都知事選への出馬は8回。国政への挑戦も含めれば計17回。100歳までのカウントダウンも始まった“超人”発明家のドクター・中松さん。いま、何を考えるのか。きらびやかなブランドスーツを着こなし、泉のように発明のアイデアが湧き続ける彼に、今後の展開を伺った―。
「都知事に選ばなかったことは、都民が損をしている」
「私が初めて都知事選に出馬したのが1991年です。私が都知事に選ばれないことは、みなさんが損をしているのですよ」
そう神妙な顔で語るのは、“ドクター・中松”こと中松義郎さん。これまで東京都知事選挙には計8回出馬。今回の'24年東京都知事選挙では、10年ぶりに立候補した。
「裏金問題などの職業政治家の政治が続きました。私は、'14年に行われた都知事選と衆院選を最後に、選挙活動は控えていましたが、能力のある人間が政治家にならなければいけないと強く思いました。職業政治家の時代から能力政治家の時代に切り替えたい。それが出馬した理由です」(中松さん、以下同)
今回、公約として掲げたことは、
「まず物価高を抑制し、貧困を救うこと。近く東京に必ず大地震が起こるので、それに備えて瓦礫を越えて物資を運び、人命を救助する『ウクルマ(地面を浮くように走る衝撃を吸収する車)』や、真水を安定して供給できるネットワークを構築する『ドクター・なか真水』といった、私の発明を生かした災害対策」
そしてこう続ける。
「私が都知事になれば、東京は自動的に“世界の発明センター”になる。すると世界の優良企業が東京に集まり、お金も集まる。シリコンバレーを見てもわかるように、クリエイティブな場所には優秀な企業と人材が集まり、お金を生み出す。そこで生まれた利益を都民に全部あげるのが、私が目指す東京です」
ゆえに、「私を都知事に選ばなかったことは、都民が損をしている」。選挙後、96歳という高齢にもかかわらず車の運転免許の更新をしたことで、X(旧Twitter)では返納をすすめる声が殺到した。
だが、「一般車両は運転しないので安心してください」と中松さんが笑って否定するように、あくまで「ウクルマ」を試運転するため。すべては、衰えぬ情熱が原動力になっている。
中松さんが、戦い終えた都知事選を振り返る。
「メディアは、現職(小池百合子氏)、蓮舫氏、石丸(伸二)氏、田母神(俊雄)氏の4人のみを大きく扱った。極めてアンフェアだと思いました。また、利権やお金によって票固めがされる従来型の選挙が、相変わらず横行していることも残念だった」
中松さんは、質問(「公約を教えて」など)を送ると瞬時に回答をする「答えマース」というAI(人工知能)チャットを開発し、今回の選挙に臨んだ。
「街頭演説は一方通行です。しかし、『答えマース』は有権者と双方向になれる発明的選挙だった。こういった新しい選挙の形があったことについても触れてほしかった」
政治活動を志した理由
都知事選は8回出馬。衆院選、参院選も含めると、その回数は17回にも及んでいる。
「私には後ろ盾になる政治団体もありませんから、すべて私財」と胸を張って答える姿は、売名目的で一度選挙に立候補するだけの泡沫候補とは比較にならないだろう。
中松さんが、政治活動を志したのは’90年ごろ。終戦間際にスイスで日米和平工作に奔走した元海軍中佐の故・藤村義朗さんから、「総理大臣になって日本をよくしてくれ」と遺言を残されたからだった。
「私は海軍機関学校の出身だから、藤村さんは先輩。家族ぐるみで仲良くさせていただきました。藤村さんの遺言を達成できていないわけですから、申し訳ない気持ちしかない」
だが、何度も挑戦する“ネバーギブアップ”の精神は海軍譲りであり、藤村さんの遺志を継いでいる。
自ら発明したフライングシューズを履いて、彗星のごとく都知事選に登場してから、30年以上の月日が経過した。選挙期間中に誕生日を迎え、96歳になった。
この日の取材では、ドルチェ&ガッバーナのセットアップに、ヴェルサーチのベルトを着用。足元はフェラガモの室内履き。
ジャケットを指さし「これは特別仕様だから、世界に一着しかない」と笑う姿は、“ドクター・中松ここにあり”である。'13年には、前立腺導管がんを宣告されたが寛解した。どうすれば、いくつになっても活力が生まれるのか?
