立花さんの母は、60歳のときに大腸がんで亡くなった。「血便が出ても体調が悪くても、まさか自分ががんになるとは思ってもいなかったんです」発見時には、全摘出が最善と診断された。手術を決断した時も、抗がん剤治療中もメンタルがどん底にまで沈んだという立花さん。再び前を向いたきっかけは「わが子の存在」だったという―。
《私事ですが、2020年に直腸がんと診断され、腸、子宮、卵巣などの摘出手術を受けました。先月、手術から3年目の検診を受け、今の所再発も無く順調に回復しています─》
健康診断すらまともに受けたことがなかった
昨年11月、ブログでがんを患っていたことを公表した女優の立花理佐さん。ステージ3Bの直腸がんが見つかったのは、2020年春の緊急事態宣言下のことだった。
「それ以前から、便に血が混じったり、ヨガのレッスン中にストレッチボールに座った時にお尻に痛みを感じたりなど、“いつもと違う感じ”はありました。でも、『そのうち治るかなぁ』とあまり深刻には考えていませんでした」
だが、次第に体調不良に悩まされるようになる。
「2020年3月に息子が中学校を卒業し、卒業式の日にママ友たちと飲みに行くことになったんです。飲み会の最中に何度もトイレに行きたくなってトイレにこもり、でもトイレに座っても何も出ないということがありました。お腹の何ともいえない痛みがあって。その後も同じ症状は続き、家のトイレをひとりで占領したこともありました」
また、お尻の痛みで夜中に目が覚めることもあった。
「以前、痔を患ったことがあったので、『痔かもしれない』と思い市販の薬を使うようになりました。薬を使うと痛みはらくになるのですが、時間がたつと痛みがぶり返すの繰り返しになって」
もともと病院嫌いだったという立花さんだが、夫の強いすすめで病院を受診。
「近くの病院で診察を受けたところ、先生の顔つきが急に変わって、その場で大腸内視鏡検査をすることになりました。その結果、がん細胞が見つかり、大きな病院を紹介されました。紹介先の病院でいろいろな検査を受けた結果、直腸がんと診断されました」
実は、立花さんのお母様も大腸がんを患っていたという。
「母は20年以上前に、大腸がんで亡くなりました。母が亡くなった当時は、『私はちゃんと検診を受けるようにしよう』、『もしも過去に戻れたら、ママに検診を受けてねって言おう』と思っていたんです。でも、時間がたつにつれてその気持ちを忘れてしまって。健康診断すらまともに受けたことがなかったんです」
立花さんは、抗がん剤治療と放射線治療を受けた後に手術をすることになった。だが、なかなか手術を決断することができなかったと語る。
「お医者様からいろいろな説明を受けて、命が助かるためには摘出手術を受けたほうがいいということはわかっていました。でも、手術をしたら今までのような生活ができなくなるかもと思うと、決心がつかなかったんです」
痛みや現実から逃げたい一心だった
立花さんが親しく付き合っている友人の中には、婦人科の医師がいるそうだ。
「私は長年、子宮内膜増殖症の治療を受けていたのですが、その主治医は友人でもありました。私が手術を決めかねていることを知った彼女に、『いろいろと悩む気持ちはわかるけれど、今は生きるか死ぬかの時だから。立花理佐ではなく、ひとりのお母さんとして考えてみてほしい』と言われたんです」
その言葉で、立花さんの心は大きく動いたという。
「その当時、息子は高校1年生でした。私が母を亡くしたのは27歳のころでしたが、今でも『ママがもっと生きてくれていたらなぁ』って寂しくなることがあるんです。もし、私がいなくなったら10代の息子に同じ思いをさせることになってしまう。彼女の言葉をきっかけに、手術を受けようと思いました」
立花さんは49歳の誕生日(10月19日)翌日に入院し、手術を受けることになった。
