放送中の『虎に翼』が好評だ。伊藤沙莉が日本で女性初の弁護士と裁判官を演じ、ドラマチックな物語はいよいよ大団円へと向かっている。60年以上にわたり、お茶の間の朝をワクワクさせてきたNHK連続テレビ小説。国民的ドラマといわれる同番組で、かつて主人公として出演していた人たちに当時とその後の“人生ドラマ”を振り返ってもらった―。
学校からそのまま仕事へ
50年前の'74年から1年間放送された『鳩子の海』。広島での原爆によるショックで記憶を失い、瀬戸内の港町で育てられた少女が困難に負けずに明るく生きていく様を描いた物語。主人公の少女時代を演じて一躍人気者となったのが斉藤こず恵だ。
「撮影が始まったのは5歳くらいだったので何の撮影をしているかは、わかっていなかったです。現場では、夏八木勲さんと小林千登勢さんが親みたいな存在で、堀内正美さんにはすごく遊んでいただきました。あと、池波志乃さんの美しさに、やきもちを焼いたのを覚えています(笑)。最後は仲よくなりましたけど」
最高視聴率53・3%を記録する大ヒットとなり、斉藤の知名度は一気に広がった。当時の生活はというと……。
「大人からは“鳩子ちゃん”とか言われることはありましたが、小学校ではほかの同級生たちと変わらず過ごしていました。ただ、'76年に『山口さんちのツトム君』のレコードが発売された後は大変でした。小学2年生が終わったタイミングで転校した先で、同級生に囲まれるようになってビックリしました。当時は学校からそのまま仕事に行き、休めるときにホテルを借りてお風呂に入るという生活で、遊んだ記憶はないです」
人気アニメで声優も
小学生ながら、睡眠時間も少ない多忙な生活を送っていた斉藤。学年が上がると仕事への悩みも増えてきて─。
「お芝居は好きなのですが、仕事は辞めたいと思っていました。10歳くらいになると“かわいい”だけではなくて、“質”も要求されて、スランプになってしまいました。普通の生活をしたいと思うようになりましたね」
中学受験という理由で芸能活動を休止。高校卒業後はニューヨーク州立大学に留学し、アメリカでブルース歌手などとしても活動した。'02年ごろからは日本でも舞台などに出演していたが、'04年にある宣告を受けることに。
「甲状腺がんと診断されました。髪の毛も抜けて、抗がん剤の治療は大変でした。がん以外にも甲状腺に関わる病気を発症したので、つらかったです。今も定期検査に通っていますが、年齢的に再発の可能性は低いと言われています」
がんという大病を乗り越え、現在は声優としての活動が多くなっている。
「役者さんたちとのお酒の場で“こず恵ちゃんを声優にしよう”という話が盛り上がって。同席していた音響監督さんに言ったら、1週間後に声優のお仕事がきたんです。初日はガチガチで、若い声優さんに助けてもらっていました」
人気アニメの『チェンソーマン』や『呪術廻戦』などに出演。つらかった子役時代があったから今があるという。
「子役をやっていなかったら、この年齢で声優としてデビューしても、お仕事をもらえなかったと思います。子役をやっていてよかったなと、声優を始めてからは特に感じます」
元天才子役は波瀾万丈な人生を歩み、新たな道で活躍しているようだ。