樫山文枝

 放送中の『虎に翼』が好評だ。伊藤沙莉が日本で女性初の弁護士と裁判官を演じ、ドラマチックな物語はいよいよ大団円へと向かっている。60年以上にわたり、お茶の間の朝をワクワクさせてきたNHK連続テレビ小説。国民的ドラマといわれる同番組で、かつて主人公として出演していた人たちに当時とその後の“人生ドラマ”を振り返ってもらった―。

 '66年放送『おはなはん』は、'61年に始まった朝ドラ第6弾。最高視聴率は、56・4%だった。

「私は『おはなはん』に出演できて幸運でした。それまで暗い少女みたいな役が多くて、実は私、明るいんだけどなと思ってたから、底抜けに明るい役だったので(笑)」

 朝ドラの元気で明るいヒロイン像は、そんな樫山文枝が演じた主人公が始まり。その後58年間、変わらぬ流れに。

「1年間もテレビなんてイヤ」

「24歳で、民藝俳優教室の2年生でした。突然NHKに行きなさいと言われて、カメラテストを受けて、それで合格。でも、私は舞台女優を目指していたので“1年間もテレビなんてイヤ”と生意気に思ったりして。当時の朝ドラは1年クールでしたからね」

 当時はテレビの“地位”が低く、出演を断る映画俳優もいた。

とにかく、テレビというのがわからなかった。未熟な自分の意思だったら、お断りしていたかもしれない。テレビがこれほど世の中に浸透するなんて想像できなかった。結果、楽しくて充実した1年間に。“毎日の放送が楽しみ”だと、理髪店のオジさん、お寿司屋さん、お魚屋さんにも言われて。1年間放送されていると、みなさんの生活の一部になっちゃうようで、全国民が私を家族みたいな目で見るようになってました(笑)

 ヒロインが生きたのは、明治から昭和という激動の時代。

「日露戦争、第1次世界大戦、そして第2次世界大戦。夫を亡くしたヒロインは、女手ひとつで2人の子どもを育てました。役柄は明るくて、娯楽的な要素もあるんだけど、反戦をきちんと描いた良心的な作品でした」

'27年まで“現役続行”

 夫は高橋幸治、長男は津川雅彦さんが演じた。

「おふたりとも大スターでした。ディレクターは“津川さんが出るとドラマが当たる”と言っていました。新人だった私の至らないところを支えてもらいました。撮影の後、津川さんは食事に誘ってくださって、すごく頼もしい“息子”でしたね。実際にはお兄さんでしたが(笑)」

樫山文枝

 樫山は18歳から80歳までを1人で演じた。

「カメラテストでディレクターがニコニコしながら“おばあさん役が一番よかったから決めた”なんて、20代の女性になんてこと言うんだと思ったけど、私が演じられるか心配だったんでしょうね。メイクは卵の白身を使ったり、パテにシワを彫ったり。そのまま本当のシワになってしまいそうでイヤでした」

 “国民的女優”になった樫山は、数々のドラマや映画に出演。現在も劇団民藝の舞台に立ち続け、9月から『ミツバチとさくら』で主演することが決まっている。

「毎年、新作やるっていうチャレンジが、いつまでやれるかなと思いながら、来年と再来年まで決まっています」

 '25年から『ローズのジレンマ』の全国ツアーが始まる。来年は約40ステージ。'27年まで“現役続行”宣言をしている。

「91歳の仲代達矢さん、90歳の草笛光子さんもお元気。私も頑張ろうかな」

 樫山は『おはなはん』の6年後、『藍より青く』に出演。その後も『はっさい先生』『さくら』と、朝ドラに関わり続けている。今後も出演することはあるのか。

「オファーをいただければ出るわ。2月にNHKの『お別れホスピタル』というドラマに出ましたが、朝ドラはセリフをいっぱい覚えなきゃならないから大変だけど(笑)」

 そう言いながらも元祖“国民的”朝ドラ女優の目が輝いているのは隠せない。