北原佐和子 撮影/齋藤周造

 ドロドロ昼ドラの代表作“ボタバラ”こと『牡丹と薔薇』が放送されて20年。主要キャストのひとり、北原佐和子はいま女優と介護職を両立している。そもそもアイドル出身の彼女がなぜ介護の道に? 知られざる思いを聞いた。

 “役立たずのブタ!”“パパ嫌、パパイヤよ”などの濃いセリフ、“たわしコロッケ”や“財布ステーキ”などの奇想天外な演出に波瀾万丈のジェットコースター展開――お茶の間にボタバラ旋風を巻き起こした伝説の昼ドラ『牡丹と薔薇』。その衝撃は、放送20周年を経たいまも色褪せない。すべての愛憎劇の始まりは、姉妹の誕生。その母親である富貴子を演じた女優・北原佐和子に、ボタバラから現在までの歩みを聞いた。

真珠ちゃんは“ふた”を開けてびっくり

世間的な盛り上がりは最初からではなかった。でも、私たち(出演者)の間では、撮影が始まったときから変な盛り上がりがありました。ボタバラの誇張された表現は、いわば、まあ、昼帯(昼の時間帯の帯番組)独特の色ですね。

 私も何本か昼帯をやっていたので、そのクサさは理解していました。たぶんボタバラは“昼帯っぽい芝居をできる人”でキャスティングされていたんじゃないかな。(川上)麻衣子ちゃんや、私の夫役の神保(悟志)さんもそう。香世役の(小沢)真珠ちゃんや、真世役の(大河内)奈々子ちゃんはどういう芝居をするのかわからなかったんですけど、ふたを開けてびっくり。真珠ちゃんは昼帯のクサさの上を行っていました。もうリハーサルから真剣で、本気で気圧されました。あの真珠ちゃんの突き抜けちゃった感じが、『牡丹と薔薇』のヒットにつながったと思います」

 と、思い返す北原。小沢真珠が、生き別れの姉・真世を壮絶にいじめ抜く場面は、ボタバラ最大の見せ場だ。監督は現場で、「もっとテンションを上げて!」と出演者にハッパをかけ続けたそう。異様なテンションの現場で、北原もガチンコ勝負だった。

「例えば頬をひっぱたく場面。人によってはリハでは叩く体にして本番だけ叩く。場合によっては“本番も叩かないで”と言う人もいる。やっぱり痛いですから、上手に叩かれたフリをする。ある程度ベテランになると、そういう方が多い。私はリアルに叩かれたいほう。“私、全然大丈夫ですからやってください”って言います。本当に叩くとなると互いに真剣になって、お芝居に緊張感が生まれるじゃないですか。この1回で終わりにしなきゃって」(北原、以下同)

 数々の迷場面で視聴者を驚かせたボタバラ。演技指導にもむちゃぶりがあったそう。

せっかく歌ったのに全カット

「ありましたよ~。監督がいきなり“北原さん、ここで歌ってくれるかな”とか言うんですよ。私と神保さんの2人で寝室の壁の絵を眺めている場面なんですけど、私1人が急に歌い出すって……これ、変だよな~って思いながらも“覚えてきて”って言われた歌を覚えて臨みました。必死で覚えて歌ったのに、監督には文句言われちゃって」

 しかも放送時には北原が歌う場面は完全にカットされていた。

『牡丹と薔薇』出演時の北原佐和子の広報資料

「ひどいですよね! “恥ずかしいのを我慢して一生懸命歌ったのに、何でカットしたんですか”って聞いたら、監督は答えなかった。そうか、答えがないのが答えか。下手だったのかなって(笑)」

 北原自身も演技にのめり込み、役柄になり切ってしまうタイプだ。

「休憩時間も役に入っちゃいますね。自分の幹になる部分は全然変わると思います。例えば、セレブ役となれば、歩くときからセレブな気持ちで歩こうって気持ちになるし」

 北原演じる富貴子の夫・豊樹は、長年付き合っている女性がいながら、富貴子と関係を持ってしまう役どころ。その後も、実の娘が働くデートクラブに行ったり、元カノと再燃したりと、なかなかだらしない。富貴子役の間は、実生活でもそんな男性が魅力的に見えた?

「え、神保さんって、そんなだらしない男性の役でした? そりゃあ私(富貴子)と結婚する前は別の女性と付き合っていたけれど……その後は浮気してないですから。ちゃんとした夫でしたよ」

 デートクラブはセーフ?

