「あ、えと……え、え……」
老人は干支(えと)を聞かれるも即答できない。自身のことなのに。隣で助け舟を出す“地面師”。
架空の不動産売買の話を持ちかけ、相手から巨額の金をだまし取る詐欺師集団─。ネットフリックスのドラマ『地面師たち』が大きな話題となっている。配信開始からネットフリックスの日本の週間TOP10(シリーズ)で首位を独走、グローバル週間TOP10(非英語作品/シリーズ)でもトップを争う。
『地面師たち』でバズった『ライフのほうが安い爺』
地面師たちの手先として、本当の地主・島崎健一になりすました老人の佐々木役を演じたのが俳優・五頭岳夫(ごづ たけお)。劇中でよく使うスーパーを聞かれ、(最寄りの店ではなく)「ライフへよく行きます。ライフのほうが安いので」と答えるシーンが反響を呼び、『ライフのほうが安い爺』とSNSで人気に。
「リアルに演じたら、バズっちゃって(笑)」
“演技が自然”“ハラハラした”などとSNS上では非常に評価が高かったが、当の五頭本人はそう笑う。冒頭の干支を聞かれたシーンは、“2枚の写真のうちどちらが本当の自分の家かを選ぶ”シーンに続く。最初はテーブルに置かれた状態での演技だったが、綾野剛の機転でアドリブが生まれたという。
「老人にはそれだと見えづらかったので、私が立ち上がったら、綾野さんが演じている辻本拓海役の優しさみたいな部分なのかな。写真を手に取って、指を動かして合図する演技が生まれたんです。役者同士のキャッチボールみたいなものでしたね」
また、「ライフのほうが安いので」にも裏側が。実はあのイヤホンから実際に豊川悦司の声が聞こえていたそうで、驚いて突然声を上げるのは、本当に声が聞こえてビックリしたところなのだそうだ。
「最初は僕もセリフとして演技をしていたんだけど、大根監督が“ちょっと違う”“ちょっと違う”となって何回もやって、もう開き直ったところで耳から本当に声が聞こえてきたのでビックリしたんですけど、それに合わせて言ったんです。だから、なんかものすごくリアリティが増したんでしょうね。『地面師たち』の現場は本当に楽しかった。役者冥利(みょうり)に尽きましたね」
『地面師たち』で注目を集める“ライフのほうが安い爺”だが、それ以前から自身のSNSで役作りなどについて自ら発信してきた。自分の名前を見つけるとまめに返信。自身がフォローされたら相手をフォロー。御年76歳ながら、即レス・即フォロバだ。
「劇団時代にお礼の手紙をお返ししていたのと同じ気持ちなんです。単に“いいね”を押すだけではなくて、文字として書いてくれているわけだし、意見を寄せてくれたっていう縁(えにし)みたいなものがあるからね。そして人間、褒めていただくのは悪い気しませんもん」
往年の名作にも出演の過去
自然な演技に「本当にその辺にいるおじいさんにしか見えない」とSNSでも注目を集める謎の老俳優。実は映画『八甲田山』『八つ墓村』『翔んで埼玉』『万引き家族』などに出演。ドラマも多数。キャリアは50年超。もともと演劇に興味があり、高校生のときに市民劇団員と出会ったことで学校で演劇サークルを立ち上げ、高校の文化祭と市民文化祭に参加したという。
「そこで反応が良くてね。舞い上がって、役者がやりたいと思った(笑)。最初は小学校、中学校の先生が芝居の楽しさを教えてくれたのが興味を持ったのがきっかけで、今でも先生方と交流あるんですよ。でもね、やっぱりおふくろの顔が見づらくてね。エンジニアやサラリーマンになってほしいと言っていたので……。高校卒業後は東京へ出て、自動車の整備士学校へ入りました」
学校へ通いながら、そしてその後就職したカーディーラーの仕事の傍ら、五頭は劇団に入って芝居を続けた。そして20代中盤、俳優として生きることを決め、劇団『青年劇場』の門を叩く。
