若いころは二枚目俳優として人気ドラマにも出演し、シニア以降はチワワやナオミ・キャンベルの「お父さん」として話題になった清水さん。だがその後、前妻とのDV騒動や、自殺未遂、生活保護……。「人生のどん底にいた」ころ、最後の伴侶とついに邂逅。共に歩み始めたという。当時を振り返り、今の思いを語ってもらった―。
伴侶と出会ったとき「気がついたら涙を流している自分がいた」
「死に損なってよかった。この人に出会えたんだから。もう死のうなんて思いません」
そう苦笑しながら胸の内を明かすのは清水章吾さん。'02年、消費者金融『アイフル』のCMでチワワの“くぅ~ちゃん”と共演するや一躍ブレイク。CMやドラマに引っ張りだことなったが、脳梗塞を患うと思うように仕事ができず、家庭内でも不和が生じ離婚。
心身共にどん底に落ちた清水さんは、複数回にわたって自殺未遂を試みた。死地をさまよう中で出会ったのが、“この人”こと18歳年下の水沢巡美さんだった。籍こそ入れてはいないが、「本当の伴侶」だと語る。
「共通の知人を介してカラオケで出会ったのが最初。こんなに歌がうまい人がいるのかと思った。気がついたら涙を流している自分がいたんです」(清水さん)
水沢さんはキャリア29年のベテラン演歌歌手。見事な歌唱力にほだされた。だが、実は水沢さんも、清水さんに惹かれたと振り返る。
「私も、『この人、歌がうまいな』と思いながら聴き入っていたんです。清水さんを連れてきた知人が、『清水章吾さんです』と紹介した際、聞いたことがある名前だなと思ってネット検索したら、くぅ~ちゃんと写る写真が出てきてびっくりしました」(水沢さん)
このときは挨拶程度の会話しかしなかったが、次第に互いが気になる存在に。
「Facebookで彼女の名前を検索していたら、彼女のほうから友だち申請のメッセージが届いたんです。お互いに探し合っていたのかと思うとうれしくて。運命めいたものを感じましたよね」(清水さん、以下同)
2023年、80歳を迎えた清水さんは、水沢さんの後押しもあって『すきすき六本木』というデュエットの新曲をリリースした。
「僕は1973年にレコードデビューをしているのですが、50年ぶりにレコーディングした(笑)。人生って不思議ですよ」
紆余曲折の人生─。たしかに、清水さんが口にすると説得力を帯びる。前述したように、清水さんは1973年にレコードデビューを果たす。同年、NHK連続テレビ小説『北の家族』に準主役として抜擢されると、その名は全国区に。
アイフルのCMは“くぅ~ちゃん”の方がギャラが高かった
その後、『白い巨塔』(フジテレビ系)や『噂の刑事トミーとマツ』(TBS系)といった人気ドラマに出演するなど、俳優として着実にキャリアを重ねていく。
59歳のとき、ベテラン俳優となった清水さんの状況を一変させる出来事が起こる。“くぅ~ちゃん”との出会いである。
「実は、あのCMに出演する候補犬は、チワワの“くぅ~ちゃん”を含めて7匹いたんです。『清水さんが選んでください』と言われ、どの犬がいいかなと見つめていたところ、チワワのウルウルした目を見て、『この子にしよう』と。CMの中で、“くぅ~ちゃん”と見つめ合うわけですが、全然懐いてくれなくて……30~40回くらいテイクを重ねました(笑)」
もともと犬好きだったという清水さんは、CM撮影の少し前、1匹のポメラニアンと出会う。
「殺処分を控えている子でした。私が引き取ることを伝えると、ポメラニアンにも伝わったのかたちまち元気になって。しばらくして、『アイフル』のCM撮影があって、放送されるとものすごい反響。この年は何かとワンちゃんと縁がある1年でした。ポメラニアンが恩返しした? それはわからないけど、僕自身、もっと犬が好きになったのは間違いない(笑)」
CMの影響はすさまじく、チワワの人気は爆発。街中では、チワワを連れ歩く人が急増し、“バッグから顔を出すチワワ”といった今に続く光景をつくり出した。
「CMは4年間続きましたが、“くぅ~ちゃん”人気がすごくて、いつも僕よりギャラが高かった」
と笑うが、清水さん自身も、『エステティックTBC』のCMでナオミ・キャンベルと共演するなど誰もが知る存在となった。順風満帆のはずだった。ところが、
