堀ちえみ 撮影/齋藤周造

 話題になった“あのとき”本人は何を思っていたのか……。6万人の中から選ばれて、アイドル全盛期にデビュー。ドラマ『スチュワーデス物語』で女優としてもブレイクも20歳で引退、結婚と離婚と再婚で今や7人の子の母親に。舌がんなどの病魔に苦しみつつ、今もステージに立って―ー。

 3度の結婚で、実子5人と夫の子2人を育て、舌がんとの闘病……。波乱な人生を歩んできた堀ちえみがデビューしたのは、'82年のこと。

アイドル全盛期の“花の82年組”

「芸能界に入ろうと思ったきっかけは、石野真子さん。私の地元である大阪でやっていたイベントで見かけたら、メチャメチャ可愛くってビックリ。真子さんに会いたいと思って、次の年の『ホリプロスカウトキャラバン』を受けました」

 当時、このオーディションは“アイドルの登竜門”として有名で、応募者は6万人!

「私が受かったことに、母がビックリして“なかったことにしてください”って(笑)。それでもデビューできたのは、ポジティブな考えを持った祖父の後押しがあったから」

 14歳で大きな決断。アイドル全盛期で“花の82年組”と呼ばれるようになる。同期は小泉今日子、早見優、中森明菜、松本伊代など。

「山口百恵さんが引退して、なんとしても新しいアイドルを、と事務所も力が入っていました。3枚目のシングル『待ちぼうけ』は、当時、産休中だった竹内まりやさんに作っていただいた曲です」

 レコード大賞新人賞を受賞し、5枚目の『さよならの物語』からオリコンで11曲連続トップテン入りを果たす。当時、こんな交友関係も。

「中村あゆみちゃんとは皇居をジョギングしたり、腹筋を鍛えたりと、一緒に体力づくりしていました」

 人気が出るにつれて、超多忙な日々に。

「寝る時間が本当になくて。ドラマ、歌番組の生放送、イベント、単独ライブと、掛け持ちでやっていましたね」

 '83年には『スチュワーデス物語』(TBS系)が始まる。平均視聴率が20%超えで「ドジでのろまな亀」「教官!」といったセリフが流行語となった。

「1年間は、とにかくハードでした。撮影が休みでも、コンサートであちこち飛び回って。だから、その後の1年間は歌に専念したいので、ドラマや映画を入れないでというお願いをして。『東京Sugar Town』で紅白に出たし、今振り返っても一番幸せだったかなって思いますね」

引退して喫茶店の客だった男性と結婚

 しかし時代は変わり、ドラマや映画に出て、バラエティー番組でコントもできるマルチなタレントが求められた。

1982年の堀ちえみ

「『スチュワーデス物語』がヒットしたし、事務所としては女優に比重を置いてほしいと思っていたんでしょう。でも、私としては歌いたかったので……」

 20歳で2度目の大きな決断をする。'87年、芸能界を引退。

「当時の事務所には、何不自由なく大事にしていただきました。でも、結婚をして、家庭も欲しかった。思い切って辞めてしまわないとリセットできないのかなって」

 辞めると決めてからは、周りから人が去っていった。

「今まで“ちえみ、ちえみ”と言っていたスタッフも、私と口をきいたらヤバイみたいな感じになって。でも、人気が落ち目になって辞めるわけではなかったので、これでいいんだって」

 大阪の実家に戻り、喫茶店を手伝いながら、次に進む道を探った。

「私が本当にCAさんになったらウケるかなと思ったのですが、身長が足りませんでした(笑)。芸能界に未練はなかったんですけど、家の前に止まっていた車からカメラで狙われたりするんです。ある記者さんには、私が表に出ないから追っかけるんだって教えられて。子どもを守るためにも、関西だけで芸能界に復帰することにしました」

 '89年に喫茶店の客だった男性と結婚。3児を授かったが、'99年に離婚。'00年に再婚して2児をもうけ、'10年に離婚。'11年に3度目の結婚をした相手には2人の子どもがいて、7児の母になった。

