霜降り明星の粗品が暴露したキムタクこと木村拓哉の“挨拶無視”騒動は、木村本人が沈黙を守ったままのため、いまだくすぶり続けている。
この騒動に一石を投じたのが、品川庄司の品川祐だ。7月4日更新の自身のYouTubeチャンネルで元雨上がり決死隊の宮迫博之とコラボし「木村拓哉さんめちゃめちゃ良い人だから」と力説した。
品川によれば木村が写真NGのころに2ショット写真を撮ってもらったほか、電話番号の交換もしたという。
「人によって態度を変えている」余計な憶測を招く事態に
品川としては木村をフォローしたつもりなのかもしれないが「人によって態度を変えているのでは」と余計な憶測を招いてしまった。さらに、ネット上では木村との対面は当時の品川庄司のポジションゆえに実現したものではといった指摘も相次いだ。
《品川氏にはその頃すでに知名度かあり、木村氏に会った時点の粗品氏には無かったってだけでしょ。相手で対応変えてる証拠になるだけでは?》
《売れていた頃の品川庄司さんに神対応だったんじゃない?》
《その頃品川はそこそこ売れてたので木村は挨拶したけど、当時訳わからん若手芸人の粗品には塩対応しただけの事だろ》
《品川さんは、木村さんにとってメリットがあると感じ、粗品さんはメリットがないと判断された、、そんなところじゃないのかと》
全盛期の品川庄司の活躍について放送作家は語る。
品川庄司は“オシャレ”で“イケてる”コンビだった
「今の若い方は信じられないかもしれませんが、品川庄司さんは吉本興業の芸人養成所であるNSC東京校の一期生の出世頭として2000年代はじめに数多くのバラエティ番組に出演し大ブレークを果たしていました。現在のイメージと異なり“オシャレ”で“イケてる”コンビだったのです。全盛期のオリエンタルラジオやキングコングくらいの人気はあったのでは」
動画では品川がいつの時期に木村と対面を果たしたかは明示されていないものの、やはり最盛期の2000年代の話かもしれない。
その後、品川は“不遇の時代”を過ごすと前出の放送作家は語る。
「若手時代に挨拶をないがしろにする、ヘッドフォンをしたまま打ち合わせに挑むといった横柄な態度を取り続けた結果、新人スタッフたちに嫌われてしまいました。彼らが出世しだすと次第に番組に呼ばれなくなり、品川さんは“嫌われ者芸人”の代表格に。のちに文章執筆や映画監督など文化人方面へ活路を見出します」
品川としては木村との思い出も自身の全盛期にまつわる“ちょっとした自慢話”だったかもしれないが、思わぬ波紋を呼んでしまったようだ。