「手術は12時間かかったと聞きました。目が覚めた直後から何日間かは痛みがつらく、睡眠薬を飲んでも痛みで眠れないほどで。痛くて痛くて、『もう死にたいです!』と病室で泣き叫んだことも。冷静になると“12時間もかけて手術して命を助けてくれた先生方になんてことを”と思うのですが、その時は痛みや現実から逃げたい一心でした」
入院中にリフレッシュしようと美容系のアイテムをいくつか持っていったが、とても使う余裕はなかったと笑う。そして、術後の身体の痛みは時間とともに薄れていったが、精神面の落ち込みは、その後1年半も続いたという。
「術後の抗がん剤治療の副作用がすごくつらかったんです。冷たいものに敏感になり、外で寒い風にあたるだけで顔が痛くなりましたし、フローリングの床は冷たすぎてとても素足では歩けませんでした。また、顔がむくんだり、シミができたりしたことで『誰にも会いたくない』という気持ちが強くなり、孤独感に苛まれ、うつ病を発症してしまったんです」
それからどのようにして、うつ病を克服したのだろう。
「夫と息子が家事をしてくれたりなど、家族にすごく支えてもらいました。友人たちも明るく接してくれて、食事や飲みに連れ出してくれたことも、ありがたかったです。あとは痛みが徐々に治まってからは友達と早朝ウォーキングを始めて。そしたら、やっぱり代謝がよくなったのかな。シミやしわが薄くなってきたんです。そんな小さな回復の兆しを感じて、少しずつ気分も明るくなっていきました」
立花さんは、つらかったはずの時期のエピソードさえも、笑い話をまじえて話してくれた。
「息子にお弁当を作っていたので、私が入院している間は学校の食堂で食べることも多かったようなのですが、夫が時々作ってくれて。なんと、その具材が高級スーパーで買ったうなぎとか! 夫が息子のために頑張ってくれたのはわかるのですが、病室でその話を聞いた時は『ちょっと待って。私のいつものお弁当の中身と違いすぎる! 息子の舌が肥えて、もう冷凍食品、入れられないじゃん』って思ってしまいました(笑)」
一つでも当てはまる症状があれば受診してほしい
その息子さんが高校を卒業する時、立花さんは手紙を受け取った。
「『コロナがあって、入学する時にはママのがんが見つかって、手術をして、初めのころは大変なことがいろいろあった。でも、楽しい高校生活を送ることができて、ありがとう』というような内容の手紙で、うれしかったですね。この子の成長をまだずっと見守れる幸せを実感しました」
大病を経て、多くの人に健診や検査を受ける大切さを伝えたいと思っているという。
「実は、血便やお尻の痛みといった自覚症状が出ていたころ、直腸がんを患った方が出演するテレビ番組を見たんです。『私の症状と似ているなぁ』と思ったのですが、『あれは同じだけど、この症状はないから、大丈夫かな』と勝手に解釈をしていました。だからこそ、一つでも当てはまる症状があれば病院を受診していただきたいんです」
立花さんの友人の中には、大腸がんを早期発見し、大事に至らなかった人が複数名いるそうだ。
「『ちょっと調子が悪いだけかと思ったけど、理佐のことがあったから、早めに病院に行って見つけてもらったの』と聞いた時には、私自身も救われたような気持ちになりました。私もね、もう少し早くに受診していれば、あそこまでの大手術にはならなかったでしょうし、毎回の検診の時には、再発してたらどうしようって、すごくナーバスになります。もうあんな経験は二度としたくない!って心から思いますもん。私の経験が誰かの役に立ってくれますようにと願いながら、これからもがんの体験を発信しつづけていきたいと思っています」
取材・文/熊谷あづさ
立花理佐さん 1971年生まれ、大阪府出身。1986年に「第1回ロッテ CMアイドルはキミだ!コンテスト」で優勝し、芸能界デビュー。ドラマ『毎度おさわがせします3』や映画『ビー・バップ・ハイスクール』に出演。歌手としてのヒット曲も多く、現在はバラエティー番組などにも出演し幅広い分野で活躍中。