ホリ 撮影/近藤陽介

 昭和が続いていたら、来年は「昭和100年」。特に1980年代に生まれた文化や商品が、当時は生まれていなかった世代にも「レトロでカッコいい」とウケるなど、ノスタルジックブームが続いています。実際に子どもだった人たちが夢中になったあれこれを、ホリさんに振り返ってもらいました!

「昭和の話、僕、すごくしゃべりますよ。2歳くらいから記憶あるんで(笑)」

 気合十分なものまねタレントのホリさんは、無類の'80年代~'90年代好きで、トークイベントも開催していたほど。そんなホリさん、子どものころはとにかく「目立ちたがり屋」だったという。

「学芸会ではだいたい主役をやっていましたね。企画するのも好きだったので、小学校低学年のときに『クイズ100人に聞きました』(TBS系)のパロディーをやりました。クラス41人にアンケートとってね」(ホリさん、以下同)

振り返ると「何が面白かったのか(笑)」

 リーダーシップと実行力があって、運動もできて絵も描けて、少年野球のキャプテン、学級委員長に児童会会長……人前に出るのが大好きで、実行力もある“陽キャ”だった。

「小学校1年生のときの文集にはすでに『漫才師になりたい』って書いていました。毎日ドリフや欽ちゃん、(ビート)たけしさんの番組とかを見てましたから。ものまねもそのころからやってましたね。テレビで見たネタとか、友達や先生のまねが最初でしたけど、『この人にこういうことを言わせたら面白い』みたいなことを常に考えていましたね」

 当時の遊びはどんなことをしていたのだろうか。

「幼稚園とかのころは、ケンケンパーとか、要はチョークで地面になんか書いて遊ぶのをやってましたね。陣取り合戦みたいなやつとか。他には果物の缶詰の空き缶に紐を通してパカパカ歩いたりとか、ホッピングとか……何が面白かったんでしょうね(笑)」

子どもなりの「工夫」

 首をかしげながらも、昔の遊びの話は尽きない。 

キン消し(キン肉マンの消しゴム)はもちろんですけど、メンコも集めてましたね。途中から『キャップ』が流行って。牛乳瓶のフタみたいなやつで、駄菓子屋さんで売ってて、メンコみたいに遊ぶんです。おニャン子クラブとか、アニメキャラとかいろんなのがあって、勝負に勝ったらもらえる。冷静になって考えるとゴミを集めているだけなんですけどね」

 そう、昭和の子どもはやたら何かを集めていた。

「僕はビックリマンじゃなくて『ガムラツイスト』『ラーメンばあ』っていうお菓子のシールをめちゃくちゃ集めてました。2重のシールになってて、はがすとキラシールが出てきたりするんです。今持ってたらお宝ですね」

「友達と自転車で神社なんかに集まって、工夫して遊んでいましたね」(ホリさん)イラスト/仲曽良ハミ

 子どもなりの「工夫」は思わぬ方向の遊びにも……。

「食べられる草とか実とか、蜜とかを探して食べるのに、ものすごいテンションが上がっていましたね。あとは、犬のウンコに爆竹をぶっさして……っていう最低の遊びもしていました(笑)。自分たちでやったのに自分たちで逃げるって意味わからないんですが、子どもなりに工夫して、スリルを楽しんでいたんでしょうね」

 楽しいことのために頭を使い続けてきたことが、ホリさんのエンタメ力のベースになっているのだろう。ここには書ききれないが、キン肉マンや仮面ライダー、ウルトラマンに戦隊ヒーロー、ガンダム、メンコ、カー消し、光GENJIへの憧れ、神社の境内でやっていた手打ち野球、リカちゃん電話……などなど、エピソードはまだまだたくさん! やっぱり来年はまだ、昭和100年なのかも。

ホリ 撮影/近藤陽介

ホリ 1977年千葉県生まれ。ものまねタレントとして、本人公認である木村拓哉をはじめ、武田鉄矢、出川哲朗、えなりかずきなど多数のレパートリーを持つ。ホリプロコムものまね軍団主宰。ドラクエ世代だがファミコンは友達の家でしかやっておらず「iPhoneにもゲームは入っていません」とのこと。


取材・文/高松孟晋