「そんな設定、もう全然忘れてますね(笑)。彼が悪い男性だった記憶がありません」

 その後、元カノの鏡子(川上)とも復縁したり……。

「う〜ん、夫に疑いを持ったことは一切なかったですね。あのとき、私は富貴子でしかなかったんです」

 まるで『ガラスの仮面』の北島マヤ! 憑依型女優の北原は、世間知らずの社長令嬢になりきっていたようだ。

「ボタバラのときは共演者と飲みに行ったりはなかったですね。撮影のスケジュールが大変で……うん、本当に大変でした。1日が30時間とか」

 30時間とは、24時間+6時間の撮影を行うことだ。

ドラマがヒットしているなんて知らなかった

「ちょっとブラックなんてもんじゃない、昼帯はブラックのかたまりです!(笑) でもみんな必死で楽しかった。ある日、いきなりスタッフが来なくなったりしたことはありましたけどね……」

 ボタバラの現場については、大河内奈々子も、

「ほぼ週6、時には週7で仕事。朝早いときは7時開始、帰りは深夜過ぎ。スタジオと家の往復でテレビを見る時間もなく、当初はドラマがヒットしているなんてまったく知らなかった」

 と、取材で語っていた。

「空き時間に寝ようと思えば寝られますが、私は寝ません。寝ると顔がむくむので。とにかく30時間起きっぱなしだとみんな壊れてきます。セリフのNGが増えて、それがどんどん伝染する。セリフを噛んだり、脳が疲れて言葉が出てこなくなったり。お互いの疲れがすごくわかるから、“頑張れ頑張れ!”って、みんなで励まし合って、NGを出さないよう必死でした。昼帯あるあるですけどね」

北原佐和子出演の『牡丹と薔薇』で使用された小道具(絵画)の下絵

 おそるべし、ブラック昼帯の制作現場! そんな過酷な現場からあの異様なテンションのドラマが生まれたのだ。とはいえ、いまなら完全にNGな状況。

「私が若いころは、京都の撮影所なんかも夜通し。撮影が夜中の12時を超えたりとか普通にあったんですけど、いまはもう駄目。タクシーを配車しなきゃいけないからもう終わりにしよう、とか確かに業界も変わってきていますね」

50歳で介護福祉士、53歳でケアマネの資格を取得

『水戸黄門』『暴れん坊将軍』といった時代劇や土曜ワイド、火曜サスペンスなどのドラマに多数出演し、女優として多忙な30代を経た北原。ボタバラ放送後の40代に介護の世界に足を踏み入れた。不安定な女優の仕事の合間に自分を見つめ直し“本当にやりたいことは何か”と自問した後の選択だったそう。

「女優の仕事が一段落したところで、ホームヘルパー2級の資格を取りました。最初は入浴介助や夜勤なんて無理と思っていましたが、介護に関わっていくうちに、より深くその人を知るためにやってみたい、と思うようになりました。義務感からではありません。その人を知りたいと思ったのがきっかけです」

 そこからは、どんどん介護という仕事への深掘りが始まった。50歳で介護福祉士、53歳でケアマネジャーの資格を取得。そして、知り合いの医師にすすめられて、准看護師の資格を56歳で取得した。

「そんなとんとん拍子の道のりじゃなかった。利用者さんや家族の方との関わりの中で、自分にとって必要なことを教えてもらいました。ケアマネ業務をしていく上では、専門職の方と関わって、自分が利用者さんのためにプランを作らなければいけない。でも、医療の知識がなくて、先生と看護師さんの話もまったくわからない私に何ができるんだろうって、本当に怖くなったんです。怖いのが先立って、准看護師の勉強が大変だなんて思う余裕もなかったです。私、一生懸命しかできないので」

 そこまで真剣に介護の仕事と向き合うのはなぜか。

「自分がデビューしたこと自体、すごく運が良かったと思います。決してなりたくてなったわけじゃないし、夢を見て芸能界に飛び込んだわけでもない。何となくデビューまでつながって……という感じだったんです。歌やダンスのレッスンを何年もやってきたわけでもない。私がデビューするまでには、大勢の大人がお膳立てをして、私はそこに立たせてもらったんです」

 そんな幸運な自分の状況を当時は理解できず、大勢の大人たちの期待に応えきれなかったと北原は言う。

「それがどれだけのことなのか、正直わかっていなかった。学生のクラブ活動のような軽いノリでやってしまった。そこはすごく反省しているし、後悔しているんです。あのとき自分にもっと真剣さがあったら、違ったかもしれない。私の周りにいた大人たちをもっと幸せにできたかもしれないという思いが、ずっとあった。だから、その後悔はもう嫌なんです。あのときにやりきれなかったことを、いまやりきる。そういう思いが、いまの介護に向き合う私なんだなと思います」

 人の期待に応える。思いを裏切らない。そんな強い覚悟が、北原の言葉に込められていた。アイドルから女優と介護職の二足のわらじへ。輝く笑顔でこれからも期待に応える彼女を応援したい。

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北原佐和子●1964年、埼玉県生まれ。女優、ケアマネジャー、准看護師。1982年、“花の82年組”としてデビュー。その後は、ドラマ、映画、舞台などで女優として活躍。2005年にホームヘルパー2級、2014年に介護福祉士、2017年にケアマネジャー、2020年に准看護師の資格を取得。近著に『ケアマネ女優の実践ノート』(主婦と生活社)がある。


取材・文/ガンガーラ田津美