7月5日に30歳の誕生日を迎えた大谷翔平。節目の年に、打者としてこれまで以上の大活躍を続けている。
「日本時間27日のシカゴ・ホワイトソックス戦で2試合連続となる先頭打者本塁打を放ちました。これでドジャースの球団新記録となる10試合連続打点をマーク。近年の統計調査により、打者がピークを迎えるのは、おおむね28歳という考えが定説ですが、大谷選手は衰えるどころか、進化を続けています」(スポーツ紙記者)
スポーツ界最高額となる10年約1015億円(契約合意時のレート)でドジャースに移籍。今年も絶好調ということもあり、地元・岩手も、より一層盛り上がっている。
大谷が通っていた奥州市立姉体小学校には日本ハム時代のサインやMVP受賞をたたえる横断幕、活躍を伝える新聞の切り抜きなどが展示してあった。
聖地の地元は“巡礼ルート”も
大谷といえば昨年、全国の小学校へグローブを寄贈することを発表。すでに母校にも届いている。どのように扱っているのか、菊池昌典副校長に話を聞いた。
「学校外への持ち出しはできませんが、帰宅するまでは児童が使えるようにしています。毎日予約が入っていて、常に10日は待たないと使えないほど人気です。貴重なものなので、“飾るべきでは”という声もありましたが、大谷選手から使ってほしいという希望がありましたから、自由に使えるようにしています。児童はみんな大谷選手のことを誇りに思っていますね」
姉体小学校を卒業して進学した水沢南中学校にも、大谷からレアアイテムが贈られていた。
「花巻東高校時代に出場した甲子園の砂を大谷選手からご提供いただきました。また、地元企業のスズシン物流システムさんから大谷選手のサイン入りユニフォームを寄贈いただき、飾っております。ファンの方も大谷選手関連の展示を見学によくいらっしゃっています」(水沢南中学校担当者)
大谷の母校は聖地化し、多くのファンが“巡礼”しているようだ。地元のタクシー運転手によると……。
「よく大谷選手ゆかりの地を巡るお客さんがいますね。昨日も30代くらいの女性を1人乗せましたよ。小学校、中学校を回り、大谷選手のグッズが多く展示されている美容室まで行くというルートが多いです」
オリジナルの“短冊”も
母校と並んで聖地巡礼の人気スポットとなっているのは、美容室『hair&spa Seems』。所狭しと大谷のグッズが並べられている。同店オーナーの菅野広宣さんに話を聞いた。
「これまで大谷選手のグッズにいくら使ったかわかりません(笑)。それを目当てに大谷選手のファンが日本全国から毎日のように訪れます。アメリカ、韓国、中国といった海外のファンの方もいらっしゃいます。ただ、来られる方が増えすぎて、今は完全予約制にしています。
高額なグッズもあるので、盗まれないか不安もあります。シリアル番号入りのグッズは盗まれても追うことができますが、WBCに出場した侍ジャパンの全員のサインが入ったキャップのように世界にひとつしかないものは心配ですね。なので、店内にはカメラを設置するなど、防犯対策をしっかりしています」
奥州市役所にも大谷関連の展示が数多くある。4月に契約を結んだ伊藤園の、大谷がデザインに起用されたラッピング自動販売機の“第1号”が6月25日に設置された。
「奥州市では『大谷翔平選手ふるさと応援団』が'18年に発足しています。今回の自動販売機の設置は、伊藤園の水沢支店さんにサポーターになっていただいたことから実現しました。ほかにも、奥州市は南部鉄器の風鈴が名物なので、それにつけるための短冊を作りました。“がんばれ! 大谷翔平選手”と書いた青の短冊で、市内3か所で各1000枚、1人1枚限定で配布していますが、もう在庫はわずかです」(奥州市役所担当者)
ふるさと応援団では短冊のほか、企業向けに応援ポスターも配布。これらをデザインし、日本ハム時代の大谷と会ったことがある『株式会社JAZZRIZE DESIGN』の代表取締役、梅田浩司氏に話を聞くことができた。
