日本女性として初めて、さまざまな道を切り開いた人物をクローズアップする不定期連載。第3回は女性として初めて南極地域観測隊隊長を務め、東京大学大気海洋研究所教授でもある原田尚美さんの冒険心に富んだ半生について語ってもらった。
「就職やめます!」と船の上で宣言
「私はどちらかというと調整型のリーダーで、個々の仕事がうまく進んでいくよう取り計らうタイプ。コミュニケーションを取りつつ、みんなの背中を押していけたらと思っています」
と言うのは、第66次南極地域観測隊隊長を務める東京大学教授の原田尚美さん(57)。1956年の第1次隊発足以来、女性が隊長を務めるのは初めてで、今年12月5日~来年4月5日までの4か月にわたり南極で任務にあたる。
「第66次は隊員90人と、旅費等を自身で負担する同行者20人の男女計110人が参加します。女性は25%で、4人に1人の割合。33年前に初めて南極に行ったとき、女性は私1人でした。だから着実に増えてはいて、おそらく今までで一番多いと思います。そういう時代になりました」
出身は北海道苫小牧市。国家公務員の父とパート勤めの母、妹の4人家族で育つ。南極とは無縁の家庭で、「だからこんな方向に進むとは、という感じです」と振り返る。
地球科学への目覚めは高校時代。当時は地球温暖化という言葉が使われ始めたころだ。
「教育実習の先生が地球科学を学んでいて、そんな分野があるのだと知りました。地球のことを研究してみるのも面白いかもしれないと思って」
弘前大学の理学部地球科学科へ進学。そこで南極滞在経験を持つ指導教官と出会い、フィールドワークに興味を抱いた原田さん。名古屋大学の大学院へ進み、南極行きを視野に研究を続けている。
「名古屋大には何人も南極観測隊員を出している研究室があり、南極に行くのに近いのでは、という思いがありました」
しかしチャンスはなかなか訪れず、フィールドワークに出向いたのは博士前期課程2年目になってから。指導教授に直訴し、東京大学大気海洋研究所の研究航海に参加。初めての航海が、その後の人生を大きく変えた。
「赤道でプランクトンや海底の堆積物を採ったり、いろいろなサンプリングを経験しました。ただ私は就職が決まっていたので、後輩たちに採取したサンプルの分析を託すことになる。だけどやっぱり自分で分析したかった。先生にそう伝えたら、“でも君、就職じゃない”と言われたけれど、“就職やめます!”と船の上で宣言しました(笑)」
大学院に戻った原田さん。博士後期課程に進み、そこで初の南極行きの切符をつかんでいる。
「今回は33年分の宿題を解決しに行く感じ」
ある日、指導教授のもとに「南極隊員求む」との打診が入る。教授はまず男子学生に声をかけていくが─。
「男子は全員行きたくないと断っていましたね。そこで“ぜひ行きたいです!”と立候補して。最初は先生に大反対されました。南極は私の博士論文のテーマ(赤道域)とまったく違う。また、行くと休学しなければならなくて、“卒業が遅れる。そこまでする必要があるか”と言われたけれど先生を説得しました」
念願叶い、晴れて第33次隊員として南極行きが決定。24歳のときで、日本の南極観測隊員で女性は原田さんで2人目だった。
晴海埠頭から船に乗り、紙テープを投げて出航した。昭和基地まで4週間の船旅だ。
「何もかもが楽しかった。夜中までみんなで仕事をしたりとかなりハードワークでもあって。建築作業もあったりと、普段の観測だけでは味わえないような面白い経験もたくさんさせてもらいました」
充実した時間を過ごすも、楽しい思い出ばかりでは終わらない。大切な任務が果たせず、悔いを残すことになる。
「マリンスノーの観測だけ失敗してしまったんです。光合成によって二酸化炭素が生物により吸収、有機物に合成され、粒子となり海底に向かい降り注いでいく。海の中で雪が降るように見えることから、マリンスノーと呼ばれています。採取したマリンスノーを回収するはずが、装置が見つからなかった。重要なサンプルがすべて流されてしまいました」
