「私が本当に子どものころからたびたびに両陛下(筆者注、現在の上皇ご夫妻)から戦争の話を聞きました。(略)非常に頻繁に沖縄戦の話を聞き、またそれに関連する映画を見たりいたしました。その後もたびたびに戦争のときの話を聞く機会があり、私たち(筆者注、秋篠宮ご夫妻)は、戦争というものを二度と繰り返してはいけないということを強く思ったわけです」
「子どもたちについてどのように伝えているかということですが、私たちも時々戦争の話を自分が知っている範囲で伝えることはあります。一方、子どもたちが御所へ伺ったときに、折々に両陛下から、その当時のことについてのお話がありました。(略)今年が学童疎開船対馬丸の悲劇から70年という節目の年ということもあり、その行事に家族で出席をしたわけです」
迫りくる戦火の中で沖縄の子どもたちは
迫りくる戦火から沖縄の子どもたちを救おうと、終戦1年前の1944年8月21日夜、学童疎開船「対馬丸」は沖縄・那覇港を出港して長崎を目指した。しかし翌22日夜10時過ぎ、鹿児島県トカラ列島の悪石島北西約10キロの洋上で、アメリカの潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受けて沈没。「対馬丸」には、学童や一般の疎開者、教員ら1788人が乗船していたという。現在、判明している、亡くなった学童疎開者は784人で、犠牲者は計約1500人に上るとされる。
「対馬丸」の悲劇から70年の節目に当たる2014年8月、佳子さまは家族と一緒に、東京で開かれた「学童疎開船を語り継ぐつどい2014」に出席し、対馬丸事件の生存者や沖縄の小・中学生とともに犠牲者たちに黙とうを捧げた。
同じ年の6月、上皇ご夫妻は沖縄県那覇市にある対馬丸事件の慰霊碑「小桜の塔」を初めて訪れ、白菊の花束を供えた。この後、同市内の対馬丸記念館を初訪問した上皇ご夫妻は、海上を6日間、漂流して奇跡的に助かった上原清さんら生存者らと懇談した。
2014年11月、49歳の誕生日を前にした会見で、記者たちから「今年、悠仁さまとともに対馬丸の追悼イベントに参加されました。両陛下から戦争や慰霊についてどのようなことをお聞きになり、どのように受け止められていますか。また、お子さまにはどのように伝えていますでしょうか」と尋ねられた秋篠宮さまの答えが、冒頭の言葉だ。
戦後60年となる2005年、初めてとなる海外での慰霊のため、アメリカの自治領である北マリアナ諸島のサイパンを訪問した上皇さまは、同年12月、誕生日を前にした記者会見で次のように語った。
「心の重い旅でした。(略)昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います。(略)今後とも多くの人々の努力により過去の事実についての知識が正しく継承され、将来に生かされることを願っています」
美智子さまの文書回答
同じ年の10月、誕生日に際しての文書回答で上皇后美智子さまも、
《対馬丸の撃沈で亡くなった沖縄の学童疎開の児童たちも、無事であったなら、今は古希を迎えた頃でしょう。遺族にとり、長く、重い年月であったと思います》と、綴った。
2014年春、私は対馬丸事件から70年目の沖縄を訪れ、上原清さんと面談をしたり、対馬丸記念館や関係者などを取材し、3月30日付の毎日新聞に「悲劇を語り継ぐ―『対馬丸』撃沈から70年」という大型記事を書いた。
事件当時、上原さんは国民学校4年生で、10歳だった。上原さんは仲間と太い竹をロープで結んだイカダをつくり、それに乗って漂流した。戦後、小学校校長などを務めたが、得意の絵筆を握り、撃沈された翌朝の、海面で必死に助けを求めた子どもたちを描くなど絵画制作や語り部として悲劇の継承に努めた。
2004年末、調査のためアメリカに行き、ボーフィン号の乗務員と面談したこともある。「敵や味方ではない。憎むべきものは戦争そのものだと気づかされた経験でした。そして対馬丸の子どもたちは平和のメッセンジャーとして永遠に生き続けるだろうと……」。このように上原さんは、記事の中で語っていた。
那覇市若狭にある対馬丸記念館は、亡くなった子どもたちの遺影や遺品などを展示し、後世に正しく事件を伝えようと2004年8月、開館した。運営する公益財団法人・対馬丸記念会理事長の高良政勝さん(84)は、4歳のとき、家族11人で対馬丸に乗り込み、9人が犠牲となる中、17歳の姉と2人だけ生き延びた過酷な体験を持つ。
大人だけが犠牲となるわけではない
「軍人や大人だけが犠牲となるわけではない。戦争は無差別に人を殺傷し、特に子どもや老人、女性という弱い立場の者がより大きな代償を払うことになる。その意味でも戦争は絶対、二度と起こしてはならない」
と、高良さんは力を込める。ウクライナやパレスチナ自治区ガザ地区などで今でも激しい戦闘が続いていることに心を痛める高良さんは、
「対馬丸の悲劇を風化させることなく、若い世代に引き継いでもらいたい。ここ対馬丸記念館を沖縄から日本、そして、世界に向けた平和発信の拠点として充実させたい」
と希望している。
皇室の若い世代を代表する佳子さまは、2014年12月、20歳の成年を迎える前の記者会見で、
「祖父母としての両陛下についてですが、お若かったころのご自身の経験などをよくお話ししてくださいます。日本をはじめ海外についての歴史や自然・文化などについてお話ししてくださることもあり、学ぶことが多いと感じております」
と答えた。祖父母から学んだ対馬丸の悲劇をはじめとする悲惨な戦争の事実をしっかりと受け継ぎ、さらに次の世代へと橋渡しをすることを私は願ってやまない。
悲劇から80年目となる今年8月22日、撃沈時間とされる午後10時12分、対馬丸記念館屋上に集まった参加者全員が、沈没地点の方角に向けて黙とうを捧げ、亡くなられた人たちの慰霊と世界の平和を祈念した。
<文/江森敬治>