パリ五輪の競泳で唯一のメダルを獲得した男子400メートル個人メドレーの松下知之

 金メダル20個と、銀と銅も合わせたメダル総数は45個。パリ五輪にて海外開催では最多のメダルを獲得した日本だが、“お家芸”は苦戦していた。

「競泳は惨敗と言われても仕方がない結果でした。“金を含む複数のメダル”を目標に掲げていましたが、男子400メートル個人メドレーで松下知之選手が獲得した銀メダル1個のみ。

 '12年のロンドン五輪で11個、'16年のリオ五輪で7個のメダルを獲得しましたが、東京五輪では金2個と銀1個の計3個。今回はそれを下回り、メダルなしに終わった'96年アトランタ五輪以来の低迷となりました」(スポーツ紙記者、以下同)

パリ五輪で競泳が惨敗、選手から悲痛の声

 競泳は個人競技ではあるが、世界の舞台で結果を残すには周囲のサポートが必要不可欠。ところが、競泳は組織としてまとまっているとは言えない状況だったようだ。

「一部のコーチに渡された身分証は大会中でも会場に入れないものでした。日本オリンピック委員会が周知した資料には、入場できないことが書かれていましたが、実際にコーチ陣へ伝えられたのはパリに到着してからで、困惑の声が上がりました」

 パリ五輪で唯一のメダルを獲得した松下選手を育て、かつては北島康介も指導した平井伯昌コーチは、パリからの帰国後に、

「組織力やコーチングとかは、もう一度改めないといけない。特に組織のほう」

 と改革を訴えた。

 惨敗には“伏線”があった。

「福岡で行われた2023年の世界選手権では、リレーのメンバー変更が担当コーチに共有されないという、コミュニケーション不足が露呈しました。この大会は銅メダル2個と苦戦。出場していた五十嵐千尋氏は大会後に自身のXにて、日本水泳連盟について《選手に対してアスリートファーストではなくなってしまった》と、公然と批判する異例の事態となりました」

 さらに、世界選手権から2か月後の2023年9月に中国・杭州で行われたアジア大会。その直前の合宿を巡って、選手やコーチから不満の声が……。

「北海道江別市にあるプールで合宿を行ったのですが、このプールはスタート台や水深などが国際基準のプールに適合していませんでした。

 また、宿泊するホテルは札幌市内のため、練習場まではバスで40分ほどかかります。現場では“なんでわざわざ北海道で合宿をする理由がわからない。東京の『ナショナルトレーニングセンター』で十分なのに”といった不満が上がっていました」(競泳関係者)

 合宿場所を決定した経緯などについて、日本水泳連盟に問い合わせたところ、

「日本水泳連盟の競泳委員会で協議を行い、決定、実行をしました。国際基準を満たしているプールは国内に限られていますし、基準を満たしていないと合宿をしてはいけないという決まりもありません。宿舎に関してもベストの環境だろうと機関決定をして実施しました」

 世界から置いていかれる“競泳ニッポン”は、かつての栄光を取り戻せるのか。