帰国後は海洋研究開発機構に就職。北太平洋や北極海の研究観測に取り組んでいた。そこに再び南極行きの話が。
二度目の南極行きは第60次南極地域観測隊で、このとき女性で初めて副隊長を務めている。また、夏隊長も女性で初めて務めた。最初の訪問から27年がたっていた。
「南極に再び行って、“ああそうだ、私、失敗してたんだ”と、前回やり遂げられなかった仕事をまざまざと思い出しました。“やっぱりこれはなんとかしたい。もしもう一回チャンスがあれば、次はマリンスノーを採取する観測プログラムを持って現地に行きたい”と、そのとき思ったんです。だから今回は33年分の宿題を解決しに行く感じです」
原田さんが切り開いてきた南極への道。25%に増えたといえど、まだまだ女性は少ない。彼女が教壇に立つ東京大学でもそう。女子学生は約2割で、これは受験者数の割合に相当する。
普通のおばさんが南極で隊長をしている
すなわち受験者自体を増やす必要があるが、女性にとって東大出身の肩書は時にマイナスに働くのも事実。なぜ女性の社会進出が進まないのだろう。女性リーダーとして、見解を聞いた。
「女性はこうあるべし、男性はこう、という性別的な役割の考え方がまだまだ浸透しているのを感じます。昭和の考え方は今も再生産され続けている。従来型の価値観を払拭しなければいけない。それには時間がかかるけど……」
そのためにも自身の姿を見せる、と覚悟を口にする。
「いろいろな場で活躍している女性の具体的な姿を見せるしかない。普通のおばさんが南極で隊長をしているんだ、これは特別なことではないという姿を見せることで、男性の道と思っていた場所に女性が目を向けるかもしれない」
現在は12月の出発に向け準備が続く。一度南極へ行けば次の迎えが来るまで帰国は叶わず、それだけに万全の体制が求められる。
「まず3月にみんなで冬期訓練をしました。例えばクレバスに落ちたと想定し、そこからレスキューをする訓練、負傷者をどう運ぶかという訓練などです。雪山の中でみんなでテント泊をする。身体的にタフな訓練をすると、チームワークがガシッと強くなりますね」
続いて座学。安全教育、救急救命、南極の暮らしと、学ぶべきテーマは多い。夏に入ると多様な物資の調達や専門訓練も始まった。担当分野によっては企業へ研修に出向くこともある。
渡航直前になると時間にゆとりができ、大半が長い観測に向け家族と共に過ごすという。原田さんは既婚の身。南極行きに夫君からどんな言葉が?
「結婚してから南極に行くのは2回目ですし、その間も研究航海でたびたび長期不在にしていたので夫も慣れていて(笑)。まぁ頑張ってきなさい、と言ってくれています」
南極行きに備え、毎日8kmのジョギングが原田さんの日課。さらに隊長として学んでいることがあるという。
「アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)の勉強をしています。外との接触が一切なく暮らしていると厳しい状況に追い込まれるケースもあって、コミュニケーション上のトラブルが起きやすい。日本にいると息抜きはいくらでもあるけれど、通常以上に心の平安を保つのは難しい現場なんですよね。メンタルは一番大切だと思います」
女性の身で厳しい極限の地へ自ら飛び込んでいく。原田さんの南極への旅はいつまで続くのだろう。
「年齢的にも今回が最後かなとは思うんですけど。南極観測隊って、人との付き合いが濃密なんです。別れの日なんか、大の大人がみんなおいおい泣くくらい(笑)。簡単には行けない場所で、時間を共有する。それはやっぱり特別なものがあって……。これで最後と言いつつ、帰ってきたら変わっていそう。きっと“また南極に行きたい”って、言っているのでしょうね(笑)」
取材・文/小野寺悦子