「大谷選手とはこれまで2度、お会いしました。'14年に日本ハムの寮と2軍球場があった千葉県鎌ケ谷市でインタビューをしました。'15年には『食の黄金文化・奥州』という奥州市のPR動画を制作したのですが、そのナレーションで大谷選手に出演していただきました。お会いしたときの大谷選手は、背が高くてキリンみたいな印象でした。今どきの若者の雰囲気はありながらも、しっかりしていたし、落ち着いていました。現在、応援団のTシャツを制作しているので、オールスターのパブリックビューイングでは、みんなで着たいですね」
譲らなかった「エースで4番」
同じ奥州市内ではあるが、大谷が育った地域である水沢から少し離れた隣町の図書館にまで、大谷の展示は拡大している。担当者の渡辺貴子さんに展示について聞いた。
「メジャーリーグに移籍した'18年から大谷翔平選手のグッズや関連の本を置くコーナーを作りました。'21年に初めてMVPを受賞したとき、大谷選手と比較されることの多かったベーブ・ルースと2人の年表を作成しました。'20年に新型コロナウイルスが流行しましたが、ベーブ・ルースの時代はスペイン風邪が流行していたなど時代背景がどことなく似ていたのです。大谷選手が次々と記録を残していくので、年表もどんどん伸びていっています。今年もMVPに輝いてもらって、さらに年表を伸ばしたいですね」
地元の誇りとなっている大谷。岩手から世界へ羽ばたいていった二刀流の成長を見てきた人たちはどう感じるのか。
「小学生のころから足が速くてこの地域では有名でした。当時から野球ばかりやっていた印象ですね。大谷くんのプレーを見てプロを目指すことを諦めた人が何人もいたとか……。プロにはなると思っていましたが、まさかメジャーリーグでこれほど成功するなんて、当時は思いませんでした」(小学校時代の知人)
幼稚園のころの大谷を知る人によると、野球への思いは当時から強かったようだ。
「大谷くんとはよく野球を一緒にやりました。おとなしくて出しゃばらない、いい子でしたが、野球に関してはエースで4番を譲りませんでした。当時から野球に対するこだわりはあったのでしょうね。また、大谷くんは家から幼稚園まで歩いてくることもありました。幼稚園児だと1時間くらいかかる距離だったと思いますが」
今やメジャーリーグで本塁打王に輝くほどのパワーの持ち主だが、かつて実家近くで目撃された姿は違っていた。
「花巻東高校時代に大谷選手が実家近くを走っているところをたまたま見かけました。そのころから身長は高かったですが、ひょろっとしていて、物干し竿みたいでしたね(笑)。日本ハムに入団してからも実家に帰省していましたが、当時もまだ線が細かった印象です。
メジャーリーグに行ってからは直接見たことはないですが、格段に身体が大きくなった印象です。活躍してMVPを取ったときには、町内会で花火を打ち上げました」(大谷の実家の近隣住民)
真美子夫人との“食事会”
押しも押されもせぬ大スターとなった大谷。6月下旬、実家に帰宅した父・徹さんに、間もなく30歳を迎える息子の活躍ぶりについてどう思っているのかを聞いた。
―大谷選手の活躍、すごいですね。
「いえいえ」
―真美子夫人はこちらに来ましたか?
「いえ、来てないです。こちらが会いに行くだけですよ。結婚するタイミングで会いました。息子の結婚とか、女性のことについては何も聞いてないので。そのときまで全然知りませんでした」
―お会いされたのはいつごろですか?
「今年じゃなくて、去年かな。それ以降はあまり。僕もロスには行ってないし。ただ、一緒に食事はしました」
―大谷選手も実家には帰ってきてないですか?
「いつだったかな? 日本ハムのときには帰ってきたかな。アメリカに行ってからはまったく来てないです。逆に東京のマンションに行くくらいです」
父親として、やはり息子の結婚はうれしいのか、自然と笑みがこぼれていた。
実家には帰っていないようだが、数年前から何度か地元のあるところを家族で訪れていたようだ。
「大谷選手は実家にこそ帰っていないようですが、日本に帰国したときには岩手県内の高級温泉旅館に家族でよく行っているみたいです。大谷選手はそのときまだ独身でしたが、お兄さんもお姉さんも結婚して子どもがいましたから、その家族も一緒に来ていたそうです」(大谷家の知人)
30歳は自分の立場を確立し、独り立ちする“而立”の年。移籍や結婚と新たな道に進み始めた大谷は、これからどんな“SHOW TIME”を見せてくれるのか。