2014年『R-1 ぐらんぷり』(フジテレビ系)で優勝したピン芸人・やまもとまさみ。

「高校卒業後、名古屋からコメディー俳優を目指して上京して“スター誕生”方式の舞台に出たんです。箸にも棒にも引っかからなかったのですが、ある演出家の方に“うちで預かるよ”と声をかけていただき、ユースケ・サンタマリアさんらが所属する芸能事務所に入りました」

 現在40歳と遅咲きなのも、出発点がお笑いではなかったことがマイナスにもなっ ていたようだ。

「最初の事務所に所属して2年たったころ、学園祭ツアーの打ち上げの場でユースケさんに“うち、アーティスト事務所だけど、今後どうするの?”と言われて。それで作家さんに教えてもらった『マセキ芸能社』のオーディションを受けたら合格。本格的に芸人活動を開始することに」

 07年には、『R-1 』で決勝進出。

「仕事は増えたんですよ。月収もお笑いだけで35万〜40万円をコンスタントに稼げていて。そのときに結果を出せればよかったんでしょうけど、気づいたときにはバイトをしないといけないまでに追い込まれていました」

 2010年からは、若手時代のようなバイト生活に逆戻り。

「美白美容液を売るバイトと、知り合いの飲食店でのバイトを始めました。最初は週2日だったけど、どんどん日数が増え、週7日になり、子どもが生まれてそれでも足りないということで、バイトを3つ掛け持ちすることに。それが家電の実演販売で、週末には1泊2日で地方にも行っていました。自分から“芸人やっているんですけど”ってアピールしていましたけど、気づいてくれる人はほとんどいなかったですね」

 とはいえ、本業をサボっていたわけではなく、2009年からは事務所の枠を超え、東貴博 が主宰する演劇ユニット『FIRE HIP’S』にも参加。2013年1月、13年間所属した『マセキ芸能社』を退社。その後のライブでは「戦力外通告を受けた、とネタにしていた」ものの、

「本当は円満退社なんです。家族を養うためにバイトを優先していた事情と僕の意思を尊重してくれて、フリーで活動をすることに。マセキ芸能社から“まさみ芸能社”になりました(笑い)」

 それは「今後について考えたり、環境を変えたかった」からでもあり、1年後、所属先に選んだのは東のいる『佐藤企画』だった。

「優勝するまで出続けようと思っていましたし、一時“R-1が終わる”という噂が芸人たちの間で流れたとき、白髪が増えましたよ(笑い)。それだけに賭けていましたから」

 そのために、こんな努力も。

「2007年に決勝で敗れた後、運気をよくするためにお祓はらいやパワースポットに行ったりしていたんですよ。『清正井』に一緒に行ったハマカーンはその翌週に漫才コンテストで 優勝。これは俺にも来るぞ! と期待していたら僕だけ肛門のまわりが腐りだす奇病にか かるという(苦笑い)」

 そんなとき支えになったのが先輩芸人たちのエールだ。

「出川哲朗さんは昔から“絶対大丈夫だ。あきらめるな、腐るな”と言ってくれて。活躍している方が言ってくれるから、余計に励みになりますよね」

 そうやってつかんだ優勝。

「R-1 の“R”は落語ですが、僕にとってはリベンジのRにもなりましたね」

 妻子持ちとはいえ、今後はいろいろな誘惑も増えそう。本誌としてはちょっと色っぽ い話題も期待したいが……。苦労人ならではの反応が返ってきた。

「売れた芸人たちから“ダメになる人は女が絡んでいる”と言われて以来、コンパなどには参加していないのでスキャンダルは出ないです(きっぱり)。バイトで美白美容液や家電を販売していたので、そういう特集があれば、ぜひお願いします!」