「いろいろな競争があるけれど、女性の領域とされる分野や、競争が激しそうな分野ではなく、自分が興味を持て、将来性のある世界を目指したいと思いました。そのほうが挑戦しがいがある。満員電車に乗っていくよりも、すいている逆の方向に自信を持って行けばいいんだ、と思ってやってきました」
そう語るのは、小池百合子東京都知事。女性として初めて都知事となり、間もなく2期目の任期満了を迎える。
数々の日本女性初となる道を切り開いた
「日本女性初」は彼女の半生そのものだ。日本女性初の経済ニュースキャスターに、日本女性初の自民党総裁選出馬、日本女性初の防衛大臣と、新たな道を切り開いてきた。
女性初であること、それは自身にとってどんな意味を持つのだろう。
「女性であることは紛れもない事実ですから。女性だからどうとか、何をするとか、あまりそこに思いが強いわけではありません。人生は一回なので、やりたいことをやろうと。とても自由にこれまで走ってきたということですね」
1952年、兵庫県生まれ。父はベンチャー精神にあふれ、事業を興し、世界を視野に入れよと彼女に説いた。
母は当時としては珍しく女性の自立を信条とし、60歳でエジプトのカイロに日本食レストランをオープンしている。
多勢に流されることを良しとせず、オンリーワンであれと促す。両親の姿勢を礎に、自身の可能性を模索していく。「客観的に自分自身を見つめることを子どものころからしてきました」
幼いころは、2歳上の兄が遊び相手。当時をこう振り返る。「お兄ちゃんとチャンバラごっこをしたり、野球をしたり、男の子っぽい遊びが多かったですね。一方で、バービー人形が大好きでね。今も大事に持っています(笑)」
中学から私立の甲南女子中学・高校で学び、関西学院大学に進学。大学を半年で中退し、エジプトへ渡り、カイロ大学に入学。
大学卒業後に帰国し、『竹村健一の世相講談』(日本テレビ系)のアシスタントキャスターを務め、1988年にテレビ東京系『ワールドビジネスサテライト』の初代メインキャスターに抜擢される。
政界に進出し、クールビズを広める
政界転身はキャスター時代のこと。
「ベルリンの壁崩壊、東西冷戦の終結、そして湾岸戦争、日本経済のバブル崩壊と続きました。世界がガラガラと変わっていったころですね。
私はニュースを伝える側でしたが、このままで日本は大丈夫かと、国内外のニュースを伝えながら、不安も覚えていました。私はそれらをずっとニュースで伝え続けるのか、それとも自分が主体的に動くのか……。崖から飛び降りた瞬間がありました」
1992年、40歳のとき、細川護熙氏とともに、結成まもない日本新党から参院選に出馬。見事、初当選を果たす。翌1993年には衆議院に初挑戦し、定数5の兵庫2区で、日本社会党の土井たか子氏に次ぐ2位で当選。2003年に環境大臣に就くと「クールビズ」を提唱し、オフィスシーンの軽装化を実現。それも女性ならではの視点があってこそ。
「私自身がエアコンにとても弱いんです。男性は暑い夏にスーツにネクタイで武装しなければ営業にならない。一方、事務職の女性はエアコンの効いたオフィスに一日中いて、震えている。男性も女性もつらい思いをしていた。
環境大臣になったときに、気候変動対策としても、今やるしかないと思い、クールビズキャンペーンを始めました。共感がわき起こる一方、批判もありました。でも、今や軽装が当たり前ですよね」
2007年には女性初の防衛大臣に就任。時の総理は安倍晋三氏で、当時彼女は内閣総理大臣補佐官を務めていた。
「官邸にいたら、突然『総理室まで来てほしい』と声をかけられて、安倍総理に『小池さん、頼むね』と言われたんです。私はいくつか閣僚を経験しましたけど、防衛大臣は国民の命を守る使命を担うわけで、重責感が全然違います。常に国際情勢に敏感であることは当然です。当時から北朝鮮情勢などミサイルの脅威にさらされていましたから」
重責と併せて、日本女性初ならではのこんな悩みも。「前例がないので、着任の栄誉礼に何を着ていいかわからない。インターネットで検索してみたんです。するとフランスのアリヨ=マリー国防相がパンツ姿で栄誉礼を受けておられる写真を見つけて、参考にしました」
栄誉礼には上下黒のパンツスーツで登場。颯爽と式に臨む彼女の姿が当時ニュースで盛んに取り上げられた。
しかし、政治というのはいまだ男性社会。女性の活躍が目立つと、足をすくわれることもありそうだが……。「意外と鈍感で、あまり感じないですね」と艶然と笑う。
とはいえ言葉にはできずとも、苦い思いは多く噛みしめてきたはず。
「先輩の議員から、『小池さん、政治の世界というのは嫉妬の世界なんだよ。うまくいく人は必ず足を引っ張られる。特に女性は。そのつもりでいたほうがいい』と言われました。時には嫉妬され、足を引っ張られることもあるけれど、そこからまた切磋琢磨していく必要があります」
切磋琢磨し、壁にぶつかってしまったときは?
「迷ったときは前に進む。もしくは、とにかく寝る。睡眠は重要ですから(笑)」
男社会の中でも、ファッションやメイクは常に完璧で、女性らしい華やぎで存在感を放ってきた。それも女性リーダーとしての心意気だろうか。
「いやいや、そこも意識していなくて、むしろ楽しんでいます。母が遺してくれた着物をリメイクしたジャケットも愛用しています。だって、もったいないじゃない? ただ、ずっとハイヒールで駆け回ってきたので、外反母趾が悩み。最後のご褒美が外反母趾かと思って(笑)」
東京都知事になり、数多くの政策を実現
2016年、女性初の都知事に就任。女性の活躍を都政の重要課題と位置づけ、さまざまな政策を打ち出してきた。子どもを望む女性のため、不妊治療費の助成を拡充し、昨年からは、都道府県で初となる卵子凍結への助成を開始。
「チルドレンファースト」を掲げ、0歳から18歳の子ども1人あたり月5000円を支給する「018サポート」も今年で2年目を迎えた。
「私自身もう一心不乱に働いてきて、その間(議員時代)に子宮筋腫で全摘出をする経験もしました。であるならば、女性が子どもを産み育てられる環境を整えることこそが私の役目だと思って、一生懸命取り組んでいるんです」
女性リーダーとして、職場環境の改善にも尽力する。コロナ禍が日本を襲う前からテレワークを推進し、都内企業のテレワーク導入率は、2017年の7%から2023年には60%に上昇。都庁では女性管理職を積極的に起用し、現在約2割。局長級への登用も進め、過去3年でおよそ倍増させた。ただし、まだまだ理想には程遠いよう。
「女性議員、女性経営者は非常に少ないと思います。社会の構成を考えると、もっと女性が声を上げていく必要があります」
例えば、都議会では現在119人中女性が37人(31%)と都道府県議会でトップである一方、衆議院における女性議員比率は11%にとどまる。
女性としての自身を俯瞰し、時流を読み解き、女性初の都知事として2期8年の任期満了を間近に控える。3選を目指し、7月7日投開票の都知事選への立候補を表明した。
東京はどこへ向かうのか。最後に、彼女の目指すものを聞いた。
「東京を一番にしたい。世界の競争はすごく激しい。私は、都市はマグロだと思っています。常に動いていないといけない。その中で、経済、産業、子育て、そして歴史、文化に富んだ東京をもっと磨き上げたい。都民の生活や安心、安全を守り、東京をいつも世界一のまちにしていきたいと思っています」
取材・文/小野寺悦子