草笛光子

 言いたいことも言えない社会に、明るく、鋭く、切り込んだ佐藤愛子のエッセイ『九十歳。何がめでたい』が、ついに実写映画化! その主演を務めたのは、まさに90歳を迎えた草笛光子。そこで、チャームポイントの豊かなグレイヘアを黒くして撮影にあたった草笛に、共演の唐沢寿明のことや撮影時のエピソード、美しく、チャーミングに卒寿を迎える秘訣などを伺った。

言いたいことはその場で口にする

 もともと原作を愛読しており、共感することも多かったという草笛。とはいえ、実際に佐藤愛子を演じるとなったとき、真っ先に頭に浮かんだのは、「まさか! とんでもないことになりました!」という思いだった。

企画が進み、“作家生活を引退した愛子先生が編集者にエッセイの連載を頼まれる”という現実をもとにした設定に決まってから、愛子先生とお食事する機会があったんです。いただいたのは和食だったかしら。最後には、『あなたが私を演じるのも悪くないわね』とのお言葉もいただきました。ホッとしながらも、身が引き締まる思いでした。

 その後、映画化決定に際してのコメントでは、《この厄介な私を演じるなんて大変だなぁ、気の毒だなぁと、同情申し上げたい気持ちでいっぱいです。このエッセイは、特に新しいことを考えたわけでも、特別な想いを込めたものでもなく、相も変わらず憎まれ口を叩きながら自然体を心がけて書いたもの。そんな原作を元にして、どんな妙ちくりんな作品が出来あがるか楽しみにしています》とおっしゃってくださったんです」

 監督は、2021年の映画『老後の資金がありません!』でタッグを組んだ前田哲。それ以降、毎年元日に前田監督が草笛宅を訪ねるなど、プライベートでの交流が続いている。一方で、撮影中はお互いに、思ったことや言いたいことを言い合った。

「はたから見ればケンカ腰かもしれませんが、言いたいことはその場で口にしてしまったほうが、後腐れがなくて私は好きなんです」

 実在の人物を演じるにあたり、草笛が気をつけたのは、内面から醸し出される作家としての風格や雰囲気をどう表現するかということ。

「執筆シーンはひとりきりでセリフもありませんから、さてどうするかと悩みつつ、筆圧にもこだわったりしました。書斎のセットに置かれた原稿用紙の前に座ってふと顔を上げると目の前に、はらはらと落ちてゆく黄色い葉が見えたんです。それがとても美しくて、自然と想像力が湧き出てくる感覚がありました。

 それ以外のシーンは、ほぼ文句を言ったり、好き勝手なことを言ったりして、『いつもの草笛さんと変わりませんね』なんて嫌みを言われたりして(笑)。こちらはもう何をするのも満身創痍で、なりふり構っていられませんから、“90歳、何がめでたい”と思いながらの撮影でした

『九十歳。何がめでたい』6月21日(金)全国公開 製作幹事:TBS 配給:松竹 (C)2024映画「九十歳。何がめでたい」製作委員会 (C)佐藤愛子/小学館

 物語は、自身の集大成ともいえる小説を書き上げた90歳の作家・佐藤愛子のもとを頑固な中年編集者・吉川真也が訪れるところから動き出す。

 ふたりが組んでスタートした連載は評判を呼び、断筆宣言から一転、新たな人生が切り開かれる─。その編集者を演じたのは唐沢寿明だ。

唐沢さんとは、大河ドラマ『利家とまつ』でお会いしたのが最初ですが、しっかりお芝居をしたのは今回が初めてです。撮影中は随分気遣っていただきましたし、助けてもいただきました。

 ただ、私がお裾分けした甘いお菓子は絶対に召し上がらないの。シャンと背筋を伸ばして、『僕はいいです』とおっしゃる。私は目の前にあるものをついつい食べてしまいますから、自分を律する姿勢に感服いたしました。私は横浜っ子で、唐沢さんは下町っ子なので、裏表のない性格が似ているのか、現実の愛子先生と編集さんもこんな感じかしら?と思ったりもしました