「63歳のときに脳梗塞を患うと、俳優としての仕事に自信を失いました。そうなると悪循環ですよね。仕事もうまくいかない、家族との関係もうまくいかない。家庭内別居のような状況が続いていた」
輪をかけるように、妻とその前夫との子が、週刊誌上で「長年にわたって暴力を受けていた」と告白。DV疑惑をかけられた清水さんは、より孤立した。
「反論したいことは山ほどあります。DVなんてしていません。妻の子どもは、彼女が3歳のときに共に暮らすようになった。その後、妻との間に2人の子どもを授かりますが、僕はむしろ実子を厳しく育てたくらいです」
離婚が成立すると、妻の態度は豹変したという。埼玉県本庄市にあった自宅は差し押さえられ、家もお金もなくなった。
「子どもたちに生前贈与もしたのに。絶望しましたよ。遺書を書き、睡眠導入剤を40錠ほど飲みました」
家族が発見し、一命を取り留めるも帰る場所はない。別の町へ引っ越し、生活保護を受けながら6畳一間でトイレ・風呂共同、お湯の出ないアパートで暮らした。睡眠導入剤を飲むことが癖になり、その後、自殺未遂を2度繰り返したという。
「医師からは、『もうやめてください。4度目は命の保証ができない』と言われた。『わかりました』と答えたものの、本心は『またやるだろうな』と思っていた。だって、生きている意味がわからないんですから」
生き地獄─。水沢さんと出会うカラオケに行かなければ、きっと今も続いていた。2021年12月に出会った当初を、水沢さんが振り返る。
「しばらくして章吾さんのアパートに伺うと、寒くて30分もいられませんでした。小さな小窓が閉まらないのか、開けっ放しでした」(水沢さん)
残りの人生を一緒に過ごしたいと思った
隙間風が入ろうがどうでもいい。いかに清水さんの心が荒んでいたかが窺い知れる。
「彼女は、散らかっていた部屋を掃除してくれたり、食事を作ってくれたり、僕の生活を立て直してくれた。僕は右足と腰が悪くて、一人で歩くこともままならなかったけど、今は彼女が肩を貸してくれるんです。どん底に落ちて、お金も家もない。でも、この人がいる。残りの人生を一緒に過ごしたいと思ったんです」(清水さん)
水沢さんは、これまで離婚を3度経験。「もう男性はこりごり」。そう思っていたが、
「清水さんと会って気が変わったんです。才能があって歌がうまいのにもったいない。そう感じた私は、『プロデュースさせてください』と彼をスカウトしました」(水沢さん)
取材当日、何度も自殺未遂をした人とは思えないほど、清水さんの調子がいいことが伝わってきた。壮絶な老年期を過ごす清水さんの様子を勝手に懸念していたが、杞憂に過ぎなかった。
「私は毎晩、美容液パックをしているんですが、『清水さんもする?』って聞いたら『お願いします』って言ったのでそれからは一緒に並んでパックをしています。だから清水さん、お肌のツヤがいいんですよ」(水沢さん)
“老いらくの恋”というには、甘酸っぱすぎるかもしれない。それでも、「この人がいたから今の僕はいる」と清水さんは胸を張る。80歳を過ぎても、パートナーと仲よくできる秘訣を清水さんに聞いた。
「いいなと思ったら口に出して褒めること。そして、尊敬することだと思います。いつも彼女が朝早く起きて評判のパン屋さんでパンを買ってきてくれるので、『すごくおいしい』って言葉で伝えるようにしています。それってとても大事なこと。何かをしてくれたら『ありがとう』しかないんですよ。本当に今はそれを痛感していますね」
80歳を記念してリリースした新曲。そのカップリング曲のタイトルを、水沢さんは『愛降る(あいふる)人生~逆転人生』と名づけた。
「まだ生きていられるってことは、僕にはまだやり残したことがあるからなんだと思っています。僕は残りの人生をかけて、彼女と僕の存在を世に知らしめたい。ここから逆転だよ」(清水さん)
そう笑うと、2人は確かめ合うようにうなずいた。
しみず・しょうご 1943年、東京都生まれ。子役として児童劇団を経て芸能界へ。その後、人間国宝・花柳章太郎に師事。’70年代から脇役などで映画やドラマで幅広く活躍。2002年、『アイフル』のCMでチワワのくぅ~ちゃんとの共演が話題となりブレイク。2023年、80歳を記念して水沢巡美とのデュエットCD『すきすき六本木』をリリース。
取材・文/我妻弘崇