「まず頭を使うこと。周知のとおり、私は今までたくさんの発明をしてきました。80代よりも90代のほうが発明が多く、増えているくらい(笑)。次に、運動をすること。今も1〜2時間かけて筋トレをしています。そして、食事ですね。私は『サイエンティックフーディーズ』といって、頭と身体によい食べ物を研究し、日々これらを食べています」
中松さんは、自らの食事を35年にわたって撮影し続け、身体の変化を詳細に分析。その成果が認められ、'05年にはイグ・ノーベル賞(栄養学賞)を受賞した。テーブルに置かれたお茶について、話を続ける。
100歳までに実現したい28の項目
「これは『20 TWEN TEA(トゥエンティー)』といって、さまざまな効能を持つ薬草や漢方など20種類を混ぜたお茶です。こういったものを摂取しているからこそ、私は元気なんです」
白寿に迫る年齢を迎えているとは思えないほど、一つひとつの言葉によどみはなく、はっきりと記憶をたどりながら話す。
「年を取るのではなく、経験を積んでいると考えているんですね。ですから、年寄りではなくて、私は自分のことを“超長経験者”だと思っています。こうやって言葉を発明するだけでも、頭を使うことにつながる。経験というのは財産ですよ。超長経験者の存在は、それだけで貴重ですからアーカイブ化して後世に伝えます」
これまで3900以上もの発明をしてきた。だが、発明の火が消えることはなく、「100歳までに実現したい28の項目がある」と語る。
「選挙でも公約した『ウクルマ』や『ドクター・なか真水』はもちろんのこと、職業政治家の力に打ち勝つ、『ドクター・中松応援団』を結成する。そして、『Invention is LOVE』(邦題・発明は愛)という曲を作ったので、全米ツアーをする。目標がないと、ただ生きているだけになってしまう」
目標を設定するからこそ、いろいろ将来を考える。
「それも発明ですよ」
そう言って、優しく微笑む。気になることがある。100歳までに実現したいことの中に、18回目の出馬はあるのか─ということ。
「可能性は排除しない」と前置きした上で、「人のためになることをし続けたい」と話す。
「世のため、人のためにたくさん発明をしてきました。今の職業政治家は、自分ファーストです。自分のことばかり考えている。今回の候補者を見渡すと、職業政治家、目立ちたいだけの不まじめな人、そして私のように真剣に東京都をよくしたい人の3タイプがいたと思います。まじめに東京都をよくしたいと考える人が評価される選挙に直さないといけない。17回も選挙に出ていますが、まだ直りません。その間、日本はどんどん国力が落ちてしまった。一刻も早く、能力のあるまじめで義の心を持っている人が政治家にならないといけない。そのために私は頭を使う」
Inventionには、「発明」の意味の他に、「創意」という意味も含まれる。ドクター・中松は、これからも私たちを驚かせる世界を創ってくれるに違いない。
取材・文/我妻弘崇
なかまつ・よしろう 1928年東京生まれ。国際最高教授。5歳で「自動重心安定装置」を発明。東京大学工学部卒業後、三井物産に入社し、ヘリコプターによる農薬散布などを発明し、記録的なセールスを達成する。29歳のとき「ドクター中松創研」を設立。「灯油ポンプ(醤油チュルチュル)」や「フライングシューズ」など、現在の発明件数は3900以上。科学技術庁長官賞、イグ・ノーベル賞栄養学賞を受賞。