20歳の誕生日、女性皇族の正装であるローブデコルテにティアラ、勲章を身につけて皇居へ(2014年12月29日)

 秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまは2014年12月29日、20歳の成年を迎えた。これに先立って行われた記者会見では抱負を語った。2014年11月25日、49歳の誕生日を前にした記者会見で秋篠宮さまは、記者から「佳子さまとの20年間の思い出」について尋ねられると「小さいときは静かな女の子」と語った。両親から見た佳子さまとの微笑ましいエピソードを振り返る─。

「高校生のころは、成年というとずいぶん大人のイメージがございましたが、いざ自分が成年を迎えるとなると、まだ未熟なところが多くあると感じております。また、成年を迎えるまでに関わってくださった方々に感謝の気持ちを持っております。

 公的な活動に関する関心事ですが、これからさまざまな活動に参加する中で、自分の関心を持っている分野について考えていきたいと思っております。また、基本的には、自分が関心を持っているかどうかというよりも、いただいた仕事を一つひとつ大切にしながら取り組んでいくべきだと考えております」

20歳の成年を迎えた佳子さまの抱負

軽井沢でご静養のひとときを過ごす紀子さまと、当時4歳の佳子さま(1999年8月)

 秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまは2014年12月29日、20歳の成年を迎えた。これに先立って行われた記者会見で、記者から「ご成年を迎えるにあたってのお気持ちをお聞かせください。成年皇族としてご公務に臨む機会も増えますが、特に関心を持っている分野とともに今後の抱負をお聞かせください」と、尋ねられ、このように答えた。2013年春、佳子さまは学習院大学に内部進学したが中退し、その後、姉・子さんの母校でもある国際基督教大学(ICU)にAO入試で合格した。2015年4月からは、ICUで学ぶことになっていた。

 誕生日の12月29日、皇居で成年の祝賀行事が行われた。報道によるとこの日午前、佳子さまは皇室の祖先などが祀られている宮中三殿を参拝した後、宮殿で上皇さま(当時、天皇陛下)から勲章の宝冠大綬章を授けられた。

 午後、天皇、皇后両陛下に挨拶した後、宮殿玄関前に姿を見せた佳子さまは、白地に金糸の花模様をあしらったローブデコルテにティアラ、勲章を身につけた正装だった。

 翌2015年3月6日、佳子さまは三重県伊勢市の神宮を訪れ、成年になったことを報告した。佳子さまは、外宮、内宮の順番で参拝し、皇室の祖神とされる天照大御神が祀られている内宮では、ゆっくりと神前まで歩み、玉串を捧げて、拝礼した。

「20年間の思い出、そうですね(とお考えになる)。まず、生まれてしばらくのころですけれども、長女と比べると、すごく静かな子だったんです。静かな子というのは、赤ちゃんですから、夜泣きをあまりしなくて、途中で起こされることが少なかったということですけれども、とても静かな子だなということを今でもよく記憶しております。

 それから、私は海外に家族みんなで行ったことはありますけれども、次女と一緒に2人で出かけたことはないのですが(略)2人で上野動物園に行ったことがあるんですね。

 上野動物園に一緒に行って、ちょうど桜がきれいな季節であったので、じゃあ帰りに寛永寺の辺の桜を少し見ていこうかと言って、2人でお花見を楽しんだということが、次女がおそらく幼稚園のころ、5歳くらいでしょうか」

 2014年11月25日、49歳の誕生日を前にした記者会見で秋篠宮さまは、記者から「佳子さまとの20年間の思い出」について尋ねられると、このように答えた。同席した紀子さまは、次のように続けた。

「娘の佳子はとても小さいときは静かな女の子で、でもよく周りを見て、自分の意志をしっかり持っていたように思います。小さいときから手を動かすこと、手芸や折り紙を作るのが大好きで、いろいろとできたものを私のところに持ってきて見せてくれたことをよく覚えています。また、私が娘に作ってあげたぬいぐるみに名前をつけてくれ、大事にしていました。

(略)小学生のころになりますと、フィギュアスケートに関心を持ち始めて、小学校の授業が終わった後や、休日の早い朝にスケートの練習のためにスケートリンクへ一緒に通いましたことも懐かしく思い出されます」

 佳子さまといえば、フィギュアスケートやダンスに夢中な女の子で、小さなころから華やかで活発な印象が強いが、「小さいときは静かな女の子」だったと、両親が口をそろえて振り返ったのには、少し驚いた。

佳子さまとの微笑ましいエピソード

障害者のダンス大会「ドレミファダンスコンサート」を鑑賞。『マツケンサンバ』の曲に合わせてポンポンを振る佳子さま(2024年6月16日)

 このときの記者会見で、秋篠宮さまは、佳子さまとのこんな微笑ましいエピソードも披露した。

「(佳子さまが)だんだん年齢が高くなるにつれて、(略)いろいろと親と口論になる機会も多くなってきました。私とちょっと性格も似ているところがあるので余計そうなのかもしれないのですけれども。

 以前は、口論になると、私自身も、長女が言っていたように導火線が短い人間なものですから、かなり激しい口論、応酬になったのですけれども、こちらもだんだん年を取ってきて、的を射たことを指摘してくれていることが意外と多いということがわかりました」

 この記者会見の20日ほど後に開かれた成年に際しての会見で、父親の発言を受けて佳子さまは次のように述べ、笑いを誘っている。

「私の性格についてですが、長所は自分ではあまり思いつきません。短所は、父と同じように導火線が短いところがありまして、家の中ではささいなことで口論になってしまうこともございます」

「そうですね、結構日常的によく口論になってしまいますし、私がさまざまなことを指摘してしまうこともよくございます」

 1991年2月、私は秋篠宮さまと初めて会ったが、それ以来、個人的な付き合いは33年になる。プライベートで、宮さまと会い始めた最初のころだった。秋篠宮さまが私に、「江森さん、木登りができないのは、きょうだいの中で私だけなんです」と、困惑したような表情で話したことがあった。実直な兄、天皇陛下に比べ、弟は自由奔放、やんちゃで活動的というイメージで語られることが多く、私も長年、そう信じてきた。それだけに、宮さまからのさりげないひと言には驚いた。

 このことがきっかけで、私は本当の秋篠宮さまの姿を正しく知り、微力ながら、広く、読者に正確に伝えようと心に決めた。自分で直接、見て、聞いて、感じたものしか信じない。常に、報道者としての原点に立ち返ることの大切さを、秋篠宮さまのこの発言で教えられた気がする。

「小さいときは静かな女の子」というエピソードではないが、佳子さまの実像や素顔を私たちはまだ知らない。この連載を通じて、しっかり伝えることができればと考えている。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に『秋篠宮』(小学館)、『美智子さまの気品』(主婦と生活社)など