たかはし・まみ 1967年、東京都生まれ。'82年、『欽ちゃんのどこまでやるの!』に萩本家の三つ子、のぞみ・かなえ・たまえの“たまえ”役としてデビュー。グループ名「わらべ」としてリリースした『めだかの兄妹』『もしも明日が…。』はいずれも大ヒットを記録する。現在もタレントとしてテレビ、ラジオで活躍し、著書に『みんなに黙ってダイエット』(ワニブックス)がある。 撮影/佐藤靖彦

「欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞」(日本テレビ系)の記念すべき第100回が来年1月に放送予定。萩本欽一さんといえば、忘れてはならないのが欽ちゃんファミリー! 萩本家の“たまえ”こと高橋真美さんは今、どうしてる? そして、萩本さんの忘れられない教え、思いとは―。笑える中にほろりとくる、まさに萩本イズムのお笑いのようなエピソードが満載でした!

オーディション合格の裏話

「お父さんがYouTube『欽ちゃん80歳の挑戦!』を始めたとき、着ている服が暗くてどんより見えたので、『もっと明るい色の服のほうがいいよ』って一方的にアドバイスを送りました(笑)」

 親しみを込めて、今でも萩本さんのことを「お父さん」と呼ぶ。高橋さんは、『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)で、萩本家三つ子の三女「たまえ」役としてデビュー。その関係性は今も変わらず、父への気遣いはまるで本当の親子のよう。

「でもね、オーディションで選ばれた理由が、『絶妙な太り具合だった』ですから。たまえは食べ物のことばかり考える“オチ”を担っていたとはいえ、ひどくないですか!?(笑) 当時は、『おいしい』ポジションだとは思えなくて、お父さんに頻繁に相談していました」(高橋さん、以下同)

「聞いちゃダメ」で有名だった萩本さんも、たまえの懇願には勝てず、繰り返し説明したそう。のぞみ(高部知子)、かなえ(倉沢淳美)、たまえの三つ子「わらべ」は歌手デビューも果たし、お茶の間の人気者に。パジャマ&ちゃんちゃんこ姿で歌う姿は、一世を風靡した。

「歌番組に出演した際、男性アイドルを見に来た女性ファンが、私にだけは手を振ってくれるんです。そのとき、たまえのキャラクターがわかったんですよね。たまえは同性から敵視されず、好かれることをやっていたんだって。半面、本当に男性ファンは少なかったんですけどね、あはは」

「最初に思いついた感想は言うな」

 萩本さんは「わらべ」が売れることを確信していたそうで、のぞみが不祥事を起こし、2人体制になったときも、「大丈夫」と背中を押してくれたという。

「お兄ちゃん(見栄晴)が、空いたポジションを狙っていたのを覚えています(笑)。2枚目の『もしも明日が…。』は、全国のお母さんが台所で夕飯を作りながら口ずさめるような歌を作りたい─そういったコンセプトがあったと聞きます。

 私たちは、本当に娘のように可愛がられ、怒られたりしたことはまったくなかった」

 萩本さんから教わったことは、その後、芸能活動を続けていく上でも指針になっていると話す。

「私はリポーターなどをする機会が多くて、そのときにアドバイスされたのは、『最初に思いついた感想は言うな』ということ。おいしいと感じても『おいしい』とは言わずに、3つ先に思いついたことを言いなさいって。お父さんは、楽な道が好きじゃないんですね。悪口や下ネタを否定しないけど、『簡単に笑いを取れるから自分はしない』と話していました」

インタビューに応じた高橋真美さん 撮影/佐藤靖彦

 そして、「常に周りを気にかける人」とも付言する。

「『欽どこ』は公開収録ですから、前説でお客さんを楽しませます。その後、本番が始まる合図の“Q出し”をするのですが、お父さんは『3、2、1って合図をするとお客さんが緊張して、温めた意味がなくなる』と、Q出しをしないようにしていた。そうした細かい配慮は、私も大切にするようにしています」

 娘として、高橋さんは父の教えを守り続けている。ブログでは、たまえが宿ったかのように、体重をそのまま記述するなど“ダイエットの記録”を綴り続ける。

「高橋真美の人生とは別に、萩本たまえの人生があるように感じるんです。私と一緒に、たまえちゃんも年を取るけど、あのころの視聴者のみなさんが『たまえちゃん、いつまでも元気そうでうれしい』と思ってくれるように生きないとなって。望まれたら、いつでもパジャマを着て、歌えるように。私が責任を持って手入れして、たまえの始末をつけるしかないと思っているんです(笑)」


取材・文/我妻弘崇