「500人近くのがん克服者の話を伺い、これまでの価値観を根底から覆すような“心の変容”や“生き方の変化”が起こったとき、現代では治療が困難とされる状況から奇跡的に回復していたんです」
そう語るのは命のマガジン『メッセンジャー』編集長の杉浦貴之さん(53)だ。がん生還者たちの取材を行っており、杉浦さん自身も1999年に腎臓の希少がんに罹患(りかん)。
当時、2年後の生存率は0%と診断を受けるも、左腎臓摘出手術と抗がん剤治療を続け見事に回復。25年たった今も再発していない。つらい闘病中、がんを克服した患者の存在が大きな励みになったことから、雑誌を発行し、イベントや講演活動も続ける。
「私の見解ですが、抗がん剤や代替療法など治療は人それぞれでも、共通した思考パターンや信念があると感じました。それでがんが治るということではありませんが、病気と向き合うヒントになればと思います」
1.自分の存在価値を認める
「私ががんと診断されたとき、一番励みになったのは、母からの“生きていてくれるだけでうれしいよ”という言葉。それまではいい会社で働く自慢の息子でなければ愛されないと思い、寝る間も惜しみ仕事に没頭していました。ストレスで暴飲暴食、寝不足の日々。
そうした生活が病気の原因というわけではなく、その根底にあった、自分には価値がないという自己不全感が身体の調子を停滞させ、ネガティブな状況をつくったのかもと感じます。母の言葉でどんな自分でも価値はあると気づいたのです」
杉浦さんは手術の後遺症によって、5度の腸閉塞にも苦しんだ。しかしこのときも今の自分を受け入れ、焦らず生きることを決めたという。
「体調が戻らないと、病気の自分は迷惑な存在だとか、早く社会復帰して役に立ちたいと無理してしまうんです。でも焦りや自己否定をやめたんです。そのおかげなのか、今は心身共に健康です」
2.あきらめない気持ちを持つ
2015年2月、66歳でステージ4の胆のうがんを患った石川利広さん(75)は、余命1年の診断を受け頭が真っ白に。そのあと『メッセンジャー』の講演に参加し、がん生還者の体験を聞くことで生きる希望を見いだした。
「最期はホスピスで迎えたいと終活までしていた石川さんは、自らの意志で抗がん剤治療を3回で中止。しかし患者の実体験を聞き、がんは治るという意識が芽生える。それからは死ぬことより生きることに焦点を合わせるように。
美容師の石川さんは余命期日と同時期にある娘の成人式で髪を結うことと、ホノルルマラソン出場を目指したんです」
はじめはマラソンなんてとんでもないと思っていた石川さんだが、がんサバイバーでマラソンに参加した人から“走ったから元気になった”という言葉に意識が変わる。
「健康にいいといわれるさまざまなことに取り組みました。糖質や油、動物性タンパク質や添加物を控えた玄米菜食、無農薬のサラダやスムージーをとり、還元塩と玄米、米ぬかで作ったぬか袋カイロで腸を温めたり……。そしてマラソンのためにトレーニングを続けたそうです」
家族の支えもあり2015年12月にマラソンを無事完走。翌月には成人式で娘の髪を結い、余命期日を生き抜く。それどころかその年の6月にはがん細胞は消滅し、8年が経過。あきらめずよりよく生きるという可能性を認めたことから、石川さんの命は続いていったという。
3.喜びの中に生きる
2005年、53歳のときにステージ4のスキルス胃がんに罹患した松野三枝子さん(70)は入院時にがんは肺まで転移し、体重はわずか30kgほどだった。
入院した病院は宮城県・南三陸町にあり、闘病中に東日本大震災が起きて被災。津波が病棟まで押し寄せるも、九死に一生を得た経験から、生き方が一変したという。
「目の前で濁流に人がのみ込まれていく様を見て、松野さんは自分は生かされたのだから誰かの役に立ちたいと思ったそうで、治療中にもかかわらず避難所で炊き出しを始めた。温かいご飯を届けたい一心で働き続ける。
