「血液検査で数値が高ければ断定できる、というものではなく、日常生活での支障という基準も人それぞれ。医師でも認知症の診断は難しいのです」
そう話すのは、北里大学病院 相模原市認知症疾患医療センター長を務める大石智さん。
認知症以外のさまざまな可能性
新潟大学脳研究所の調査によると、アルツハイマー病と診断された人のうち4割は誤診の可能性があるという結果も。
「脳腫瘍や慢性硬膜下血腫、甲状腺機能障害、代謝疾患や栄養障害、うつ病、実はてんかんだったという方もいました」(大石さん、以下同)
自動車整備工場で働く60代男性は、ここ数年職場でぼーっとしたり、仕事の指示を忘れることが増え、近所の脳神経内科ではアルツハイマー型認知症を疑われた。あるとき行ったばかりの家族旅行の記憶がないことに気づき、大学病院を受診。検査の結果はてんかんだった。
「高齢者のてんかんはけいれん発作ではなく、呼びかけに反応しない意識障害や、口をペチャペチャさせる、机や膝の上をトントン叩くというような複雑部分発作が多い。発作直後に意識障害が起きてもうろう状態になることもあり、それが数十分から1週間ほど続くことも。その間の記憶がないので認知症と誤解されることがあります」
認知症の原因となる疾患は、アルツハイマー病以外に70以上も。初期症状が似ている疾患も多く、専門医でも診断に悩むケースが少なくない。
ほかの事例で、仕事上のミスが増えたと、ご自身で若年性認知症を疑って診察を受けに来た人も。
「書類での指示には対応できるが、口頭で言われたことだとわからなくなってしまうと。その方は役職が上がったばかりだったのですが、今までと仕事内容が変化したことやストレスもあり、戸惑うことも多かったそう。
環境が変わった状況では誰でもありうることですし、判断には悩むところです。認知症は“日常生活や社会生活に支障がある状態”ですが、程度の基準は、その人が置かれた環境などによっても違います」
近年では認知症という言葉が広く知られ、多くの人が意識しやすくなったからこそ、誤解も生まれやすいようだ。
「もの忘れや不注意が起こると、すぐに認知症だと思い、医療機関を受診する方が増えました。あまりに早期だと、変化がわずかで見極めにくいケースも多いので、誤診を招く可能性が高くなっているのかもしれません。
とはいえ、早期発見すべき脳腫瘍などの、ほかの病気を見落としてしまうことは避けたい。疑いを感じたら、なるべく早く検査を受けることは大切です」
認知症なのか、否か。まずは状況証拠集めが大事だという。
「診察では医師はまず“いつから”“どんなときに”“どんな変化”が起きているかを尋ねます。数年前からなど曖昧だと認知症の可能性も高まりますが、変化の時期が明確で短期間の場合は、別の原因が疑われます。大切なのはその症状がどんな機能の低下からきているかを見極めることです」
認知症の疑いがある場合、まず何科の病院を受診すればよいのか。
「一般的には脳神経内科、脳神経外科、精神科を受診するのでしょう。望ましいのは日頃からかかりつけ医を持ち、定期的に身体を診てもらうこと。変化にいち早く気づけますし、必要であれば専門医を紹介してくれます。
それが難しい場合は、地域包括支援センターに相談するのがよいでしょう。看護師もしくは保健師、社会福祉士と主任ケアマネジャーらがいるので、医療や介護に関する専門的な相談ができます」
万が一、誤診だった場合は大きなリスクが伴うこともある。
「誤診をされても、気づくことはなかなか難しい。診断を信じ、間違った薬を何年も飲み続け、実はまったく効かないどころか、薬が認知機能を悪くさせることもあります。診断に疑問を抱く場合にはセカンドオピニオンを利用してもよいでしょう」
認知症ではない原因で多いのは薬の副作用
