俳優の神田沙也加さん(享年35)が亡くなって今年12月で3年。当時、沙也加さんと交際していた俳優・前山剛久さんのもとには誹謗中傷が殺到し、事務所を辞めて芸能界から姿を消した。その前山さんが2月から新たにインスタグラムを始め、「芸能界に復帰するのでは?」と話題になっている。
今回、「これまでのことを自分の言葉できちんと話したい」と前山さんが独占インタビューに応じた。あのとき一体、何があったのか。この2年半、どういう気持ちでいたのか。沈黙を破り、今、真実が明かされる。
「もう一度、日本の芸能界でやり直したい」
前山さんは2011年に俳優としてデビューし、2・5次元俳優として活躍。甘いルックスでファンが増え、これまで3冊の写真集も発売している。
現在は実家のある大阪に住んでおり、友人と共に美容関連の仕事をしているという。昨年は1年間韓国に留学し、歌と語学を学んだ。
「神田さんが亡くなって1年くらいは、何も手につかず、家にひきこもっていました。でもやはり芸能の道を続けたいという思いがあり、K―POPや韓国ドラマが好きだったことから、昨年、韓国に留学しました。1年間、歌のレッスンを重点的に受けましたが、音をちょっとでも外すと、呼吸からやり直しをさせられます。厳しいレッスンを体験して、韓国の芸能レベルの高さを実感しました」(前山さん、以下同)
韓国でレッスンを受けるうちに、「もう一度、日本の芸能界でやり直したい」という気持ちが強くなっていったという前山さん。
「あのときは、当時所属していた事務所にこれ以上迷惑をかけられないという思いが第一で、ファンの方に何も説明をできないまま辞めてしまいました。それなのに今でも応援してくださる方がいて、本当に感謝しかありません。これから地道に芸能活動を再開させたいと考えていますが、その前に、一度、自分の言葉であのときのことを説明する義務があると思いました」
前山さんはミュージカル『王家の紋章』『マイ・フェア・レディ』で沙也加さんと共演。結婚を前提とした交際をしていた。しかし、2021年12月18日、『マイ・フェア・レディ』北海道公演の最中に沙也加さんが亡くなるという悲劇が起こった。
「訃報を聞いたときは信じられない気持ちと悲しみで、何をどうしたらいいかわからない状態でした。事件性がないか調べるため、神田さんとやりとりしていたLINEは警察に渡し、彼女と自分との関係も話しました。その後、警察からは『事故か自殺かはわからない』と言われ、そのときのまま情報が止まっています。その後、神田さんの関係者の方からご連絡をいただくことができず、何が正しい情報なのかわからないままです」
週刊誌では、前山さんとの恋愛関係のもつれが死の原因ではないかと報道され、前山さんへのバッシングが激しくなっていく。
「彼女と何度もケンカをしていたのは事実ですし、思い詰めてしまったのだとしたら、僕との関係にもその一因があったのではないかと思っています。中には事実関係が間違っていた記事や証言も多々ありましたが、反論はしませんでした」
「復縁を申し込まれた」
報道の中には、沙也加さんが前山さんとの関係に悩んでいただけではないという記事もあった。愛犬の死、高音が思うように出せないことへの悩み、大きな舞台に出る重圧、心療内科で処方されていた薬を忘れてきたことなどが重なって、死を選んでしまったのではないかという臆測もあった。
「神田さんご本人のプライバシーに関わることは、僕からはお話しできません。ただ、2人の関係性でいうと、交際期間は2か月ほどで、あのとき(『マイ・フェア・レディ』の公演時)にはすでに別れていました。
年齢的なこともあり、最初から結婚を前提にお付き合いをしていたことは事実です。でもケンカが絶えず、神田さんから『別れよう』と言われ、僕も了承したのです。その後、神田さんから復縁の話がありましたが、僕も舞台に出演中だったこともあり、きちんと話し合う余裕がありませんでした」
当時の週刊誌には、前山さんが沙也加さんを罵倒した音声が残っているということや、前山さんが沙也加さんの前に交際していた女性とのLINEのやりとりが掲載された。それは事実だろうか。