 子育てに忙しい毎日を送っていたが、病魔に襲われる。

「特発性重症急性膵炎では、35日間の入院をしました。'19年に舌がんで、舌の3分の1を切除。悲しみの底まで落ちましたが、前を向いて乗り切るしかないですから」

 アイドルとして活動していたときも、天真爛漫な明るさが周囲から愛された。

「田原俊彦さんには、レコード会社の後輩として可愛がってもらいました。トシさんのファンにも“妹分”みたいに応援していただきました。私はもともと、マッチ派でしたけど(笑)」

 シブがき隊も、'82年にデビューした同期。

「フッくんが“集まろうぜ”と言って、石川秀美ちゃんと優ちゃんと伊代ちゃんが来て。みんなで可愛らしいプレゼント交換とかしていました」

 堀がホームパーティーを開いて、仲間が集まったという。

「私はバイバイとみんなを見送るだけ。その後、ヤッくんが秀美ちゃんを送っていって、そこで仲よくなったみたい」

 図らずも恋の取り持ち役になっていた。

「私はパーティーを開催する側で、そういう役割をしている間に、アレ!?っていう感じ。つちやかおりちゃんも“参加したい”と言って、結局は来なかったけど、どこでどう出会ったのか、フッくんと付き合い出して(笑)」

小泉今日子や中森明菜との仲は…

 堀が当時、一番仲よくしていたのが小泉今日子。

1985年、『24時間テレビ』に出演した小泉今日子

「私が持っている写真の中で、一番多いのが今日子ちゃんとのツーショット。ハワイにも一緒に行きました! ルーズリーフを三角形に折った手紙もくれて。表に《ちえみへ》と書いてあり、裏には“今日子”とあって。“先に帰るね”と書かれた手紙が、私のメイク道具の前に置いてありました」

 手紙を折り紙のようにするのは、当時、女の子の間で流行していた。

「今日子ちゃんは、いつもマイペース。急に“今から行くね”っていう電話がかかってくる感じ。“車の免許を取ったから、助手席に乗ってくれない?”とか。それで、私は“ええっと……、オッケー”みたいな(笑)。一昨年の3月、今日子ちゃんのライブに行ったとき、楽屋に呼ばれて会った瞬間、“あー、久しぶり! 頑張ったねー、心配してたんだよ!”って言ってくれたんです」

 '82年組の中で独自な印象だった中森明菜とは?

「明菜ちゃんにも、可愛がってもらいました。お姉ちゃんみたいな感じで。“ちえみちゃ~ん、来て~”って、可愛い声で呼んでくれて、頭をヨシヨシしてくれました」

 '80年代の生放送番組では、今では信じられないようなアクシデントも。

「踊って足を上げた瞬間、靴が飛んでいっても、大量に降ってきた紙吹雪が口の中に入っていっぱいになっても、最後まで歌いました。アイドルは何があっても根性で歌い切らないといけないと叩き込まれていたので。『夜のヒットスタジオ』では、大勢の男性がかつぐ神輿に乗って15枚目のシングル『Wa・ショイ!』を歌いました。高いし揺れるし、めちゃくちゃ怖くって……。莫大な保険をかけていたらしいけど、そういうことじゃない!(笑)」

 つらい思い出を、笑顔で話す堀。あのころと今が、ひと続きになっているらしい。

「'23年に6年ぶりのコンサートを開き、初めてのクリスマスディナーショーをやりました。病気があったことで学びがあり、生まれ変わったという感じ。今年10月のライブでは、これまでのシングル曲も、今年の新曲も歌いますよ。これからはライブを毎年やろうって思っています」

 いつもポジティブな堀ちえみは、今も変わらずトップアイドルなのだ!

ライブのお知らせ

2024年10月29、30日に開催予定の堀ちえみのコンサートのチラシ ※記事の中の写真をクリックするとチケット購入ページにジャンプします

堀ちえみ●6曲入りCD『FUWARI』が10月22日発売。ライブは10月29日、30日に渋谷にて。著書『人生の悩みをシンプルにする50の言葉』(主婦と生活社)が11月22日に発売。