドを打った。
「もちろん母は大反対(笑)。兄は『自分がやりたいことだったらいいんじゃない』って応援してくれました。アマチュア時代はチケットを手売りしていて、私が社内でけっこう売ってたんです。誘われたのは、その営業力を買われたんじゃないかな(笑)。あの時代、商社OLは寿退社要員だったので、『何年か歌ってみてダメなら、お嫁に行けばいいか』なんて思っていた部分もありましたね」(杏子さん、以下同)
しかし、デビュー後は自身の準備不足を痛感することに。
「歌うたびに音程やリズム、ニュアンスが違うと指摘されるんですが、“正解"がわからない。そもそもプロになれるわけないと思っていたので、『私はこのバンドにいてもいいのかな』という気持ちもありました。でも、3枚目のアルバムをレコーディング中、初めて自分らしい歌い方が見つけられた。それが歌手としての自信につながったんです」
今では珍しくない男女混合バンドだが、男性だらけの音楽業界で苦労もあった。
「バンド内で居心地の悪い思いをしたことはないけれど、バンド名が『ボーイズ』だから楽屋がひとつしかなくて。私あまり気にしないので、男性が後ろを向いている間に着替えるのがうまかったけど。今も収録が終わると、脱ぎながら楽屋に向かっちゃう。でも、同時期にデビューしていた『レベッカ』のボーカル、NOKKOちゃんは周りからお姫様みたいに大切にされていて、みんながSPのように付き添うので、ちょっとうらやましかったです(笑)」
バービーボーイズはその後、破竹の勢いでヒットチャートの常連に。しかし、方向性の違いから1992年に解散したあとは、歌うことから離れようとしたこともあった。
「私はバービーに入れたからプロになれただけ。商社時代の仕事のできる先輩を尊敬していたので、専門学校でスキルを身につけて、“プロのOL"になってみたいという思いも本当にあったんです」
大学生のころは157cm、63kgの“迫力ボディ"
杏子さんの母は「これでお見合いをして結婚してくれる」と、期待していたそうだ。
「母は私が歌っている歌詞に出てくる強い女性像が嫌だったみたい。近所にも『本当はああいう子ではない』って言って回っていて。確かに私は母に似て心配性だし、自分に自信があるタイプではなくて。ただ、自分が歌った歌詞にどんどん洗脳されたのか、本当に強くなりましたけどね」
それでも引退を選ばなかったのはライブの楽しさが忘れられなかったからだと語る。
「お客さんからパワーをもらい、思いがけない歌い方や動きができて、自分の新しい面を発見できる場なんです。歌に自信があるわけではなかったけれど、ファンの方が歌を聴いて元気になったと言ってくれるのもうれしくて」
プロデビュー後の苦い経験から、チャンスが来たときにモノにできるよう、自分を磨いておくことが大事だと痛感したという杏子さん。長年、身体づくりとボイストレーニングには妥協を許さない。
「肺活量がないと声が出ないですし、ライブツアーには体力も必須。ジョギングや水泳、ジム、ヨガなどいろんな運動をしました。身体が楽器なので飽きっぽい自分にムチ打って続けるんです(笑)」
スレンダーな体形をキープしているが、大学生のころは157cm、63kgの“迫力ボディ"だったそう。
「昔の履歴書には体重を書く欄があって、就職活動のときには59kg。デビューしてからは男子メンバーが全員細いので、ロングスカートでコンプレックスだった太い脚を隠し、演奏中にスカートをヒラヒラさせたのが、今のステージスタイルになったんです。フラメンコを習い、ライブ中にストールを回しながら踊れるようになったのは、そんな葛藤の賜物でもあります」
独特のハスキーボイスをキープするため、喉のコンディションにも細心の注意を払う。
「やっぱり声がかれやすいんです。バービー時代、喉のコンディションのデータを2年間つけてみたら、睡眠不足でも声が出る日もあったり、体調との関係はあまりなくて。あるボイストレーナーから、声はメンタルの影響が大きいと聞き、ちょっと納得しました。私は普段は平気なのに、少しでもうまくいかないことがあると、ネガティブ思考に陥りやすい。今は自分なりのリラックス法を見つけるようにしています」
ストレスをためないよう、食べたいものを食べ、お酒も飲むという。
「お酒はすごく飲みます! バーでひとりで飲んでそうなイメージを持たれがちですが、食事のときに飲むのが好きなので、2軒目とかにはもう行かないです」
美術館で江戸中期をはじめとする絵画を鑑賞するのも、杏子さんの趣味のひとつだ。
「自分に優しくできるようになり、やっと“自分のテンポ"がつかめるようになりました。喉に小さい声帯ポリープもあるのですが、定期的に医師の診察を受け、切らずに上手に付き合っていくことに。5年前、新たに出会ったボイストレーナーの先生のおかげで、維持できています」
女性にとって体調の変化が起きやすい50歳、60歳の壁はどう乗り越えたのだろうか。
「日頃の運動のおかげで、体調の変化はほぼ感じずに済みました。歩くだけでもずいぶん違いますね。メンタルって自分でコントロールするのは難しい部分だけれど、運動で身体をいい状態に保てれば、心も安定すると思います」
どんな健康法も2か月は続けてみる
今はスムーズに働く機能的な身体をつくる「FUNBO」というトレーニングが習慣に。
「体幹を鍛えるバレリーナのためのメソッドで、10年ほど続けています。下半身が引き締まり、歌うときの声も以前より出しやすくなったんです」
仲のいい30代のネイリストや女友達から情報を仕入れ、いいと聞けばすぐ試す、健康&美容オタクの一面もある。
「年を重ねるのはいいことだけど、元気でいるためにできることはしておきたいですから。どんな健康法も2か月は続けてみます。最近始めたのが、夜、寝る前にはちみつをスプーン1杯なめること。睡眠の質が上がるはずなんですが、なぜか私の場合、眠りが浅いのか夢がリアルになっちゃって(笑)」
普段は姿勢が悪くならないように気をつけているそう。
「股関節や脚を伸ばすストレッチとボイストレーニングの呼吸法は長年のルーティン。あと抗酸化作用があるという麦茶を通年、飲んでいます」
定期的に開催するソロライブではシックなファッションから、ロックな装いまで、ステージ上でいくつもの衣装の早着替えを行う。
「イギリスの歌手、サラ・ブライトマンのコンサートに行ったとき、1曲ごとに衣装替えをしていたんですが、そのファンサービスに感激したんです。自分のライブでも取り入れたかったんですが、私はせっかちなので舞台で着替えるスタイルに(笑)。これからも年齢にとらわれず、楽しいと思ったことにチャレンジしていきたいですね」
取材・文/池守りぜね
きょうこ◎1984年にバービーボーイズとしてデビュー。J-ROCKの一時代を築いたのちソロに。山崎まさよしらともユニット「福耳」を組む。音楽だけでなくラジオ番組のパーソナリティーや映画、舞台など、幅広いジャンルで活躍。「Augusta Camp in U-NEXT ~Favorite Songs~」Vol.12(7月10日/新代田FEVER)【〜南青山MANDALA 30th anniversary〜 杏子セレクトプレイリスト Reproduce Live「杏子ROCK」編】(8月22日/南青山MANDALA)「Augusta Camp 2024」(9月21日/富士急ハイランド・コニファーフォレスト)