炊き出しに多くの人が感激し、それが松野さん自身の喜びや生きがいにつながっていたのでしょう。そうした気持ちが関係したのかどうかはわかりませんが、がんは数か月後に消失したそうです」
特別な治療をまったく行っていなかった松野さんだが奇跡的な回復をみせた。
4.がんにプラスの意味づけを
2007年、31歳で悪性度の高い成人T細胞白血病と診断された高原和也さん(48)も、病気になったからこそわかった感情があったという。
「抗がん剤治療に骨髄移植、放射線治療にとどまらず、サプリメントや高濃度ビタミンC点滴療法、プラセンタ療法、ラジウム鉱石の温熱岩盤ドームや、ANK免疫細胞療法といったあらゆる治療を試み、大きな心境の変化と2週間の断食などを経て腫瘍が消えた高原さん。
この経験を活かし現在はセラピストとして人々の健康をサポートしています。彼はがんに罹患して味わった喜びも怒りも悲しみも、ただ自分を見つめ直すためだったと言っているんです」
5.治療法を自分で決める
2013年のときに原発不明がんが判明後、再発を繰り返し2015年4月には余命3か月と診断された櫻井英代さん(60)。
笑いと深呼吸を組み合わせた“笑いヨガ”というイベントに車椅子で参加し、そこで出会った仲間たちに励まされ生きようと決める。身体へのダメージが大きいと医師が反対した抗がん剤治療を願い出て、受ける回数も自分の身体と相談し決めていく。
ほかにもハスミワクチンによる免疫療法、腹水を取るための生姜湿布や里芋湿布、波動療法やジブリッシュという、意味のない言葉に感情を乗せて吐き出す行為で抑圧感情を解放した。食事にも気を配り、今では主治医から治療をすすめられることもなくなった。
「がん生還者は医師から言われるままでなく、自分で治療を決めた人が多い印象。大切なのは“どう治すか”の前に“どう生きるか”ということ。治療による苦痛を回避して今を充実させたい人、家族と1日でも長く過ごしたいから完治したい人、その人の人生観そのものを治療に反映させるべきでしょう」
6.「生かされていること」に感謝
カリフォルニア大学のロバート・エモンズ教授の研究では、感謝を示すことで免疫が活性化し、痛みへの耐性が高まることが証明されている。
また脳科学者の西剛志(たけゆき)氏によると、脳にとって最高の言葉は“ありがとう”だそうで、マラソン選手が心の中でありがとうと呟くとタイムが伸びたという実験結果もあるほど。
「インタビューでは、どの方からも必ず感謝の言葉が出てきます。2008年に子宮頸がんに罹患した白駒妃登美さん(59)は、抗がん剤治療を受ける際、それを開発した研究者にまで思いを馳せて、ありがとうと言いながら治療を受けた。ご本人いわく、看護師さんが驚くほど、副作用は軽かったそう」
7.治療後の自分の姿をイメージする
杉浦さんは自身の治療中、入院していたときを振り返る。
「大学時代に走ったホノルルマラソンにもう一度挑戦したいという夢ができました。消灯後の病室でマラソン大会を走る自分を臨場感たっぷりにイメージし、翌日には教会で結婚式を挙げる夢まで追加して。未来なんてないという思い込みから“がん患者でも夢を叶えていい”というマインドセットに書き換えました」
するとそのイメージは、治療から9年後に実現する。
「マラソンのゴール地点で現在の妻と抱き合い、翌日ホノルルの教会で結婚式を挙げました」
教えてくれたのは……杉浦貴之さん●1971年生まれ。主にがん体験者の思いを綴るマガジン『メッセンジャー』編集長、シンガー・ソングライター。1999年、28歳のときに腎臓の希少がんに罹患。がんサバイバーホノルルマラソンツアー主宰。著書には『がんステージ4克服「転移」「再発」「余命告知」からの回復記録』(ユサブル)などがある。
取材・文/植田沙羅