終始、笑顔で取材に応じてくれた伊藤高史。現在は夏ドラマの役作りのため金髪

 '92年から'03年まで放送された『電波少年』シリーズ。アポなし突撃、ヒッチハイク、無人島脱出、東大受験など今では考えられない無謀な企画のオンパレードだった。当時は出川哲朗有吉弘行らも番組に出ていたが、思いもよらない転身を遂げた人もいて……。

「“強制連行”されました」

 番組の名物ともなった異国の地でのヒッチハイク。『猿岩石』はユーラシア大陸を横断、『ドロンズ』はアメリカ大陸を縦断。それに続く第3のバトンを受け取ったのが、当時22歳だった伊藤高史

「オーディションには落ちたと思っていました。ところが突然、番組プロデューサーとスタッフが自宅に来て、僕は目隠しをされて、ヘッドホンをつけられて、まさに“強制連行”されました

 そのまま日本を出国。どこかの空港に入国する際は“目が見えない人”という設定。本人は、自分がどこにいて、どこに向かっているのか、さっぱりだったという。

「ヒッチハイクの出発地点に到着して、初めてチューヤンの存在を知りました。1人旅だと思っていたから、少し気持ちが楽になりましたね」

 香港出身のチューヤンと『朋友』(パンヤオ)としてその後、日本中に知れ渡るようになる2人。彼らに課せられたのは、'98年1月29日にスタートしたアフリカ・ヨーロッパをヒッチハイクで縦断することだった。

「泥水を飲みながら、砂漠を歩き続けました。砂漠には水がないので、雨水や川の水で補給するしかなくて。そのせいで、道中はずっと腹痛と下痢が続いて。毎日、帰りたいと思っていました

50℃の砂漠で熱中症に

 今では笑顔で語ってみせる伊藤だが、道中はつらい記憶しかないという。

気温が50℃の中で砂漠を歩き回っていたから、熱中症になって死にかけたんですよ。それなのに、帯同していたディレクターからは“第3弾だけ視聴率が低い、どうしてくれるんだ!?”なんて言われる始末。勝手に連れて来られた俺たちのせいにしないでくれよって感じでした」

終始、笑顔で取材に応じてくれた伊藤高史。現在は夏ドラマの役作りのため金髪

 それでも、合計18か国を縦断し、ようやくゴールしたのが同年11月14日。その瞬間が放送された特番の視聴率は30%を超えた。

「帰国後、千葉の舞浜にあるNKホールで行われた旅の報告会には、約6000人が駆けつけてくれました。しかも、その日は僕の誕生日。集まった人たちがハッピーバースデーを歌ってくれたんです。そのとき初めて旅をしてよかったと思いましたね

 仙台から上京したばかりだった伊藤は、旅が終わると一躍、人気俳優に。現在は、脚本家としても活躍中だ。

「8月18日から放送されるテレビ朝日系の日曜ドラマ『素晴らしき哉、先生!』に出演する予定です。9月からは舞台『くもらない約束』の脚本を担当します。毎年ドラマに出させていただき、舞台も続けられて、そういう意味ではプライベートも仕事も恵まれていると思います」

 '23年1月に第5子となる男の子が生まれた。

「子育ては大変だけど、つらいと思ったことはないです。子どもの成長を見守るのは、過去の自分を見ているようで楽しい。6人目も欲しいので、まだまだ頑張りますよ」

 最後に、もう一度旅をしたいか聞いてみると……。

「僕は絶対にやらないですね。もしやるなら、子どもたちのほうにお願いしますって伝えます」

 今後は役者だけでなく、パパの伊藤にも注目だ。