「なんかあっという間に60歳になっちゃって。自分自身そんな気がしないんですよね。まだまだ上の人たちも元気だから、年を取れないというのもあるし(笑)」
と言うのは、タレントの野々村真(60)。今年還暦を迎えるも、若々しいルックスと気さくで親しみやすい人柄は今も変わらず。
ファンが実家に押しかける人気ぶり
「もうずっとこんな感じでやってきているので、貫禄みたいなものがなくて。でもまぁいいかなと思っているんです。還暦にはなったけれど、いまだに若い人たちにツッコんでもらってなんぼなので」
テレビデビューは1982年10月に始まった『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)で、オーディションに受かり、羽賀研二、久保田篤と共に初代いいとも青年隊に選ばれた。
「今となってはご長寿番組で知られているけど、当初はすぐ終わるだろうといわれていたんです。だから僕もびっくりでした。普通の高校生だったのが、とんとんときてしまって」
番組人気とともに、いいとも青年隊は一躍ブレイク。ファンが実家の青果店に押しかけることも多々あったという。
「親もどうしたらいいかよくわかってなくて、“あなた北海道から来たの、大変だったでしょう”なんてファンのことを家にあげちゃうんです。お茶出して、店の売り物をあげて手土産付きで帰したりして。
それで、まこちゃんのファンじゃなくてお母さんのファンになった、なんて言われたこともありました(笑)」
出待ちのファンは増え続け、レコードデビュー時にはスタジオアルタ前から新宿三丁目までファンが長蛇の列をなした。その数、10万人と当時のメディアが報じている。
いいとも青年隊の3人の中では最年少で、当時18歳。末っ子キャラはこの時からで、今だから話せるこんな裏話も。
「スタジオの裏で2人が時々ケンカするんです。僕は必死に2人を止めようとするんだけど、ケンカの声が会場に漏れて、お客さんがざわつき出しちゃうようなこともありました。
でも2人は僕と違ってプロだから、“次は告知だ、出ろ”と言われると途端に切り替えて“こちらにご応募を!”なんて言ってる。けど僕は2人の間に挟まれて泣いてましたね(笑)」
『笑っていいとも!』に出演したのは2年半。絶大な人気を博した初代いいとも青年隊だが、解散を迎えることに。しかしすでに芸能界でキャリアのあった羽賀や久保田と比べ、野々村は頼りない。
「タモリさんとプロデューサーの横澤彪さんとの間で、“野々村だけは残すか”という話があったようです。親心でそう考えてはくれたけど、1人だけ残すのはやっぱりダメだろうとなって」
周囲の心配をよそに、思いがけずキャリアは順調だった。明石家さんま、所ジョージ、小堺一機をはじめ、当時の『笑っていいとも!』レギュラーは大物ぞろいで、彼らがこぞって野々村を番組に呼んだ。
今までになかった“珍回答枠”が誕生
次の転機は22歳のとき。1986年に始まった『日立 世界ふしぎ発見!』(TBS系)に出演が決定。司会の草野仁のもと、黒柳徹子らと肩を並べレギュラーを務めている。そこで注目を集めたのが、野々村の“珍回答”だ。
「僕はボケていたつもりはないし、いつも一生懸命答えていたんですけど……」
野々村の登場で、それまでのクイズ番組にはないポジションができた。いわゆる“五枠”で、4人目までは真剣に答えを捻(ひね)り出し、5人目がボケてオチとなる。後のクイズ番組ではその枠を芸人たちがこぞって狙いにいった。
とはいえ野々村も珍回答ばかりで終わらない。初めてパーフェクトを出したのは20年目で、これはやはり忘れられない思い出だと話す。
「4問中3問まで正解したことは何度かあるんです。今日パーフェクトを取るんじゃないか、今日こそは─と言われながら、やっと取れたのが20年目。
帝国ホテルで盛大にパーティーを開いてくれて、僕も感極まって泣いちゃいました。たかがクイズでそんな大げさなって感じだけれど、それくらい奇跡的なことだったってことですよね」
国民的人気番組として愛されてきた『日立 世界ふしぎ発見!』だが、今年3月、38年の歴史にレギュラー番組としてはピリオドを打つ。寂しい思いがあるのでは?
「寂しくはありましたけど、でも役目は果たしたかなっていう気持ちもあって……」
かつては家族そろってテレビを囲み、土曜の夜になると番組にチャンネルを合わせた。しかし時代が変われば娯楽のスタイルもまた変わる。
「22歳で番組が始まり、60歳で終わった。これって大卒の人が新入社員で会社に入って、社会人として定年まで勤め上げたのと同じですよね。そう考えると、自分の中で一つの区切りなのかなと思います」
この38年で、結婚し、家庭も持った。野々村といえば恐妻家で知られてきたが、今となってはどうなのか。時にはケンカをするようなことは?
「ケンカしたら疲れちゃう。頑張った時はありましたよ。でも1つ言うと10以上返ってくるから、もう素直に参りましたって言ったほうがいい。今は反抗する気力も体力もすっかりなくなりましたね」
数年前、お小遣い制が廃止に。「一生分のお小遣いを渡されました」と打ち明ける。
「どうしても、自分ではやりくりできない。一生分にしてはちょっと足りないのだけど、使えるお金が多めにあると、余計なことに使っちゃう。それを元手に投資とかやったけど、一切ダメでお金は増えず。
そういうことも見抜かれているんでしょうね。やっぱり奥さんの言うことを聞いていたほうがうまくいくってことです」
シニアに向けたAIプロジェクト始動
最近新たに取り組んでいるのが、AIプロジェクト。野々村の声や表情を採取し、AIキャラクターを作成。シニア向け介護施設に設置し、高齢者とのコミュニケーションに役立てていくという。
「おじいちゃん、おばあちゃんが僕のAIを見て、いっぱい話しかけてくれるんです。最初はなんで僕がAIキャラクターに選ばれたのかなって思ったけれど、今施設で過ごしているご高齢者の方ってたぶん僕の若いころを見てくれているんですよね。
家族の中に必ず一人いるダメ息子のイメージがあって、それがAIで目の前に現れたら話しやすいし、また当時に戻れてしまうのかもしれません」
末っ子の愛されキャラは今も変わらず。キャリア40年超えの大御所となるも、「まこちゃん」の相性は健在だ。
「AIの真を可愛がってもらえたら、応援してもらってきたみなさんに、恩返しできる一つのチャンスなのかなと思っています。それに僕ももう還暦だから、介護もそんな遠い話じゃないし、いつかはAIにお世話になる日が来ると思うんです」
60歳の節目を迎え、挑戦してみたいことがあるという。
「今まで全国いろいろな場所に仕事で行ってきたので、今度はプライベートで自由に旅ができたらいいなと思っていて。第二の人生は旅! キャンピングカーを購入して、ワンちゃんを連れていけたら」
と、夢は広がるばかりだ。
「あの時はありがとうって恩返しができるかもしれないし、またそこでみなさんとの触れ合いができるかもしれない。ロケではない自然な僕の姿を見てもらえたら。それをまたYoutubeで発信していけたらと思っているので、チェックしてもらえたらうれしいですね」
野々村真●1982年にフジテレビ系『森田一義アワー 笑っていいとも!』で初代・いいとも青年隊としてデビュー。その後、TBS系『日立 世界ふしぎ発見!』などのバラエティーや情報番組にレギュラー出演。2021年には、公式YouTubeチャンネル「オッサンず苦LOVE」も開設し幅広く活動中。
取材・文/小野寺悦子