「罵倒したのは事実ですが、神田さんとの関係に疲れて、僕自身も精神的に参っていました。元カノとのLINEのやりとりは、神田さんと別れた後なので二股ではありません。ただ、神田さんとの付き合いが短く、彼女の性格や心情を深く理解してあげられなかったことは、本当に申し訳なく思っています」
身近な人が精神的に不安定な状態のとき、どう対処すればいいのか。精神科医でライフサポートクリニック院長の山下悠毅さんは、「1人で支えようとするのはNG」と話す。
「よかれと思って発した言葉も、人によって受け取り方が違います。『時間がたてば解決するよ』と伝えて楽になる人もいれば、絶望を味わう人もいる。ですから、家族、友人、恋人など支える人を分散させて、いろんな意見を伝えるようにしてください」(山下さん、以下同)
精神的に不安定な人の話を毎日聞くことも簡単ではない。聞いているほうが参ってしまうと、相手から離れる選択をしてしまうこともあるという。
「話を聞く人が不安にならないよう、聞く時間を区切ることが大切です。毎日5分とか10分と決めると対処しやすく、話をする側も相談相手を失わずにすみます」
一方、身近な人を亡くし、それに加えてさまざまな形でバッシングを受けることになった前山さんを心配する人も多かった。
「僕が死んでしまうのではないかと家族は心配し、根気よく見守ってくれました。元の事務所の関係者や先輩方、友達も話を聞いてくれたので、心の支えになっていました」(前山さん)
SNSの誹謗中傷は社会問題となっており、中には自殺する人もいる。誹謗中傷に対するスタンスについて山下さんは次のようにアドバイスする。
「SNSを見ないと決めても気になってしまうなら、見るほうがいいと思います。そこで大事なのは、事実を知らない人ほど的はずれなことを言うものだと、第三者の視点を持つことです。どんなに称賛を受けている人にも、また、どんな人でも、行動を起こせば、的はずれな誹謗中傷や適当な意見で絡んでくるアンチが出てきます。むやみやたらに反論せず、煽らないことも賢い方法です。相手が黙っていると、人は文句を言い続けることができなくなるからです」(山下さん)
バッシングは覚悟のうえ
前山さんは誹謗中傷も含め、すべての意見に目を通しているという。
「もし同業の役者さんが同じような立場になったら、『あいつのせいで亡くなったんだろう』と僕だって思ったかもしれません。僕に起こったことは事実であり、自分がまったく悪くないとは思っていません。ですから誹謗中傷も意見の一つとして受け止めています。
ただ、家族は関係ないので、実家が営んでいる会社などへの誹謗中傷はやめていただきたいです。何か言いたいことがある方は、僕個人のインスタグラムに連絡をしてください」(前山さん、以下同)
沙也加さんが亡くなった後、前山さんから沙也加さんのマネージャーに連絡を入れたが、返事が来ることはなかったという。
「せめて墓前で手を合わせたいと願っており、お墓の場所を教えてほしいとご連絡しました。来てほしくないということなら仕方ありませんが、この記事を見てご一報いただけるとありがたいです」
今回のインタビューを受けて、またバッシングが再燃する可能性もあるが、「それは覚悟のうえです」と前山さんは話す。
「役者という仕事を選択したので、作品のことを聞かれたら話しますが、僕自身のことや当時のことを今後、話すつもりはありません。一度、自分についたイメージはなかなか消えませんが、仕事を通して更新していくつもりです。
どんな状況になっても、もう一度頑張れるんだと勇気を与えられるような役者になりたいと今は心から思っています。今後、日本の芸能界で受け入れてもらえるならば、作品で多くの方に認めてもらえるよう頑張っていくのみです」
前山剛久(まえやま・たかひさ)1991年2月7日生まれ。大阪府出身。2011年に若手俳優集団・D-BOYSのメンバーとなり、ミュージカル『忍たま乱太郎』で俳優デビュー。白井晃演出『No.9―不滅の旋律―』、青木豪演出『十二夜』などのストレートプレイ、植木豪演出「『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-』Rule the Stage」シリーズ、末満健一演出の「舞台『刀剣乱舞』」シリーズなどの2.5次元舞台で活躍。https://www.instagram.com/takahisa_maeyama0207
取材・文/紀和 静