36歳でメジャーデビューを掴んだシンガーソングライターがいる。彼の名前はryuki hajimu。
高校生がデビューしてもなんら不思議ない昨今、36歳という年にデビューした彼のこれまでとは──。
36歳でメジャーデビューした奄美大島出身の歌手
「小さい頃から周りから“うるさい”ってよく言われるくらい歌うことが好きでした(笑)。風呂場で2時間ライブしたりして家族に怒られたことも……。
漠然と音楽が好きという気持ちはあったんですけど、歌手デビューが明確な夢になったのは、親戚が歌手デビューした時ですかね!」
親族の歌手デビューは自分に大きな影響を与えた、とにこやかに話すryuki。そんな彼の歌手活動の第一歩は高校生時代。
「同級生とバンドを組むことになって、当時流行っていたバンドをコピーしているうちに、“オリジナル曲を作りたい!”と思うようになりました。でもどうやって作ればいいのかわからない。そこでピアノを習いにいったんです」
ピアノを始めるにあたって、母親にすごく反対されたそうだが、「楽器を弾けるようになりたい」と説得。そのおかげでピアノを始めて1年ほどでオリジナル楽曲を作ることができたんだとか。
「それからライブで自分の曲を聴いてもらう機会が増え、喜んでくれたり、一緒に歌ってくれる姿を見て、“自分の気持ちを音にのせて共有できるって素晴らしい!”と思ったんです。そのとき、本格的に歌手の道に進みたいという信念が生まれたような気がします」
しかし、その夢もなかなか実現することはなかった。それもそのはず、多くの人が歌手への道を目指すも、その門は狭い。挫折する人も多いが、彼もまたその1人であった。
そんな彼がした大きな決断。それは通っていた大学を中退し、音楽の道へ進むことだった。
「大学を辞める時に、両親から30歳までに何も形にできないなら諦めなさい。と言われててその時すでに、28歳。“やばい!!”ってなったのを覚えています。
そこで配信シングルという形でインディーズデビューしました。それから自主制作でアルバムも出して、そのアルバムを片手にいろんなところで歌って、手売りしました。
でも毎週どこかしらで歌うことはできても、夢の実現という意味では納得できていない感覚でした」
歌手生活を始めるも、思い通りにいかない日々。そんな時に現れたのが、新型コロナウイルスの猛威だ。
「スケジュールがどんどんキャンセルされて、“もう夢を見るのは終わりにしなさい”ってことなのかなと思いました。長引くコロナ禍で、ステージで歌いたいという気持ちもどんどん薄れ、生き抜くことに精一杯の日々でしたね」
両親に啖呵を切って大学を辞めたものの、歌手への道を諦めかけていたと話すryuki。そんな彼に転機が訪れたのはつい最近のこと。
「ひょんなことから音楽プロデューサーの沖添友紀さんと知り合うことになり、自分がぼそっと“最後にアルバムでも作りたかったな”とつぶやいたんです。そしたら沖添さんがこれまでの楽曲を聞いてくれて、“アルバムつくろうよ”と言ってくれました。
最初は今まで心配をかけた両親にベストアルバムを作ってプレゼントするくらいの気持ちでした」
思い出作りのアルバム制作。そんな気持ちで進めていたレコーディングで、沖添友紀氏からこんなことを言われた。
《あなたの良さは人間味!それが音楽にも声にも出てるから、せっかくアルバム作るんだったらさ、ちゃんとやってみない?》
忘れられないその瞬間。
「ずっと誰かに言われたかった言葉でした。歌手になりたいという割には、自分に自信がない部分があった。知ってる人だけ知ってくれてたらいいのかなって。でもその一言でハッとしたんです。自分が自分をいちばん信じなきゃいけないって。
後ろ向きだった自分をプロデュースしたいと思ってもらえた。そんな奇跡みたいな出来事に感謝の気持ちでいっぱいですし、見事にやる気スイッチを押してもらった気がします」
とはいえ、彼は36歳。遅咲きと言われることもあるかもしれない。それでも彼は今の状況に笑顔でこう話す。
「36歳にもなって、まだ夢を見るの?とか思われるかもしれないですが、逆に36歳からでも夢を追いかけられるんだ。といういうことを証明したいと思いました。
夢を見ること、実現するために自分を奮い立たせて走り出すこと。それはいくつになっても遅くはないということを体現したいです」
周りをパッと明るくする彼の雰囲気。そんな彼が今回リリースするアルバムには亡き祖父への想いを込めた1曲がある。
「身近な存在と死別する感覚は誰しも壮絶なつらさだと思います。人の“死”に直面してはじめて感じたこと、大好きだった人を失ったつらさを込めて作りました。
でも、作っていく中で、“大切な人は自分の心の中で生き続けている”ということに気づきました。人の温かい思い出は色褪せることはないと思うんです」
今回プロデュースする沖添友紀氏にも話を聞いた。
「ryukiの音楽は歌詞やメロディを超越した感情や音楽性で、歌声を聴くだけでその時々の心境や風景が浮かぶんです。それを1秒たりとも損なわずにお届けしたいと思ったのが一番のきっかけとなりました。
彼が20歳から作り溜めた楽曲を世に出す上で大事にしたのは、16年という長い時間の中で心境の変化や時の流れ、人々とのつながりを感じてもらうこと。このデビューアルバムは全曲を通して1つのストーリーになっているんです。なぜなら“人はストーリーによって動かされる”からです」
またryukiの音楽性について沖添氏はこう続ける。
「奄美大島を題材に扱った楽曲において、奄美民謡でも頻繁に使用される“グイン”という裏声を使ったこぶしを使い、また編曲を行う際にも、奄美の律音階を使用しました。このように楽曲に応じて、声色を変化させる事ができるのは彼の強みの一つ。アルバム収録楽曲では、多種多様な表情をみせてくれます」
インタビュー中も笑顔が溢れ、スタッフへの気配りも忘れないryuki。これまで彼が紡いできた楽曲や人柄に心動かされた人も多いだろう。そんな彼の音楽の一番の理解者、沖添氏はインタビューの終盤、筆者へこう話した。
「最後に、ryuki hajimuの作る音楽には全てに《アイ》があります。自分のために歌うのではなく、目に見えない“誰か”のために届けたい《アイ》があります。1曲1曲に込められた《アイ》を1人でも多くの方に受け取っていただれば本当に嬉しいと思っています」
取材・文/佐々木一城