草笛光子

 小説家と編集者の軽妙なやりとりも見どころだが、真矢ミキ演じる娘や藤間爽子演じる孫との気取りのない同居生活も楽しい。映画には、実際に佐藤愛子が、お孫さんと一緒に撮り続けたという幼稚園児やコギャル、落ち武者に草苗が扮した「仮装写真の年賀状」も盛り込まれている。

「私は自分でメイクをしますから、別パターンを撮るたびに顔を変えるのは大変でした(笑)。だけど、愛子先生が、あんなに洒落っ気というか、面白みのある方だと知らなかったのでびっくりしました。あのユーモアには脱帽です」

撮影中は自分の老いと闘うので精いっぱいだった

 役に合わせて眉毛を変えるなど、昔からメイクは自身でしてきた草笛。それに関してこんなエピソードがある。

 『犬神家の一族』で共演した高峰三枝子さんが、草笛のメイクを気に入り、「あなた、お上手ね。次にやる舞台でお化粧をしてくださる?」と声を。その約束を果たすことは叶わなかったが、死に化粧は草笛が施した。実は親交があったジャーナリストの兼高かおるさんや、衣装デザイナーのワダ・エミさんの死に化粧も草笛が施している

「最近は周りのスタッフやメイクさんから、『草笛さんが亡くなったら、誰が死に化粧をするのですか? 私たちは気に入らないと化けて出られるのは嫌です。だから、あと30分で……となったら、鏡とパフをお渡ししますので、ご自身でお願いします』なんて、冗談を言われたりするんですよ」

 そう言って草笛は笑う。以前、出演したトーク番組『A-Studio+』の番組収録時には、草笛とスタッフのそんなやりとりを聞いて驚いた笑福亭鶴瓶が、「こんなに明るく死について話す人たちはいない」と発したほど。

 常に明るいオーラを纏っている草笛は、自然体で、華やか。洋裁店を営み、時に草笛のマネージャーも務めていた母の影響もあるのだろう。

 取材時の真っ赤なネイルも印象的で、それを告げると、「自分で塗ったのよ。こうやると、ピアノが上手そうに見えるでしょう?」と、ピアノを弾くかのように手をヒラヒラさせるおちゃめっぷり。「本当はこんなふうには弾けないのですけど」。

 美の秘訣を知るべく小脇に携えた小さなバッグの中を見せてほしいとお願いすると、知り合いのアーティストにお願いして描いてもらったという美しい花の絵をあしらったマスクや、ピンクベージュのリップ、繊細な刺しゅうを施したハンカチといった上品な小物と一緒に、がま口を発見。「だって、このほうが使いやすいでしょ?」とケラケラ。

「特に大したことはしていないのよ」と語る草笛だが、シミひとつない肌は紫外線対策の賜物。1年中、室内にいるときでも日焼け止めは欠かさない。毎朝、梅干しと煎茶をいただく。そういった小さな積み重ねが、美の秘訣なのだろう。

 等身大の90歳をエネルギッシュかつチャーミングに演じた草笛。とはいえ、撮影中は毎日、自分の老いや「億劫だ」と思う気持ちと闘うので精いっぱいだった。

 体調や気持ちを調整しながらの2か月間。80人あまりのスタッフと共演者が草笛を温かく支え、国内では最高齢主演女優による痛快エンターテインメント映画が完成した。

わざとらしく、感動させようとか、笑わせようとしていないのが良かったです。それに音楽もステキです。いい雰囲気の音楽がリードしてくれて、そこに物語がついていく感じがいいなと。撮影中は無我夢中でしたが、事務所のスタッフからは、『とてもチームワークのいい現場で、まるでへたばりかけたピッチャーを盛り立てて、みんなで甲子園優勝を目指す野球部のようだった』と聞きました。

 試写を見終わったみなさんからも、『面白かった』『楽しかった』『最後の表情がよかった』などありがたい言葉をたくさん頂戴して、改めてチームのみなさんのお力の賜物だと思いました。年を取るって大変そうだけど、ちょっと楽しそう。この映画を見てくださった方に、そんなふうに明るい気持ちになっていただければうれしく存じます。90歳の私の精いっぱいを、どうぞご覧ください

取材・文/山脇麻生