普段飲んでいる薬が脳に影響し、“認知症もどき”の症状をもたらすことも。大石さんによると、認知症を疑って診察を受けに来た人で、薬が原因だったということが一番多いそう。
「シニア世代の方は複数の薬を飲んでいることが多く、その複合的な影響が原因という場合があります。薬局で買える風邪薬、抗アレルギー薬、胃薬や咳(せき)止め、睡眠改善薬にも、もの忘れや意識障害を引き起こす成分が入っている場合はあります。
睡眠薬や抗不安薬に含まれるベンゾジアゼピン(BZD)受容体作動薬、またガスターなどのヒスタミンH2受容体拮抗薬、過活動膀胱(ぼうこう)治療薬や咳止めに含まれる抗コリン成分が原因だったということもあります」
これらの薬は頭をぼんやりさせ、深刻になると軽い意識障害を引き起こすことも。せん妄状態(変動する意識障害)にまでなると、夜眠れずに落ち着かずうろうろしたり、怒りっぽくなったりと、認知症による精神症状と誤解されることがある。それが原因であれば、薬をやめるとすっかりおさまるそう。
「膠原(こうげん)病や自己免疫疾患の薬として使われるステロイド剤は、行動に変化を起こすこともあります。またパーキンソン病の治療薬の一部は、衝動のコントロールが難しくなることがあります。
今までギャンブルに全く興味のなかった高齢の男性が、急に毎日パチンコに行きだして、ご家族に認知症があるのではと疑われましたが、実際はパーキンソン病治療薬の副作用によるものでした」
ほかにもアルコールによる影響だった、ということも多い。
「特に定年退職後の男性は、会社という居場所がなくなり、孤独感から昼間から飲み続ける方もいます。大量のお酒によってもの忘れが増えるので認知症と疑われてしまう。認知機能が低下すると、それまでできていたことも難しくなり、自尊心が傷つき、さらにお酒に頼ってしまうという悪循環も考えられます」
認知症と診断されたら過剰な介護に注意
定年後や、さらには介護が必要な人でも役割を与え、できることは自分でやってもらうことが大切。介護従事者などが直面するさまざまな問題の解決策を情報発信している日本通所ケア研究会の会長、妹尾弘幸さんは過剰な介護の危うさについて触れる。
「過剰な介護は、本人の残存機能を発揮する機会を奪うことになり、その状態が続くと機能が低下するおそれがあります。起き上がるのをつい手伝うといった身体面での過剰な介護で、徐々に下肢の筋力が落ちてしまう。
そうした身体面の過剰な介護予防はわかりやすいと思いますが、精神面・認知面の過剰な介護予防は気づきにくいので注意が必要。自分がいる場所や日時などの基本的状況を把握する見当識という能力があります。
例えば、時間の見当識が低下し始めている人に対して、職員が12時になったのでお昼の時間ですよと教えてしまうと、時計を見て時間を判断する機会を奪ってしまう。認知症の方は過剰な介護で認知低下がより早く進む可能性があります」
過剰な介護は介護者が自分でやったほうが早いからと、してしまうことで起こる。
大石さんは、たとえ認知症と診断されても、必要以上に怖がらないでほしいと話す。
「今年1月には認知症基本法が施行されました。認知症のある人との共生社会をスローガンに、さまざまな政策や啓発活動が進められています。
医師、看護師、介護福祉に携わる方たちも、一丸となってこの超高齢社会で急増する認知症に前向きに対応すべく動いています。発症しても仕事や趣味を続け、生き生きと暮らす方も多くいます。
認知症を正しく理解し、少しでも気になることや不安があれば早めに相談や受診をするとよいでしょう」
お話を伺ったのは……大石 智さん●北里大学医学部講師、相模原市認知症疾患医療センター長。医師、博士。日本精神神経学会専門医・指導医、日本老年精神医学会専門医・指導医、日本認知症学会専門医・指導医。2011年から2013年、文部科学省教職員のメンタルヘルス対策検討会議委員を務める。
取材・文/植田沙羅