放送中の『虎に翼』が好評だ。伊藤沙莉が日本で女性初の弁護士と裁判官を演じ、ドラマチックな物語はいよいよ大団円へと向かっている。60年以上にわたり、お茶の間の朝をワクワクさせてきたNHK連続テレビ小説。国民的ドラマといわれる同番組で、かつて主人公として出演していた人たちに当時とその後の“人生ドラマ”を振り返ってもらった―。
「今は演技の仕事は年に1回くらい。最近はドラマ『相棒』(テレビ朝日系)に出させていただきました。普段は配達の仕事をやって、生計を立てています。われながら若々しく生きていますよ!」
こう語るのは三国一夫(みくに・かずお)。'95年に福岡を舞台にした朝ドラ『走らんか!』で、演技経験ゼロながら、数少ない朝ドラ男性主人公に抜擢された彼も今年で俳優歴30年になった。
「大学進学を機に新潟から上京しました。そのころはメディア系の企業に入れればな、とか考えていましたね」
居酒屋バイトから朝ドラ主演に
役者になるとは考えもしなかったという三国。転機が訪れたのは19歳のとき。
「居酒屋でバイトしていたのですが、自分は昔から声が大きくて、お客様に“いらっしゃいませ~!”と威勢よく言っていたんです。ある日、芸能事務所の人が入店して、いつもどおりの声を出したら、その声の大きさが気に入られてスカウトされたんです」
事務所に所属して間もなく、マネージャーに言われるがまま、朝ドラのオーディションを受けることに。
「面接官からは演技経歴がないことを指摘されました。自己アピール時に、唯一自信があった居酒屋の掛け声を披露したんです。そしたら、主役に選ばれたんですよ」
スカウトから半年足らずで朝ドラ主演の座をつかんだ三国。サクセスストーリーを体現していたが、突如、壁にぶつかってしまう。
「大学を休学して、撮影の1か月前から演技の特訓をしましたが、役者経験がないだけに、演技はヘタだったと思います。NGを何度も出して、丹波哲郎さんや菅野美穂さんら共演した方には迷惑をかけましたね。周囲からは“視聴率が上がらないのは三国のせいだ”と言われたことも。事務所スタッフもクランクインに付き添ってくれただけで、後は放任主義だったのもつらかったですね」
親友との別れ
重圧で円形脱毛症を患うも、なんとか朝ドラの撮影を終えた三国。だが、自分の進む道を見失ってしまったという。
「父親の反対を押し切って大学に行ったので、復学しましたが、勉強や就職活動に身が入らず。役者として相談できる仲間もおらず、今後、何をすべきかわからなくなってしまいました」
大学卒業後も、俳優活動を続けた三国。26歳で結婚し、一時は家計を考えて企業に勤めたりもしたが─。
「『走らんか!』のディレクターさんの声がけで、'02年に単発のドラマに出演したのですが、脇役ということもあって、自由に演技ができた。主演でデビューした自分にとって新鮮な体験でした」
演技の楽しさに目覚めた三国。バイプレーヤーを目指し、舞台を中心に精力的に活動を始めた矢先、大きな別れを経験したという。
「役者になることが諦めきれず、社会人から役者になった親友がいたんです。なんとなく俳優を始めた自分とは正反対でした。彼とは“死ぬまで役者をしよう”と誓っていたのですが、事故で亡くなってしまって……。役者をやりたくてもできなかった彼のことを考えると、僕は役者を続けなきゃいけないんですよ」
その後、自ら劇団を立ち上げて、脚本や演出を手がけるなど、ますます演技にのめり込むようになった三国。プライベートでは、'17年に離婚を経験している。
「後悔だらけですが、今の自分が一番好きです。『走らんか!』でお世話になったスタッフさんや、舞台となった福岡県の方々にも、まだ恩返しできていません。今後もエキストラでも何でも俳優として活動を続けていきます!」
三国は今も役者道を走り続けている─。