「だって人間、人生は一生に一回だから、自分が生きたなって証しが欲しかったんでしょう。まあそのころはそんな哲学的なことまで考えていなかったと思うんですけど、ある意味……そうね、有名になりたいっていう部分もあったのかもしれない(笑)」
劇団では主に学校での公演を中心に全国を巡演。五頭が得意とするさまざまな方言による芝居は、このとき演じた役や各地で触れ合った人から学んだものだという。
しかし40代前半、地方公演中に「どうも歯がぐらつくな」と思って病院へ行くと「左の顎の骨が溶けてる。手術しないといけない」と診断される。
「でも公演が来年まで決まっていたからね、ちょっと先送りにしていたら“ほっといたら骨が折れる”と言われて。それで手術をしたんです」
金属のプレートで顎を補強する大手術を受け、ホッとしたのもつかの間、ある日舞台で大きな声を出したらプレートが折れ、その破片が脳のある場所まで入ってしまったという。
「でもこの破片を取ろうとすると脳に傷つけちゃうから、っていうんでそのままになってます。そうこうしていたら1年もしないうちに胃がんが見つかって。それで手術で胃を半分切ったんだけど、まだ上のほうにがんが残ってるって、2度も手術して。顎と合わせて2〜3年の間に8回も手術しましたよ」
時代は昭和から平成へと元号が変わったころ。そのまま劇団に残って裏方として生きていく選択肢もあったが、五頭はどうしても俳優を続けたかったという。
「医者は“もうやめなさい、次の仕事を探しなさい”と言うんだけど、もう40過ぎてるしね、潰(つぶ)しがききませんよ(笑)。それでまだしばらくは検査があったり、リハビリや入院もあったので、時間の融通がきくエキストラとして映像の仕事を始めたんです」
“Oneday、OneScene役者”
ようやく体調が全快したのは55歳。それを機に本名の漢字を変えて芸名にしていた小林直二から、故郷の山『五頭連峰』から名前を取り、五頭岳夫と改名した。
「名前も何も、もう全部捨てました。昔の台本とかも全部処分して。それでアメリカとヨーロッパを1か月半くらい旅してきました」
エキストラの仕事は約10年続け、その間『池袋ウエストゲートパーク』『木更津キャッツアイ』『白夜行』など多くの作品に出演。その状況が変わったのは2007年、エキストラとして所属していた事務所が新たにマネージメントのための会社をつくると知り、懇願して所属俳優として契約したことだった。そこで最初に出た作品が三木聡監督の映画『図鑑に載ってない虫』。
「そのときにホームレス役をやって、それから立て続けにホームレスばっかり4本か5本続いてねぇ。まあ僕には大臣や学校の先生役なんて来るのは、めったにないけど(笑)」
五頭は自らを“Oneday、OneScene役者”と笑う。ワンシーンのみの出演で、1日で撮影が終わる役者、ということか。
「でもね、そのワンシーンで視聴者、監督、スタッフにインパクトを与えられるか考えてましたね。ホームレスでもどんな格好をしてるのか役柄で違いますし、腰の曲げる角度を変えるだけでみすぼらしく見えたり、立派に見えたりする。なので役作りのため、自前の帽子なんかを持っていったりしてましたよ。すると違う現場へ行くと“この間◯◯で一緒でしたね?”ってよく声かけられるようになって。
後になると若手だった人が監督になって、僕にオファーしてくれたりね。『地面師たち』の大根仁監督も、ドラマ『リバースエッジ 大川端探偵社』でご一緒したのが最初です。しかも今回の島崎役は監督から“五頭さんに当て書きした”と言われてね。うれしかったなぁ」
最近ではドラマ『虎に翼』、映画『若武者』、さらには『水曜日のダウンタウン』などさまざまな作品に出演。令和にバズった五頭。今後は?
「もう来るもの拒まんで、なんでもやります。そうしないと、ご飯食えないから(笑)」
あなたが次に見るドラマに五頭の姿があるかも?
(文中、敬称略)
取材・文/成田全